自民党の改憲草案の2大害悪の一つは9条の改悪(=国防軍創設・軍事裁判所創設・機密保護法制定)ですが、もう一つは国民の自由と権利(=基本的人権、幸福追求権、集会・結社・表現の自由など)を「公益及び公の秩序」に反しない限りで認めると制限をつけている点です。(現行憲法では、「公共の福祉」に反しない限り、とされています)
これだと法律で簡単に国民の権利を制約することができるので、いつでも国民が無権利状態に置かれた戦前の世界=「大日本帝国憲法」の世界が再現されることになります。
「自分は天賦人権論には与さない」と高言した自民党議員がいましたが、多分いかなる場合でも自分は被抑圧者側にはならないという自信があるからでしょう。傲慢な考えというしかありません。
澤藤統一郎弁護士が6日付の彼のブログで「『公益及び公の秩序』とは何だ」と題する記事を掲載しました。
以下に事務局で要約したものを掲載します。
下記のURLをクリックすれば原文にジャンプしますので、是非とも精緻に論じられた原文をお読みください。
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「公益及び公の秩序」とは何だ
澤藤統一郎の憲法日記 2013年2月6日
(要約版 文責事務局)
人権こそが至高の憲法価値である。このことが不動の原点だ。
しかし、具体的な場において、人権は絶対無制限ではあり得ない。この限界を明らかにすることが、同時に公権力による人権制約許容の限界をも明確にすることである。
日本国憲法が、人権の限界を画するための基準としたものが「公共の福祉」である。「公共の福祉」とは何であるか。かつては、「公共の福祉」とは人権の外にあって、人権を制約するものであるという考え方があったが、樋口陽一教授から厳しく非難され、宮沢俊義教授以来の内在制約説:「公共の福祉」を人権の外にあるものとするのではなく、「人権相互のあいだの矛盾・衝突を調整する原理としての実質的公平」を意味する
ー が有力説となっている。人権を制約し得るのは人権以外になく、他の人権との矛盾・衝突による調整が必要な場面に限られる、ということである。
ところが為政者は、常に「国権を大きくし、人権を小さくしたい」から「内在制約説」は面白くない。それで自民党の改憲草案は、堂々と「公共の福祉」に代えて、「公益及び公の秩序」という用語を用いて「外在制約説」に後戻りしている。
そして「Q&A」で、「憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではない」と述べている。つまりは、「公益・公序」を「人権」に優越する価値と宣言しているのである。
自民党の改憲草案の「公益及び公の秩序」の用語採用は、数ある選択肢のうちの最悪のもので、「社会的・国家的な全体の利益・秩序」を人権制約原理としている。
露骨極まる権力者の発想というほかはない。