2016年1月13日水曜日

株価の下落はアベノミクスの未来の暗さ

 経済学者の植草一秀氏が12日のブログで、年明け後の日経平均株価が下げ止まらない要因について簡単に説明しています。
 安倍政権の経済政策=成長戦略は、国民ではなくグローバル巨大資本の利益極大化を目指したのであって、巨大資本の利益が拡大すればその株価時価総額は拡大株価は上がるが、それは国民生活を犠牲にした結果であり、円安が進行している間はそうしたひずみ隠されていたものの円高に流れが転換し始めたので表面に出だしたのだとしています
 そして何よりも政権が緊縮財政の傾向を強めたことが景気を落とす逆噴射のレバーを引くことになって、「失われた20年」(=景気の長期停滞に引き続き「失われた30年」に向かわせることになると述べています。
 
 リーマンショック並みの変化がなければ消費増税を断行するなどというのも、政権のノー天気ぶりを示すものでしょう。
 
 あいば達也も13日のブログに安倍経済の崩壊、起きるべくして・・・」を載せました。
 株価値下げの連続は、「アベノミクス相場(官製相場)の暗雲」を示すもので、それがすべて外部要因によるものだという説明は欺瞞、本質的問題は生産を伴わないマネーゲーム:すなわちヒトとモノが介在しない金融社会と云う禁じ手の社会を創り出したことにあるとしています。
 そして円高株安が定着傾向を見せれば安倍政権の基盤はボロボロになるとして、そこをつくのが選挙戦法として実は正しいのであって、7:3の割合でまず経済と社会保障で政権を揺さぶり、返す刀で安保法制の違憲性を攻める戦術がいいのではないかと述べています。 ^^)
 
 二つのブログを紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
アベノミクスの未来が暗いから株価が下落する
植草一秀の「知られざる真実」 2016年1月12日
年明け後の日経平均株価が下げ止まらない。
1月8日付ブログ記事「年初来の株価下落の背後にある三つの要因」 http://goo.gl/CGZ8D1 に三つの要因を指摘した。
第一は、中国株価調整。
第二は、地政学リスクの高まり。
第三は、安倍政権の経済政策運営スタンスが緊縮財政の傾向を強めていること
である。
 
第一と第二の要因については一般的に指摘されている。しかし、第三の要因を指摘する声は少ない。
指摘する者が少ないことと、メディアが真実の情報を報道しないことが背景にある。しかし、この第三の要因が最も重要である。
バブルの崩壊が始動して26年が経過した。「失われた10年」が「失われた20年」になり、そしていま、「失われた30年」が現実味を帯びる。
 
私は 『日本経済復活の条件-金融大動乱時代を勝ち抜く極意-』 を上梓した。
日本経済を浮上させるための方策を考察している。
 
重要なことは、近視眼的発想を排して、中長期の経済発展を目指すことだ。
残念ながら、日本の経済政策、そして、財政健全化策は、いずれも、近視眼的な病理に冒されている。
日本経済の衰退が26年の長期に及んでしまった最大の原因は、日本の経済政策の失敗にある。
財務省には、「経済あっての財政」という発想がない。ひたすら財政赤字の縮小だけを追求する。
経済をしっかりと育てることが、最大の財政健全化策であるという、根本を理解していないのである。
経済が少し浮上すると、財務省が逆噴射のレバーを引く。
これで日本経済は長期停滞の蟻地獄に嵌(はま)ってきたのである。
 
さらに、もう一つの問題がある。それが安倍政権の経済政策=成長戦略である。
成長戦略の具体的な中身は、
農業自由化
医療自由化
解雇自由化
経済特区創設
法人税減税
だが、これらのすべてが、国民を豊かにすることを目的としていないことだ。国民ではなく、グローバル巨大資本の利益極大化を目指す。これが成長戦略の本質なのだ。
 
巨大資本の利益が拡大すれば、巨大資本の株価時価総額は拡大する。株価は上がる。
しかし、この株価上昇と国民生活の向上はまったく結びつかない。
結びつかないと言うよりも、国民生活の犠牲の上に資本の利益拡大があり、株価上昇があるということなのだ。
円安が進行している間は、ひずみが隠されていた。しかし、円安から円高に流れが転換し始めて、ひずみがくっきりと表面に表れ始めている。そして、資本の利益拡大だけを追求する経済政策は、中長期の経済を必然的に衰退させる。
メディアはアベノミクスで経済全体が良くなったかのような宣伝を繰り広げるが、この広報は虚偽である。国民生活の向上、国民生活の底上げ、という視点が安倍政権の経済政策には存在しない。だからこそ、日本経済の中長期展望は暗いのである。その暗さがいま、日本の株式市場に、くっきりと翳を落としている。
 
メルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」 http://foomii.com/00050 のご購読もよろしくお願いいたします。
上記メルマガを初めてご購読される場合、2ヶ月以上継続して購読されますと、最初の一ヶ月分が無料になりますので、ぜひこの機会にメルマガのご購読もご検討賜りますようお願い申し上げます。
以下は有料ブログのため非公開
 
 
安倍経済の崩壊、起きるべくして“吉事”生かせぬ愚かな人々 
世相を斬る あいば達也 2016年1月13日
今日は1月12日、友引だ。日経平均が見る見る値を下げ、14時30分現在、-500円をつけ、今にも17000台すらも割り込む勢いになっている。再読み込みをする度に値を下げている。まあ、株式相場を実況中継していても意味はないが、これで何日連続の値下げになるのだろう。年初6営業日連続の下げだ。2000円以上、10%以上の下げをつぶさに見ている。流石の日経新聞も気味が悪くなり出したのか、強気一点張りのアベノミクス相場(官製相場)の暗雲を示唆するシグナル報道をはじめている。 
 
2015年末大納会で1万9000円台に乗ったのは1996年(1万9361円)以来、19年ぶりと囃し立てていたのは2週間ほど前の話だ。『前年末の終値を上回るのは4年連続で、年間の上昇率は9・1%(上げ幅は1582円94銭)となり、昨年の上昇率(7・1%)を超えた。東証1部の時価総額の合計は約572兆円で、89年の約591兆円以来の高水準となった。』マスメディアは、日経に限らず、株価が上がれば、その上昇による人々の生活向上を具体的に囃し立てて、株価上昇イコール日本経済の先行きの明るさを、人々を現実逃避させる形で報じる。 
 
それに対して、株価が落ち込みだすと、中国が~、FRBが~、原油価格が~、中東情勢が~、南シナ海の不安定が~、円高ドル安が~と、無理やり外部要因をほじくり出して、その下落要因を説明する。つまり、良い出来事は、全部自分たちが発信源であり、悪い出来事は、すべて外部要因によるものだと、尤もらしい説明に終始する。筆者も、相当に株式相場との関わりは長いのだが、いわゆるエコノミスト(最近は、このワードが嘘つきの代名詞として定着したので、ストラテジストと呼ぶようになっている)の言説を信じたことは一度もない。彼らの言説の多くは、結果論を見て、後づけの解説をするか、或いは、みんなで渡れば怖くないと云うマスな動線づくりに貢献するだけだ。 
 
日本株、下げ止まらず 市場は1万7000円割れも覚悟
〔日経QUICKニュース(NQN) 増永裕樹、白山雅弘〕
日経QUICKニュースの引用部分を省略
 
まあ上記の如くである。以下のダイアモンドONLINEの真壁昭夫氏のコラムは、表象的本質は突いているが、まだまだ本質を抉るまでには至っていない。やはり、どこかに「魔女」を求めようとする嫌いがある。本質的問題は、生産を伴わないマネーゲームに依拠する、アメリカン金融産業構造が齎した重大な危機であり、結果的には世界規模の危機の時代に突入したことを示唆している。GEが気がつくと、金融会社になったのが象徴的だ。グローバル経済が資本主義の本質を歪め、関税撤廃経済が生産と消費と云う、二大要素を横に追いやる資本主義殲滅を助長した。このような歪んだ資本主義に身の丈を合わせることが、グローバル企業の有資格者だと言わんばかりだが、大地から空中戦に出てしまった己らの姿は見えないようだ。 
 
ただ、この流れを元に戻すと云う事も考えられないので、資本主義は、戦時社会から、復興社会、そして定常社会に入ったところで、金融社会と云う禁じ手社会の創造を見たわけだが、この主にヒトとモノが介在しない資本主義は、資本主義ではなくなったのだろう。最近の大きな経済的潮流としては、GDP基軸経済の放棄、定常経済への流れと、嫌々マネー帰属がやめられないと戦時経済に傾斜する二本の道があるようだ。かつて、中谷巌氏が『資本主義はなぜ自壊したのか』を上梓した後、多くを語らなくなった事実は、このことが見えていたのだろう。
 
 世界同時株安は金融市場の“宴の終わり”を示す 
(ダイアモンドONLINE:今週のキーワード・真鍋昭夫)
ダイアモンドONLINEの引用部分を省略
 
金融経済が専門の真鍋氏なのだから、目先の金融経済の動きで語るしかないわけだ。筆者から見ると、資本主義の原理原則が消え去って、既に大企業の株式会社と云う資本主義の象徴のような制度が成り立たなくなっている時代なのだから、何を持って経済と言うべきか、戸惑う時代になっている。これに、イスラム世界と欧米諸国の観念的対立。新冷戦構造に突入仕掛けている地政学的課題。こう云う問題を付加して考える時、世界経済の先行きは、ほぼ絶望的だ。
 
年初来、日本の、世界の、ネガティブ・コラムを書いているのだが、特別暗い気持ちになっているわけでもない。人間が生きており、山河がまだ存在している限り、やり直しは、何度でも可能だ。それを実行する人々の顔ぶれは変るのだが、人の営みの連続性はあるわけで、人間そのものが滅びる未来小説の世界ではない。仮に、世界中で殺し合いが起きたとしても、人間は一定の範囲で生き残る。そこから、また、何かを始めれば良いだけだ。無論、個別の人間の上のは、幸運や不幸が訪れるだろうが、それは、今夜のコラムのテーマではない。 
 
ニヒルな言い草だけでも悪いので、少しは足元の政治のことも考えているが、こちらは、もっとネガティブな惨状になっている。安倍政権が、米軍と共に戦争するかしないか、それを決めるのが国民なわけだ。国民が、嫌だと思えば、国政選挙で、自民党を下野させるくらい負けさせれば良いだけだ。しかし、現実の世論は、戦争なんてものに関わることは御免蒙るが、現実、戦争になりそうもないでしょう?と云うのが、世論の大多数なのだから、戦争法だけで、選挙戦を闘うのは得策ではない感じになっている。この辺に、民主党のつまらぬ計算も存在しているのだろう。 
 
つまり、戦争法案に必死こいた昨年の臨時国会時も、「経済政策に終始した一年だ」と白々しく答える今の政権なのだから、2016年は「更に経済の年にする!」とぶち上げている。つまり、土俵をどこまでも「経済」に見立てて戦う腹積もりなのだ。その経済のバロメーターに黄色信号から、赤の点滅信号に変っているのだから、其処をつくのが、選挙の焦点として、実は正しい。リベラルな人々が思い込んでいるほど、日本の世論に「戦争のリアリティ」がない。たしかに、非常に重要なことなのだが、メジャーな世論に、安保や立憲主義への危機など、毛頭あるようには感じられない。筆者であれば、7:3で経済と社会保障で政権を揺さぶり、返す刀で安保法制で甚振る戦術を選択する。 
 
どちらも、棄民政策に近いわけで、円高株安が、定着傾向を見せれば、まさに、安倍政権の基盤はボロボロになる。そして、年初来、その方向は確定的に見えている。戦争法案隠しの土俵ではあるが、敢えて乗っても良いだけの条件は整いつつある。当面、根本的に株式市場などに回復の兆しはないとなれば、もう安倍政権の嘘もネタを切らすのである。しかし、にもかかわらず、民主党の安定万年野党志向は変りそうもない。政治屋で充分満足ですと白状したような政党なのだから、期待していても始まらないと、そろそろ決定しても良い時期かもしれない。それではどうする?だが、言わぬが花と云うことで……。