2016年1月28日木曜日

28- 新潟県9条の会交流集会で笛木世話人が会の様子を報告

 昨年11月14日におこなわれた 「アベ政治を許さない・戦争法廃止 新潟県9条の会 全県交流集会」の詳細な報告集が発行されました。
 全20ページに及ぶもので、県9条の会事務局長の工藤和夫さんの「戦争法廃止に向けた9条の会運動についての提起」をはじめ、県下の10組織からの報告の全文が収録されています。
 
 苗木世話人が湯沢・平和の輪の活動について説明していますので、その内容を以下に紹介します。
 これまでの会の活動がとても分かりやすくまとめられています。
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アベ政治を許さない・戦争法廃止 新潟県9条の会 全県交流集会 報告集 より
                (2015年11月14日 於 燕三条地場産業振興センター)
「平和なくして観光なし」 
  「観光は平和の子であり、母である」の地域性を前面に 町とも協働、地域・平和を守る継続的な情報を発信 
                      湯の町湯沢・平和の輪 世話代表 苗木 (ゆたか)さん 
 私たちの会は、「湯の町湯沢・平和の輪」という名称になっています。設立は2005年12月4、呼びかけが2004年6月でしたので、呼びかけられて1年半後のタイミングでの設立でした。今年の12月4日で10歳を迎えることになります。会員数は60名、入会金を払っていない方で「通信」を定期的に購読していただいて、いざ事ある時には駆け付けてくださるという方が160名、これは会員の60名を含みますが、小規模な県境の町の会です。湯の町湯沢・平和の輪と言うのはちょっと変わった名前だなと言われるんですが、なぜ湯沢9条の会としなかったのかといいますと、地域に根差し、地域性を活かした活動をやろうではないかということでみんなで議論しまして決めました。「申し合わせ事項」の第一に掲げてあります。「湯沢・平和の輪」ではなく、丁寧に「湯の町湯沢」としたのは観光立町の宣言をし、「観光の町」として立っている町ということで、「観光は平和の子であり、母である」と言うようなスローガンで、「平和無くして観光なし」という事もありますが、観光を通して平和に貢献するというもあるのではないか。観光は平和の子であり、平和の母でもあるということもに置きながら平和の運動をめざして進めて行こうということで「湯の町湯沢・平和の輪」という名称にしたわけです。
 最初の頃、平和をアピールする大きな看板が欲しいなと言う話をした時にも、単に「9条を守ろう」と言う呼びかけではなく、会の名称に相応しく、みんなで議論しまして湯沢駅の東口を出ますとビルの窓に大きな宇で「平和でこそスキー・温泉・山歩き、憲法9条を大切に」と言う呼びかけにしました。このように地域性を示し、他所から来る人にも見ていただこうという視点で取り組みを進めてきています。
 年次総会を4月に開催し、毎月第3日曜日に例会を持っています。9条の会ということで9付で「通信・平和の輪」を発行しています。これは今月で118号を迎えています。10年間、小さいながらも、うまずたゆまず地道に活動を積み重ねてきました。営々と続けてきたというのが特徴でしょうか。
 総会は1年間の反省と情勢、今年の情勢をどう見るか、どういう運動が出来るだろうかということで方針を出します。4月に総会を確実に準備して持つことは後戻りせずに、前の運動を土台に次の一年の運動をすすめるためにどうしても必要だと思います。総会に向けて2月ごろから世話入会で案を出して、みんなで論議をして煮詰めながら4月の総会で確認をするようにしています。総会をきちんとやることが後戻りせずに運動を前に進めるうえでは大事だったなあと思っています。
 月々の「通信」ですが、表面は必ず、「次の例会の案内」を載せますし、その時々の焦点になっている問題について皆さんに呼びかける内容を中心に編集しています。裏については、戦争体験を寄稿頂いたり、伺って話を聴いたのを整理をしたりして掲載するようにしてきました。戦争体験を毎号載せようということで、これまで頑張ってきたのですが、高齢化が進んで難しくなり、いま、途絶えている状況です。
 会のブログを2012年に開設しました。毎日更新しているということで注目されています。ブログは全国区ですので、とんだ所から電話が入って「ブログを見たが」と言う話が飛び込んできます。ブログを立ち上げた時は、若い人にぜひ間わってもらいたい、会の運動に参加してもらいたい、そのためにはこういう事をやらなければという話から立ち上げたのですが、それで若い人達との繋がりができたか、これがきっかけで若い人が入ってきたというと、残念ながらそういう状況にはなっていません。相変わらず私が一番若い方という状況で推移しています。
 この間、このブログを見て「湯沢の活動に関心を持った」ということで、「安全保障関連法に反対するオール明治の会」という明治大学の教員と学生が作った会の呼びかけ人の方が電話をくれまして「ぜひ会って1時間ほど様子を聞かせて欲しい」ということで湯沢までやってこられました。話が弾んで2時間半ぐらいになりました。
 新幹扉を利用すれば湯沢は東京とあまり変わらないと1時間の予定が2時間半話をして帰りました。帰られた後また電話かおり、「年内にもう一度会いたい。引き続きお付き合いを、湯沢が今後、いろいろな企画をする際に役に立てることがあれば・・」などと言う話になっています。ぜひ皆さんもブログを開いてみてください。
 ブログオペレーターが達者な人おりまして毎日更新してくれ、これを見れば、戦争と平和をめぐる最新の情報が解るということで、「なるほなあ」と気付かされるものもあります。論評的なものもあり、事務局の私もそれを見て勉強しながら活動をしているような状況です。
 私たちの会は、真面目にコツコツとやってはいるのですが、ことが起きた時に「それ」と立ち上がって、見るべき成果を上げるというような活動に弱い組織です。「9条を持つ日本国憲法を自分のものとして選び直し、日々行使していくこと」と九条の会のアピールにかかれていいますが、のことをめざして一人が自覚的な主権者して、いざ国民投票の時には、揺るぎなく「反対」の一票を入れられるようなところをめざして、シコシコとやっている状況です。
 具体的な運動として、6月町議会に、戦争法案に反対する立場から「意見書」を上げてくれと言う運動を行いました。「安全保障関連法案の廃案を求める意見書の提出を求める請願」ということで提出しました。6月3に提出しましたが、6月9の総務文教委員会から参考人として意見を申し述べるようにという通知がありました。総務文教委員会は委員長を除くと6人で、4対2で採択、17の本会議では6対5で採択され、即日、衆参両院議長あてに「廃案を求める意見書」が上げられました。本会議の採決の時には、みんなで傍聴し、「今日は大勢来ているなあ」という中で判断してもらおうと採決を見守りました。
 町役場・議会との関係なんてすが、ここが独特なのが湯沢ではないかと思っています。非校平和都市宵百を湯沢町はやっておりませんでしたので、2010年3月議会に請願を出しまして、6月議会で宣言をする運びとなりました。我々の力で「宣言」を実現させたものですから、「宣言」をしただけでは意味がない、宣言に沿って町としてどのような平和の取り組みをするのかと懇談の機会をもって、要請・提案を出しながら町と協働してきました。この、11月25には学校で非核平和都市宣言に基づく講演会平和教育講演会と言うのですが、第2回目として実施されます。8月には「団協」が作った「原爆と間」のパネル展示をケ月・公民館でやっています。8月14に成人式があるのですが、成人の皆さんに「本国憲法」の冊子を配るように提案したら、冊子を準備して受付に置いたそうです。無料で役場が用意して受付に置き案内したのですが、持ち帰る人がなかったという事で、取り組みがあったのですが成果に結び付けられなかったのは残念です。
 町や議会との関係も対立的関係でなく、協働の関係を大切にしながら、平和の町、観光立町であるとともに平和宣をした町ということで活動を進めていきたいと思います。
 私たちの会も、皆さんとともに2000万署名を成功させるために取り組みを進めていきたいと思います。