2014年1月4日土曜日

<憲法から考える>②揺らぐ国民主権 

 第2回は「揺らぐ国民主権」です。
 憲法前文は、国民主権「人類普遍の原理」であると断じています。 国民が国家の上位にあるという宣言です。
 それに対して自民党の憲法改正草案は、国民の自由を制限する条件となる「公共の福祉」を「公益並びに公の秩序」という言葉に変えて、国家が国民に優先することを謳い国民主権に制限を加えようとしています。
 
 安倍首相は、国民国家の下位に位置するという筋金入りの考えに基づき、憲法の基本原理を大きく変質させようとしています。
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<憲法から考える>②揺らぐ国民主権 「普遍の原理」を守りたい
北海道新聞 社説 2014年1月3日
 政治の主役は国民だ。今年はその原理が覆る分水嶺(れい)となりかねない。 
 安倍晋三政権は年内に特定秘密保護法を施行する方針だ。「国民の知る権利」を制限し、情報を意のままに秘匿することができる。そこには国民より国を優先する思想がある。 
 憲法前文は「国政は国民の厳粛な信託によるもの」として、国民主権を明確にしている。この理念は「人類普遍の原理」であると断じる。 
 安倍政権の改憲志向は、主権者である私たち一人一人に突きつけられた挑戦と受け止めるべきだ。 
 統制を強めようとする政権に厳しい目を向けていく必要がある。 
 
■デモは意思表明の場 
 特定秘密保護法成立前夜の昨年12月5日、札幌・大通公園は抗議する約千人の群衆で埋まった。 
 「知る権利を脅かすな」「強行採決は許さない」―。参加者は声を張り上げた。主催した北海道憲法会議の斎藤耕事務局長は「改憲の地ならしをして戦争に向かうのではとの危機感の表れだろう」と語った。 
 こうした活動がいずれ制限されるのではないか。そんな懸念を抱かざるを得ない状況が到来しつつある。 
 自民党の石破茂幹事長は「デモはテロ」との発言は撤回したものの、「本来あるべき民主主義の手法とは反する」と主張した。 
 議会制民主主義において、議論の場は国会だ。反論があるなら整然と議場内で行うべきで、屋外で大声で訴えるべきではない。そう言いたいようだ。だが、本当にそうか。 
 選挙が終わったら何も言えないのでは不完全な民主主義だ。投票で個別政策の賛否を一つ一つ問うわけではない。デモは選挙を補完する国民の意思表明の手段と言える。為政者の都合で抑圧してはならない。 
 国民を主権者と位置づけるからこそ、憲法は広範な自由を保障している。国と国民の利害が対立した時、国民の側を優先するのが基本だ。 
 
 安倍首相はこの考えに否定的だ。 
 2006年の著書「美しい国へ」では他国による支配という極端な想定を持ち出して「個人の自由を担保しているのは国家なのである」と訴えている。国民を国家の下に置く考えは筋金入りと見ていいだろう。 
 自民党の憲法改正草案は、国民の自由を制限する条件となる「公共の福祉」を「公益並びに公の秩序」という言葉に変えて統制色を強めた。 
 安倍政権は憲法の基本原理を大きく変質させようとしている。 
 
■伝統を補充して進む 
 国民主権の概念は18世紀のフランス革命などにより確立した。「人権宣言」は君主による暴政への歯止めとして、「あらゆる主権の原理は本質的に国民に存する」と規定した。 
 日本の明治憲法は天皇による統治を明記したが、官僚の台頭や軍部の独走を許し、敗戦により国は破綻した。現在の憲法はそうした反省に立ち、国民主権を明確にした。 
 自民党はこうした権利概念が外国のものであり、日本の伝統とは違うと主張する。郷土や自然を通した愛国心を根付かせて、「国家」の存在を大きく見せようとしている。 
 しかし、どこに起源があろうとも、普遍性のある原理を政治に導入することに何の問題もない。 
 歴史家の家永三郎は「歴史のなかの憲法」で「一国の歴史はその民族的伝統に欠けている普遍人類的なものを外から移植、同化して伝統を改造あるいは補充しながら進む」と述べている。 
 天皇を象徴としつつ、国民主権の理念を打ち立てた憲法が定着していること自体、現在の日本の伝統と言えるのではないか。簡単に覆すべきではない。 
 
■積極的に政治参加を 
 必要なのは国民主権をしっかりと根付かせていくことだ。そのために国民各自が主権者としての自覚を強く持つことが不可欠である。 
 基本になるのは選挙だ。一昨年の衆院選で道内の投票率は約59%、昨年の参院選は約54%だった。主権者としての権利行使を怠って政治を白紙委任してはならない。 
 埼玉県北本市は先月、住民投票での圧倒的反対を受けてJRの新駅設置を断念した。市長選、市議選の立候補と投票の年齢を引き下げる「若者政治参加特区」も目指す。政治参加の拡大の試みは参考になろう。 
 
 負託を受けた「国民の代表」の役割も重要だ。「国政の権力は国民の代表者が行使し、その福利を国民が享受する」。それが憲法の原理だ。 
 国民が身近に感じられない政治が続いている。政治とカネの不透明な関係や、離合集散を繰り返して漂流する政党の姿に、国民の失望感は深まる一方だ。 
 首相が公然と憲法に背く異常な状況にある今こそ、国民とその代表が一致して政治をつくり上げていく必要がある。それこそが憲法が国民に求める「不断の努力」なのだろう。