羽田空港の衝突事故は、当初は海保機の機長が管制官の指示の誤解したからという説明が主に行われましたが、その後必ずしも機長の完全な「誤解」とは言い切れず、また管制用のディスプレイには、侵入してはならない離陸用の滑走路上に当該の海保機が存在していたことが、カラー表示(滑走路を黄色に、誤進入機を赤色)で警告されていたのに管制官が気付かずにいた(傍にいた人が注意した)ことが明らかになってきました。
では管制官のミスで片付けられるのでしょうか。「安全問題研究会」は掲題の記事で次のように分析しています(前編及び後編)。
国交省がホームページで公表している「管制取扱機数と定員の推移」によれば、コロナ直前の19年まで日本の空を飛ぶ飛行機の数は「右肩上がり」で増え続け、04年には年間463万1千機だったものが、19年には695万3千機にと1・5倍に増加したのに対して、航空管制官の人数は逆に「右肩下がり」に、同じ期間に定員ベースで4961人から4134人と17%も減らしていて、管制官1人当たりが受け持つ航空機数も04年には年間933機/人だったのが、19年には年間1682機/人と1・.8倍になっています(これは定員ベースで、実際の人員はもっと少ないので管制官1人当たりの年間航空機数はもっと増える)。
要するに自民党政権下で新自由主義的発想のもとに国交省が経費削減=定員削減を続けた結果、現場は超繁忙状態に追い込まれその綱渡りのような危険な状態が遂に破綻を来たしたのだとして、このような事態を招いた政府・国交省の責任を追及すべきであるとしています。
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羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ/安全問題研究会
レイバーネット日本 2024-01-08
2024年は新年早々、元日の能登半島地震に続き、2日は羽田空港でJAL機と海上保安庁機の衝突事故が起きた。今年も激動の年になることは決まったようなものだ。
私は、海上保安庁の機体と衝突したという事故の一報を聞いたとき、北陸震災絡みだとすぐにピンと来た。海上事故や災害などの緊急時に備えた要員以外の海上保安庁職員は正月休みであり、この時期に海保の飛行機が大規模な運航をすることが珍しいからだ。
これまでの報道では、海保側が航空管制官の指示を聞き間違えたのではないかということが報道されているが、マスコミが報じない本当の背景に「羽田の再国際化、過密化」があることは指摘しておきたい。
1978年の成田空港開港以降、基本的には羽田は国内線、成田が国際線を受け持つという役割分担が長く続いてきた。それが大きく変わったのは2010年代に入ってからで、2020年東京五輪(新型コロナにより2021年に延期)の招致が決まってからは「再国際化」が本格化した。選手団や役員など、大会関係者を入国させるのに成田では遠すぎるとして、午前6時から22時55分までの「昼間時間帯」を中心に、最大で従来の1.7倍もの増便となった。これだけの増便を行い、空港の運用にひずみが出ないわけがない。事故は起きるべくして起きた人災だったのだ。
もう1つ指摘しておきたいのは、帰省Uターンラッシュで1年で最も空港が過密となる1月2日に、全国で最も過密な空港である羽田から救援機を被災地に向かわせようとした海保の判断が適切だったかどうかである。「海上保安レポート」2021年版(海上保安庁)によれば、海保はこの中型機と同クラスのものを仙台空港、関西空港、新潟空港などにも配備している。新潟空港は今回、救援を受ける側なので除外されるのはやむを得ないとしても、仙台空港や関西空港から救援に向かわせる方法もあったのではないかということだ。この点は焦点になるべきだろう。
衝突した海保の飛行機(MA722「みずなぎ」)はボンバルディア製小型旅客機(DHC-8-300型)で、50~100人乗りクラスの小型機として旅客機に使われているのと同じである。民間航空会社も輸入しているものを「固定翼機」などと、あえて軍事用語で呼ぶこと自体、マスコミが自民党政権の戦争政策のお先棒を担ぐもので、その罪も問うべきである。
ところで、50~100人乗りクラスの小型機のメーカーは世界に3社しかない寡占市場で、具体的にはすでに述べたボンバルディア(カナダ)の他、エンブラエル(ブラジル)、スホーイ(ロシア)である。このうちスホーイは、旧ソ連国営航空機メーカーをソ連解体でロシアが引き継いだ。日本政府の立場としては「敵陣営」の航空会社であるスホーイから買うわけにいかないという事情もあり、日本国内ではボンバルディア製がほとんどを占める。
三菱航空機が10年以上、「リージョナルジェット」の名称でこの分野への進出を目指し飛行試験まで成功させながら、米国で形式証明が取れず開発断念に追い込まれたことは報道などでご存じの方もいると思う。三菱航空機がそこまでして参入したかったのも、3社寡占状態の市場に割り込めれば儲かるという経営判断があったからだ。確証はないが、日本政府としても、三菱航空機がリージョナルジェット開発に成功すれば、MA722のような海保機を国産化できるという期待もあったのではないだろうか。
<参考記事>
・進む羽田空港の国際線化 いつ・なぜ始まったのか 以前は「羽田は国内 成田は国際」(「乗りものニュース」2020.3.25付け記事)https://trafficnews.jp/post/94741/2
・海上保安レポート2021/航空機の配備状況(海上保安庁) https://www.kaiho.mlit.go.jp/info/books/report2021/html/shiryo/shiryo21_04.html
(文責:黒鉄好)
航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり〜日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ! 【羽田衝突事故 続報/安全問題研究会】
レイバーネット日本 2024-01-09
羽田空港でのJAL機と海上保安庁機の衝突事故発生から6日経過し、閉鎖されていたC滑走路が8日から再開となった。3連休も終わる明日からは混乱も次第に収まり、通常体制に復帰していくだろう。だが、犠牲者が出なかったからこれで終わりでよいわけがない。
海上保安庁機が管制官の指示を聞き間違えたのではないかとの疑いは依然として消えていない。その一方、管制塔で管制官が監視するレーダーには、滑走路への誤進入があった場合に警報を発信する機能が備わっているとの報道も先週末あたりから出てきている。滑走路への進入許可を受けていない航空機が誤進入した場合、滑走路を黄色に、誤進入機を赤色で表示する機能がついているというものだ。誤進入から40秒間、警報が出ていたのに管制官が気づかなかったとの報道もある。
巡航速度に達したジェット旅客機の場合、時速800km程度で飛行している。1分間に約13.3km、1秒間に約222m進む計算になる。40秒間なら約8.9kmも進む。それだけ長時間、管制室にいる管制官の誰ひとり、警報に気づかなかったとすれば日本の航空管制史上前例のない失態といえる。「いくらなんでもそれはあり得ないだろう」と私も思っていた。--「あるデータ」を見るまでは。
ここに驚愕のデータがある。国土交通省みずからホームページで公表している「管制取扱機数と定員の推移」だ。2020年からはコロナ禍で大きく航空機数が減っているため、コロナ直前の2019年までのデータで見る。日本の空を飛ぶ飛行機の数は「右肩上がり」で増え続け、H16(2004)年には年間463万1千機だったものが、H31(2019)年には695万3千機になった。1.5倍もの増加だ。
一方、航空管制官の人数は、同じ期間に定員ベースで4961人から4134人になっている。これだけ航空機数が増えているのに、国交省は航空管制官の数を増やすどころか、逆に17%も減らしているのだ。管制官1人当たりが受け持つ航空機数も爆発的に増えている。2004年には年間933機/人だったのが、2019年には年間1682機/人。なんと1.8倍になっているのである。念のため繰り返すが、この数字は定員ベースである。官公庁が定員を満たしていることは実際にはほとんどない。航空管制官には「専門行政職俸給表」が適用されていることからもわかるように、特殊な技能を要求される専門職であるため民間委託なども行われていない。当然、実員ベースでは管制官はもっと少なく、1人が受け持つ航空機数はもっと多いということになる。
これだけの過酷な実態に対して、もちろん現場は沈黙していたわけではない。国交省職員で構成する「国土交通労働組合」はこの間、「国土交通行政を担う組織・体制の拡充と職員の確保を求める署名」に取り組んできた。署名運動の「解説」には「相次ぐ定員削減により、災害の対応が困難になったり、公共交通機関の事故トラブルの恐れが高まったりして国民の安全や生活が危ぶまれる状況になっています」との悲痛な訴えが掲載されている。国土交通労働組合の懸念は今回、現実になった。
2024年は新年早々から能登半島地震が起きた。震度7を記録した能登半島では、地震の揺れの目安となる最大加速度で2828ガルを観測したが、これは東日本大震災(2011年)の際の最大加速度(2933ガル)に匹敵する。国交省が直接の担当である災害対応のため、一刻も早く被災地に向かわなければと海上保安庁(国交省の外局)に焦りが生まれ、滑走路誤進入が引き起こされた。そこに、折からの定員削減で疲弊した航空管制官のミスが重なる。多くの職員が正月休みで出勤していなかった年末年始の巨大災害というタイミングも災いし、通常ならあり得ないはずの人為的ミスが、ドミノのように連鎖する--今回の事故の輪郭が、おぼろげながら見えてきた。
事故原因は今後、運輸安全委員会によって明らかにされるだろう。だが、これだけの過酷な実態を知ってしまった以上、「すべてが運輸安全委員会の事故調査報告書待ち」でいいのだろうか? もちろんそんなわけがない。定員削減を続け、疲弊する現場の破たんが今回の事故で示された。このような事態を招いた国交省の責任を追及すべきである。
<関連資料>
・「管制取扱機数と定員の推移」(国交省)https://www.mlit.go.jp/koku/content/001359508.pdf
・「国土交通行政を担う組織・体制の拡充と職員の確保を求める署名」(国土交通労働組合) https://kokkoroso.org/wp-content/uploads/2021/11/4fa9505d68a1b14a44fae52177a02416.pdf
・「国土交通行政を担う組織・体制の拡充と職員の確保を求める署名」の解説(国土交通労働組合) https://kokkoroso.org/wp-content/uploads/2021/11/2b0db314e5222123417cf3a3cdda6d2c.pdf
(文責:黒鉄好)
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。