2026年2月23日月曜日

幇間政治学者たちの護憲左派叩き - 9条改憲へ屈服を促す露払いのキャンペーン

 世に倦む日々氏が掲題の記事を載せました。

 日本の国民はついに高市という極右を首相の座に就けました。高市首相は早速改憲を口にし、さらに「スパイ防止法」の制定を強調しました。
 9条改憲は戦前の軍事国家をめざすためであり、「スパイ防止法(戦前の治安維持法)」は軍国主義を進める上で不可欠となる「平和勢力弾圧」のための法整備です。
 世に倦む日々氏は「幇間政治学者」として政治学者の中北浩爾・中央大教授と牧原出・東大教授を挙げ、「高市旋風」によって「民主主義が発狂して重篤状態に陥った危機を正面から捉え、渾身の批判と警告を発するのが政治学者たちの当然の任務だろう」に、実態は「著名政治学者が護憲左派勢力を根絶し葬送するセレモニーが始まっていて、左派政党支持者たちに屈服と断念を、護憲からの思想的転向を促す試みが渦巻いている」と述べます。
 そして「このすぐ後に9条改憲の政局が始まり、発議と国民投票へ進行する」に当たって、「政治学者たちは露払いをしているのであり、予告を与えると同時に、国民世論全体を改憲支持に固める思惑なのだ」と述べます
 二人共 1967~8年(戦後22~23年)に生まれた人たちなので、戦前を経験した丸山真男や南原繁であれば必ずしたであろう「警世」の言葉を発するという発想は無さそうです。
 残念なことというしかありません。
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幇間政治学者たちの護憲左派叩き - 9条改憲へ屈服を促す露払いのキャンペーン
                       世に倦む日日 2026年2月18日
最晩年の丸山真男が、「戦前は日本中がオウム真理教のようだった」と回顧していた。死の1年前に残した有名な言葉だが、衆院選後の今の日本がまさにカルト化した狂気魔境の世界であり、1930年代のファシズム下の日本とそっくり同じグロテスクな思想環境だと断言できる。高市政権は統一教会と日本会議の政権である。今回の選挙の影の主役は統一教会だった。マスコミは一切触れなかったが、選挙期間中、Xのタイムラインは統一教会批判で埋まっていて、高市と統一教会との関係を衝く声が溢れ、統一教会問題の隠蔽のために解散に逃げた高市を糾弾する声が毎日流れていた。統一教会がカルトである実態は誰でも承知している。カルトの統一教会が勝共連合という政治組織を持ち、日本の政治に大きな影響を与え、押し広げ、統一教会のめざす日本を実現しようとしてきた。統一教会のめざす理想の日本とは、まさに1930年代のファシズムの世界であり、戦争する反共全体主義の国だ

今、日本国民の多くが統一教会の政治思想に染まっている。統一教会のシンパになっており、世論調査はその事実を示唆している。カルトの定義を調べると、「特定の教祖や教義を熱狂的に崇拝する小集団、マインドコントロールを用いてメンバーに身体的・精神的・経済的な被害をもたらす」という説明が出る。統一教会の信者とその2世は、恐ろしい精神的・経済的被害を受けてきた。戦前の日本のファシズムでも、結果的に320万人が犠牲になり、空襲で家を焼かれ、焼け野原の飢餓禍に苛まれ、戦災孤児が溢れ、女性はパンパンに墜ちる生存の屈辱と悲哀を余儀なくされた。若者は学徒動員を強制され、少年は特攻隊になって死ぬ運命を選んだ。のみならず、海外で2000万人以上の無辜の民間人を殺戮した。「教祖や教義を熱狂的に崇拝」し、「マインドコントロール」に操縦された結果であり、カルトが国家を乗っ取って社会の全成員を信者にした帰結と惨劇である。カルトの狂気は悪魔的だ

本来、政治学はこの状況を異常として批判するためにある。過去の日本のファシズムと戦争がもたらした災禍を繰り返さぬため、その反省を積み重ね、思考と議論を重ねたのが日本の政治学だ。その代表であり中心に位置するのが、日本の戦後民主主義をリードした丸山真男の理論である。われわれの財産。本来なら、E.フロムの古典を借りるまでもなく、丸山真男の視角と方法をもって「高市旋風」の病弊的現実を対象化し、すなわち民主主義が発狂して重篤状態に陥った危機を正面から捉え、渾身の批判と警告を発するのが政治学者たちの当然の任務だろう。だが、今、マスコミで商売している著名学者たちは「高市旋風」の現象を批判していない。危機的とも感じていない。衆院選を評論する彼らの口調には、今回の結果と状況に対する拒絶や厭悪の感覚が全くない。その姿勢は逆で、高市現象の毒を肯定する言葉を並べ、選挙で多数となった歪んだ民意を合理化し正当化する言論を撒き散らしている

例えば、高市圧勝の政治に対して「押し活」の表象をあてがい、有権者が高市をアイドル視した結果だと総括する中北浩爾の妄論がその一つだ。高市人気の現象に対して「推し活」の語で意味づけていた論評は、中北のオリジナルではなく、昨年、7割から9割の高支持率を得ていた時点から蝶々されていた。私は不審で面妖なイデオロギー工作だと観察していた。高市を巧妙に人気アイドルに化けさせ、その擬制工作によって高市と多数大衆との関係性の政治的本質を無毒化し、エンターテインメントの世界の珍事のように仮構化する欺瞞である。この社会学もどきの表象の詐術によって、大衆は意味転換の回路に導かれ、高市支持を積極的正義として納得できる高市の黒い政治的毒性がクレンジングされ表面から消される。本来、日本の政治学者は、昨年秋の高市人気の当初から、こうした本質分析と暴露によって警鐘を鳴らすべきだった。だが、彼らは逆に転び、この邪悪な言説工作を唱導する司祭の立場になった

中北浩爾のイデオロギー的立場は、凡そ玉木国民と同位置と考えてよいだろう。右翼だ。昨年から、立憲民主に対して幾度もテレビの政治番組で「政策を現実的に変えろ」と要求し、安保法制を合憲と認めろ、原発再稼働も折れろ、玉木国民に合わせろと執拗に恫喝、口角泡を飛ばしていた。今回、中道新党が基本政策を右寄りに変節するに当たっては、中北の偏執的な扇動と策動が功を奏している。昨夏の参院選で得票を減らして展望を失った立憲民主の選挙総括の場に、この男はしゃしゃり出て、脱左派・脱リベラルを説く講釈と訓導を垂れていた。参院選後の公明離脱の折、俄かに首班指名で野党側に機会が転ぶ可能性が生じ、玉木が幼稚な野心を晒して国民の失笑を買う一幕があったが、その際も、立憲民主に右旋回をするように中北が出張って督促していた。テレビ局は、NHKから民放まで、例外なく中北浩爾を基準的なコメンテーターとして起用していて、面妖な阿世学者の見解を中立の座標軸に据えている

なので、党勢が衰弱一途で自信喪失となり、羅針盤を見失っていた立憲民主にとって、マスコミの総意と同意味を持つ中北浩爾の指導は相当に効いただろう。中北浩爾が玉木国民と同類の仲間だろうという見方は、おそらく誰もの共通認識のはずだが、その中北が「推し活」の語で高市圧勝を擁護する図を見れば、高市自民と玉木国民の間に何の差異もなく、政策と理念が同じで対立がない真実がよく了解できる。そのことは、榛葉賀津也の主張や態度からもさらによく確認できる。二つは完全コンパチブル⇒互換性のある)の右翼政党だ。自民の中に立憲や公明に近いと思われる石破茂のような存在が窺われ、微かなリベラル色の期待感が漂うけれど、それは仮想的な契機でしかない。高市自民、維新、玉木国民、参政、みらいは同じ理念と政策の政党であり、いつでも大政翼賛会を結成できる。衆院の9割は右翼ネオリベで支配された。中北浩爾は、その現実と勢力を肯定し、その方向性を国民に納得させる大政翼賛会の司祭に他ならない。

もう一人の牧原出も、やはり昨年の参院選当時、立憲民主の政策が左に寄り過ぎているとテレビで批判、政権を担える保守の責任政党になれと唱えていた記憶がある。今回、衆院選が終わった後、俄かにタイムラインの様相が一変し、牧原出のポストがやたら頻出するようになった。選挙期間中は、前に紹介した老壮青3人のポストに典型的な、激越な高市批判と右翼化世論への抵抗の声がオキュパイ⇒占拠)状態だった。は左派言論の牙城の景観を呈していたが、選挙結果が出た途端、戦後左翼叩きと9条悪罵の言説がフローアウト⇒溢れる)する腐海の世界になった。を編集するアルゴリズムに改変が加えられ、関数演算の変数のパラメータとバランスが変わったか、マニュアルで細工したとしか思えない。よく考えれば、タイムラインが反高市の左派が集結する拠点的性格に変ったのも最近の変化で、1年前や2年前は、いかにもE.マスクの趣味の反映と思われる屑ポストばかりが溢れ、移民叩きや保守党の宣伝や株儲け賛歌の類が多かった。

牧原出は選挙結果について、「戦後革新勢力の退場という現象が起きている」と言い、「共産党とそれに近づいた社会党のある部分が、まったく状況に適応できずに旧来の言い回しを繰り返した末、結局は国民から見捨てられたということでしょう」と毒突いている。シニカルで強烈な価値判断が示され、歯に衣着せぬというより下品な罵倒そのものが、日本共産党と立憲民主党に対して浴びせられている。アカウントの主が牧原出だと判らなければ、当該投稿はただの「ネトウヨ」の片言そのものであり、不埒な匿名右翼の落書きか誹謗中傷の吐き捨てに過ぎない。立場と責任を持ちながら、よくここまで暴論を置けるものだと意外に思う。別のポストでは、共産党など護憲の革新勢力を高齢者の限界集落に擬え、尊厳は認めないといけないが若い世代には継承されないと嫌味を言い、やはり「ネトウヨ」的な悪態をついている。牧原出の目からは、日本共産党とその支持者は不要な前世紀の遺物であり、無価値な存在であるらしい

たしかに日本共産党の支持層は高齢者に偏っている。それは事実だろう。だが、それを過疎地の限界集落に譬えて貶め、死滅しかないと侮蔑して愚弄する物言いは、日本の政治学者として良識と節度が問われる問題ではないか。責任を持てるのか。衆院選が始まった当初、報道1930に出演した佐藤千矢子が日本共産党を持ち上げる場面があった。直近2回の国政選挙で政治資金問題を争点に浮上させ、自民党の議席を減らす原動力となったのは共産党だったと率直に功績を讃えた。現実において、劣化し堕落する日本の政治を健全な状態に引き戻す上で、この政党は常に秀逸な役割を演じていて、民主主義の正義を生真面目に訴え、少数ながら重要な野党の価値を国政に提供している憲政において貴重な存在だ。その実績と貢献を、佐藤千矢子は評価できるが、牧原出は認識も検知もできないらしい。その原因を推察するなら、反共のバイアスが思考に被さり、悪意の動機が先行し、日本共産党の意義や真価を客観的に測定できないのだろう。

丸山真男は『現実主義の陥穽』の追記・補注でこう言っている。有名な一節を引用する。「私が第四論文で、共産主義と(英米的)民主主義の対抗という図式をもって現代日本の政治状況を理解することの公式性を指摘し、行動様式と人間関係の民主化を押しすすめ、もしくはチェックする政治的ダイナミックスを分析の中心課題に据えたこと、とくに大衆的規模における自主的人間の確立が、西欧社会と比べて相対的に『左』の集団の推進力を通じて進行するというパラドックスを提示したことは多くの議論を呼んだ。ここで民主化というのは西欧的、市民的意味でいうのでソ連的なそれをさすのでない(略)」(未来社本 増補旧版 P.513)。要点を簡潔に言えば、日本の戦後民主主義の運動を担い、政治の民主化に貢献したのは左派勢力だと言っている。その解釈での文脈理解が定説で常識であり、ラディカルな民主主義を主導した丸山真男らしい主張だろう。この碩学の指摘と洞察は、今日も説得的に生きていて、60余年の時空を超えて普遍的命題として妥当する。

日本の現実政治において、共産党は、身体的年齢に関係なく常にバイタルな存在であり、バイタルであるが故に右翼化する潮流(メインストリーム)から叩かれる。感情的憎悪が向けられて攻撃の対象となる。佐藤千矢子的な擁護は例外的だ。牧原出の反共言説は陳腐な愚論だが、山口二郎が声を合わせて、2/17 に「(この選挙は)『戦後の左派革新勢力』の終わりを象徴する選挙だったと言える」と総括を示したことで、何やら容易ならぬ気配が漂い始めた現状に気づく。著名政治学者が護憲左派勢力を根絶し葬送するセレモニーが始まっていて、左派政党支持者たちに屈服と断念を、護憲からの思想的転向を促す試みが渦巻いている動向が分かる。誰でも感じ取るのは、このすぐ後に9条改憲の政局が始まり、発議と国民投票へ進行することだろう。政治学者たちは露払いをしているのであり、予告を与えると同時に、国民世論全体を改憲支持に固める思惑なのだ。国論が割れて対立する状態になると具合が悪いから、9条改憲(自衛隊明記)で一つに纏めたいのだろう

最後に、日本政治学会という団体がある。戦後の1948年に創設された。会に所属する研究者が持つべき共通理念とか、日本の政治学がめざす目標とかの約束事は特にない。が、会を紹介するページに学会年報創刊号の文章の抜粋があり、冒頭に「永久平和の実現と文化國家の建設とをめざす新しい體制が前進すると共に」会が立ち上がった原点が説明されている。戦後民主主義の日本の出発に即して学会は設立された。初代会長は南原繁。永久平和の実現」という文言に、カント研究者であった南原繁の抱負と意志が感じられる。1946年、貴族院議員として憲法審議に携わった南原繁は、カントの理想に準じ、憲法9条の戦争放棄・戦力不保持の原則を強く擁護した。南原繁は左翼ではなかったが、憲法9条を擁護、平和憲法の制定に尽力した戦後日本のファウンダー⇒創業者)の一人だ。然るに、今、南原繁の遠い弟子筋であるはずの政治学者たちが、目を血走らせて9条護憲派を叩き、護憲派の終焉を咆哮し、その絶滅に向けて狂奔する姿は何なのだろうか

高市の幇間となって改憲に疾駆する彼らを、南原繁はどう見ているだろう。憤りを抑えられない。