2024年1月15日月曜日

住民「車中泊しか…」石川・穴水町 避難所一部閉鎖 家屋崩壊に不安

 石川県穴水町では発災から2週間もたたないうちに病院の一部に設置されていた避難所が一部閉鎖されるのですが、複数の家屋が倒壊しいまも断水と停電が続く中、町民からは「避難所を追い出される」と悲痛の声が上がります。
 プロパンガスボンベを扱っている男性は、昼間は避難所から戻ってきて地域住民に配達していますが、「戻ってくるたびに崩れた家屋の形が変わっている」「自宅の雨漏りを直しても住むことは難しい」「車で寝るしかない」と語ります。

 また液状化とみられる現象で大きな被害を受けた石川県かほく市大崎地区は、地盤が隆起し家屋、塀倒壊し側溝せり上がり、階段壁のよう立ち上がるなどの大変な惨状です。
 避難者からは、「家が傾いているため家にいると酔っぱらう「建物が倒壊するのではと心配で夜も寝られない」、「200離れた公園の仮設トイレまで行かねばない」などの悩みが語られました。
 集会所のホールには組み立て式のテントが7基設置され、これは「プライバシーが守れていい」と喜ばれています。
 共産党の高構成典市議が13日、地元住民が自主的に開いた避難所訪問し、住民らの要望に「住まいの確保はもちろんだが、その後の生業(なりわい)や生活をどうするかが大事だ。住民が立ち直るための支援が必要であり、市に対策を働きかけていきたい」と語りました
 しんぶん赤旗の2つの記事を紹介します。
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能登半島11地震
住民「車中泊しか…」 石川・穴水町 避難所一部閉鎖 家屋崩壊に不安
                        しんぶん赤旗 2024年1月14日







(写真)複数の家屋が倒壊した穴水駅前の住宅地=13日、石川県穴水町

  最大震度7を記録した能登半島地震。13日、石川県穴水町を訪れました。発災から2週間もたたないうちに町内の避難所の一つが一部閉鎖されるといいます。病院の一部に設置されていた避難所でした。複数の家屋が倒壊し、いまなお断水や停電が続く中、避難していた町民は「避難所を追い出される」と悲痛の声をあげます。(田中智己)

 復旧のメドが立っていない「のと鉄道」の終着駅・穴水駅前に広がる住宅地で、プロパンガス屋を営む男性(48)と妻(52)。自宅は倒壊を免れたものの、瓦がはじけ飛び、雨漏りするようになったといいます。


 昼間は避難所から戻ってきて、暖を求める地域住民にガスを運んでいるという男性。「戻ってくるたびに崩れた家屋の形が変わっている」と不安をつのらせます。雪が降るとその重みで倒壊した家屋がさらに崩れ、瓦が落ちていることがあるといいます。このため「自宅の雨漏りを直しても住むことは難しい」と語ります。

 しかし、14日に自身がいる避難所が一部閉鎖。一部の住民をのぞいて次に行ける避難所が決まっていません。「自宅に戻ったらいつ(近くの家屋が)崩壊してしまうか…」と言葉をつまらせます。明日以降は車中泊をするつもりだといいます。妻も落胆した声でつぶやきます。「またいつ地震が来るかわからない。ここにいるより安全な場所にいて車で寝る方が安心」

能登半島地震災害募金へのご協力を訴えます 日本共産党中央委員会
 募金は、下記で受け付けています。
【郵便振替】 口座番号00170-9-140321
       加入者氏名 日本共産党災害募金係
  *通信欄に「能登半島地震募金」とご記入ください。手数料はご負担願います。

 

 

生活再建に支援を 液状化の被害甚大 党市議が聞き取り
                       しんぶん赤旗 2024年1月14日
石川・かほく
 能登半島地震による液状化とみられる現象で大きな被害を受けた石川県かほく市。地元住民が自主的に開いた避難所に、日本共産党の高構成典(しげのり)市議が13日、要望を聞きに訪問しました。住民らからは生活再建のために行政は支援してほしいなどの声があがりました。  (長谷川正史)

 JR七尾線宇野気駅から車を走らせること10分。同市大崎地区に入ると景色は一変します。地盤が隆起し傾いた家屋、倒壊した塀、せり上がった側溝、壁のようになった階段。
 裏の敷地から砂が湧き出たという五十玉(いかだま)照美さん75)の自宅は奥側が25cmほど下がった状態だと言います。「建物が倒壊するのではと心配で夜も寝られない」。断水で、200ほど離れた公園の仮設トイレまで行かねばならず「早く自宅のトイレが使えるようになってほしい」と語りました。土砂は夫がスコップでかき出したと言い、すべて個人でやったと振り返ります。
 市内には避難所が2ヵ所あり、被害の大きい区画にある大崎集会所は14世帯33人が避離しています。地域の自治組織が運営し、市が支援に入っています。地震発生当時は51人が避難。その後、民間アパートや親戚の家に移るなどして人数は減っています。2日前から上下水道が復旧し、給水所にもなっています。ポランティアや住民、被災者らが食材を提供し合い、炊き出しを行っています。

 1人暮らしの男性(81)自宅には市の「立ち入り要注意」の紙が貼られています。建屋が傾いているため「家にいると酔っぱらう状態」です。避難者が同じ地域の人なので 「知っている人ばかりで安心」と穏やかな表情を見せました。
 集会所のホールには組み立て式のテントが7基、壁に沿ってぐるりと建てられ、内側にストーブを囲んでいすが並べられています。「テントは、プライバシーが守れていい」と言う会社員の亀本雅喜さん56)。夫婦と娘、息子夫婦の5人で避難しています。
 今一番困っていることは風呂と洗濯です。車で5~6分行った旅館が無料で入浴させてくれるので、ついでにコインランドリーに寄る生活だと言います。自宅は「立ち入り危険」と赤い紙が貼られました。「更地にしなければ住めない。暮らしの再建のため、市にはしっかり補助をしてほしい」と語りました。
 高橋市議は住民らの要望に「住まいの確保はもちろんだが、その後の生業(なりわい)や生活をどうするかが大事だ。住民が立ち直るための支援が必要であり、市に対策を働きかけていきたい」と応じました。