元原子力安全委員会専門委員の武田邦彦教授が、原子力規制委の新安全基準について「極端に貧弱でこのまま決まったら危険なことになる。いまパブリック・コメントを求めている時期なので、多くの人が政府にコメントが出せるように、参考までに意見を言う」として、「緊急論述:原子力発電の安全基準とは?
専門家の見解 その1~4」を発表されました(2月1日付、「その4」のみ3日に公表)。
同教授は論文の中で「せっかく規制委員会を作ったのに、従来の手法やいい加減な論理のもとで原発再開が議論され、基準が作られているのは日本の将来にとって最悪の状態。規制委は政府の人選で決まり、検討する委員も「体制派」ばかりであり、そこでは学術的でレベルの高い議論はすべて排斥される。相変わらずほぼ密室で推進派だけで決定し、あとは『パブリック・コメント』を求めて形式を整え、非科学的なことでも強引に通し、事故が起こったら隠蔽するというプロセスが継続している」、「(このままでは)原発はまた事故を起こすだろう。断固、日本のためにも、子どものためにも、経済のためにも、誠実な社会のためにも一人一人が立ち上がらなければならない」と述べています。
武田教授は著作権を主張されない方なので全文を紹介するのも容易ですが、やや長い論文なので事務局が要約版を作りました。要約版の文責は勿論事務局です。なお当方で追記した箇所は青字にして判別できるようにしました。
原文(及び音声版)は下記のURLでご覧になれます。(クリックすれば各記事にジャンプします)
緊急論述:原子力発電の安全基準とは?専門家の見解
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緊急論述:原子力発電の安全基準とは?専門家の見解 その1~4
武田邦彦2013年2月1日
(要約版 事務局作成)
規制委員会の新しい原発の安全指針がパブリック・コメントの時期を迎えましたが、その内容は極端に貧弱で、このまま原発の新基準が決まったら危険なことになる。多くの人がコメントを政府に出す必要があるので、ご参考になればと見解を示します。
2012年の福島原発事故はなぜ起こり、なぜ恐怖をもたらしたのだろうか?その要因は次の7項目にまとめられる。
1) 固有安全性と多重防御という2大概念を設計に取り入れていなかった
2)事故時の被曝限界を決めておいたのに、真剣に守ろうとはしていなかった(その被曝限度不明のまま基準が決まろうとしている)
3) 「想定外の事故」に対して責任を持たなくても良いことになっていた
4) 危険だから東京で使う電気を新潟と福島で作っていたのに、原発は安全だとしていた
5) 原発からでる廃棄物をどうするか決まらないまま運転していた
6) 事故が起こった時、何をすれば良かったか決まっていなかった
7) 低線量被曝による健康被害が明確になっていなかった
この7つの課題に対して新安全基準が明確な回答をしないままに、原発を稼働させるのはきわめて危険である。以下それぞれの項目について述べる。
1) 固有安全性と多重防御という2大概念を設計に取り入れていなかった
原子炉は固有安全性(核分裂の暴走を自己抑止する機能)を持ち、原発がどんな事態になっても原子炉自体が核爆発することはないと言われてきたが、実際にはどうであったのか検証されていない。1~4号機はそれぞれ建屋等を吹き飛ばすなどの爆発を起こしているが、それらがどういう種類の爆発であったのかを明らかにして、原子炉に固有安全性があるのかどうかを明らかにする必要がある。(もしもないのであればそのことを明らかにして、その前提のもとで一層厳格な新安全基準が必要となる)
4号機については福島中央テレビやNHKが保有しているはずの爆発シーンの映像すらも公開されておらず、これは国民の知る権利を犯すものである(公開を原則とする原子力基本法にも違反)。
多重防御(5重防御等)が原発の安全の基幹であると繰り返し述べられたにもかかわらず、現実には多重防御になっていないことが明らかになった(喧伝されていた防御の壁は次々に破られて結局80京ベクレルという膨大な放射能を外界に放出した)。巨大なウソであったのなら詐欺であるが、マスコミはこのことをまったく追及していない。
核爆発系、電源停止系、テロ系、多重防御系および人為的事故系について、それぞれ「多重」とは「何重」なのか、具体的にそれぞれについて、どのような「多重防御」が施されているかも曖昧である(新安全基準ではそれらを個別に明確にしなければならない)。
2) 事故時の被曝限界を決めておいたのに真剣に守ろうとはしていなかった
(その被曝限度が不明のままに新しい基準が決まろうとしている)
そもそも安全基準は「どういう状態を安全と言うのか」が具体的に決まっていないとできない。これまでは、「通常時1年1ミリ(シーベルト)、1万年に1度の頻度で起こる事故に対して5ミリを限度とする。原発敷地境界で0.05ミリ」となっていたが、福島原発事故ではこの基準をいとも簡単に放棄した。
新安全基準にはこの「基準の数値」が表面にでていない。規制委員の中には中村(佳代子)委員のように「1年20ミリまで大丈夫」と繰り返し法令や今までの安全基準のもとになる数値を否定している委員がいる(ので、基準となる数値=被曝限度を明らかにすべきである)。
福島原発事故では「無制限に海に放流できる」という方針で行動していたが、余りにも非常識である。海への放出限界も決めないと安全設計はできない。
3)「想定外の事故」に対して責任を持たなくても良いことになっていた
2006年の原子力安全委員会の場で「想定外の事故が起こりうること、(その時は原発等には責任はなく)大量の放射性物質が漏洩し国民が被曝する(ことは許容するしかない)」と明記された文章が配られた。その考え方を踏襲するのかどうかを明らかにする必要がある。
事故の確率の議論では1万年に1度以下の事故を想定しているのに、約1000年前に起きた「貞観の大地震・大津波」の再来を「想定外」としたのは矛盾であり、福島原発の事故が想定内の事故であったことは間違いない。
新安全基準ではどのような場合を「想定外」とするのかについて明確にする必要がある。
4) 危険だから東京で使う電気を新潟と福島で作っていたのに、原発は安全だとしていた
東京で消費する電力を300キロほど離れた新潟と福島で製造し、送電線で東京に送っているのは原発が危険であるからに他ならない(「安全ではあるが都市には置けない」は論理矛盾)。地方に作るのだから危険でも良い、その分だけ危険手当を出しているのだからというのは、安全技術上は最も忌避しなければならない考え方である。新安全基準ではこれが守られれば「東京に作っても」安全と明記する必要がある。
5) 原発からでる廃棄物をどうするか決まらないまま運転していた
現代の日本の工業界において、新設工場から出る廃棄物をその実施者が自ら処理できない状態で運転が認められるというのはおそらく原発だけである。(エンドポイントが不明確なままのプロセス設計はあり得ない。特に原発の規制が趣旨の規制委の新安全基準で、廃棄物の問題が曖昧なままであってはならない。)
原発推進を国是とするアメリカですら、昨年(2012年)「廃棄物をしまうところが特定されていない」という理由で新規原発の建設が差し止められている。
電力会社が原発を再稼働するなら、廃棄物の処理と埋設を自らの力で実施することが最低の義務である。廃棄物処理・処分の問題を明確にしなくてはならない。
6) 事故が起こった時何をすれば良かったか決まっていなかった
安全に万全を期している大型客船でも、左舷と右舷にすべての乗客を収容できる救命ボートを備えている。原発事故に備えて少なくとも、
①避難用のバスを準備する ②緊急時の住民の避難場所を確保する ③原子炉への注水設備を強化する(必要な水量を注水できるようにする) ④疎開用の学校を建設しておく ⑤食品・瓦礫などの汚染限度を定めておく ⑥除染方法を技術的に確定しておく ⑦緊急時の赤ちゃん用の水を準備しておく
などが必要であるが、その検討すら未着手である。
爆発時の準備・対策はどうしても必要である。
7) 低線量被曝による健康被害が明確になっていなかった。
決定的に重要な問題は事故で多くの人が低線量被曝をするが、この領域の被曝と健康への影響がわかっていないということである。
私(武田)は「日本の法令で定められた1年1ミリシーベルトという限度を守れ」と言ってきているが、アメリカの雑誌やICRP(外国のNPO)を根拠に「日本の子どもたちにもっと被曝させて良い」という意見が絶えない。
なぜ、日本の子どもたちを白人の雑誌や任意団体の判断にゆだねて、日本の法令すら無視しようとするのか。低線量被曝の恐ろしさはウクライナ、ベラルーシの人口が、事故後に、死亡率の増大と出生率の低下をみても明らかである。
(新基準では日本の法令遵守をうたうべきである)