2024年1月15日月曜日

15- ウクライナのクーデター体制を批判していたジャーナリストが獄中死 

 櫻井ジャーナルに掲題の記事が載りました。
 ウクライナ戦争は、14年に米国が当時5000億円をかけて準備したと言われるクーデターで、大統領を親米派にすげ替えたことに端を発し、ゼレンスキーが「ミンスク合意」で自治権が保証されていたドンバス地方(ロシア人が主体)を、22年3月に武力で制圧しようとしたことで突発しました。
 そのクーデターは、ビルに逃げ込んだ民衆をそのまま焼き殺すなどの凄惨な虐殺を伴ったもので、それらの蛮行はネオ・ナチの勢力によって行われました。彼らは今も政権の中枢を占めています。
 ウクライナ在住で、そのクーデター体制を取材していたチリ系アメリカ人のゴンサロ・リラがウクライナの刑務所で死亡しました。10年にウクライナに移住地元の女性と結婚し彼は、23年5月にウクライナの治安機関に逮捕されました。
 収監中に拷問を受けていたと言われ、彼は10月中旬に左右の肺が肺炎を起こし、気胸そして重度の浮腫を患ったのですが、刑務所は適切な治療を施しませんでした。
 ゼレンスキー政権に批判的なすべての報道機関検閲していて、自分に批判的な政党の活動を禁止しました。暗殺された政治家も少なくないということです彼は決して正義の人などではなく、没落の運命にあるのは当然のことです。
 記事は後半で、米国での内部告発を支援する活動をしてきたジュリアン・アッサンジの現在に触れています。米国が彼を逮捕しようとしたのは「レイプ事件」でしたが、それは全くのデッチ上げであることが明らかにされています。
 アサンジへの迫害こそは米国の権力犯罪というべきものです。
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ウクライナのクーデター体制を批判していたジャーナリストが獄中死 
                       櫻井ジャーナル 2024.01.14
 ウクライナに住みながら同国のクーデター体制を取材していたチリ系アメリカ人の​ゴンサロ・リラが収監されていたウクライナの刑務所で死亡した。殺されたと言うべきかもしれない。彼は2010年にウクライナに移住、地元の女性と結婚し、ロシア国境にほど近いハリコフで住んでいた。
 そのリラは2022年にも逮捕されたが、釈放されている。そして2023年5月にウクライナの治安機関(SBU)は彼を逮捕した収監中に拷問を受けていたと言われているが、10月中旬に左右の肺が肺炎を起こし、気胸、そして重度の浮腫を患ったのだが、刑務所は適切な治療を施さなかった
 アメリカのバラク・オバマ政権は2013年11月から14年2月にかけてウクライナでクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒したが、その際、手先としてネオ・ナチを使っている
 ウクライナのネオ・ナチとは、1941年にOUN-Bを組織したステファン・バンデラを信奉するグループ。MI6(イギリスの対外情報機関)とゲシュタポ(ナチスの政治警察)のハイブリッド⇒混血だとも言われている。当時、そうしたグループが東ヨーロッパや中央ヨーロッパに存在していた。

 第2次世界大戦後、そうしたグループのメンバーはアメリカの情報機関によって脱出、保護されると同時に訓練を受けている。そうした人びとがソ連消滅後、東ヨーロッパや中央ヨーロッパへ戻っている。ウクライナでは2007年、ドミトロ・ヤロシュを中心にNATOの秘密部隊が組織されたが、その当時のアメリカNATO大使はビクトリア・ヌランドにほかならない。ヤロシュはアンドリー・ビレツキーと「右派セクター」を2013年11月に組織、14年のクーデターで中心的な役割を果たした。
 ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は2020年10月14日にイギリスを訪問したが、その際にMI-6のリチャード・ムーア長官からゼレンスキーの周辺にロシアのスパイがいて情報が漏れていると警告され、その後、ゼレンスキーの身辺警護はすべてイギリスに引き継がれたと伝えられている。同時に、ゼレンスキー政権に批判的なすべての報道機関はイギリスの命令で検閲されるようになった。ゼレンスキー大統領は自分に批判的な政党の活動を禁止、暗殺された政治家も少なくない

 このネオ・ナチ体制をゴンサロ・リラは批判していたが、取材は可能だった。そのリラが逮捕されたのは彼がジョー・バイデン大統領とカマラ・ハリス副大統領を批判した直後だ。アメリカ政府はジャーナリストの逮捕、そして拷問を容認していた。当然、バイデン政権はリラに救いの手を差し伸べなかった。
 内部告発を支援する活動をしてきたウィキリークスのジュリアン・アッサンジの場合、2019年4月11日にロンドンのエクアドル大使館でロンドン警視庁の捜査官に逮捕され、現在、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所へ入れられている
 2007年1月から17年5月までエクアドルの大統領を務めたラファエル・コレアは12年8月にアッサンジの亡命を認めていたが、イギリス当局がアッサンジを逮捕しようとしていたため、大使館から出られなくなっていた。この時点でアメリカの司法当局はすでにアッサンジを秘密起訴していたと見られている。
 エクアドルの大統領がコレアからレニン・モレノに交代した2017年5月にスウェーデン検察はアッサンジに対するレイプ捜査を終え、逮捕令状を取り消すと発表した。捏ち上げだったので当然だが、モレノを排除できたので、スウェーデンの役割は終わったということだろう。イギリスとスウェーデン両当局の間でやりとりされていた電子メールは消去された。
 モレノはアッサンジの亡命を取り消し、ロンドン警視庁の捜査官を大使館へ「招待」、その1カ月前、2019年3月11日にIMFはエクアドルに対して42億ドルの融資を実施すると発表している。この融資は亡命取り消しの交換条件のひとつだったとみられている。
 アッサンジのアメリカへの引き渡しを認められた場合、懲役175年が言い渡される可能性がある。アッサンジへの弾圧が正当だと認められたなら、アメリカの権力犯罪を明らかにしたジャーナリストは国籍や活動拠点に関係なくアメリカの私的権力が報復できることになる