2012年10月27日土曜日

冤罪は「人質司法」で大量生産

 約10日前にパソコンの遠隔操作による4人の誤認逮捕事件が明らかになりました。これは余りにも誤認逮捕・起訴が明白であったので、多くの新聞が警察・検察を非難する社説を掲げました(一例を下に示します)。
それらを読むと各紙は一様に「自白の誘導」があったのではないかという追及をしています。しかし「自白の誘導」とは具体的にどういうことなのでしょうか。自白して起訴されれば、大学生は退学を余儀なくされてその後の人生は著しく制約を受けますし、サラリーマンは解雇されてたちまち収入の道が閉ざされます。無実の人がどうしてそんな不利な道を選択するのでしょうか。
 一般の人にはとても理解できないことですが、司法関係者にとっては不思議でもなんでもない事柄なのです。「自白しなければいつまでも拘留しておく」と被疑者を脅かすことで目的を達するもので、「人質司法」と呼ばれる手法です。検察からそう言われれば、多くの人は虚偽の自白をしても何はともあれ警察・検察による拘束から解放されようとします。もしも逮捕者が一家の主要な稼ぎ手であれば、尚更家族を飢えさせるわけにはいかないのでそうするでしょう。
これらのことは司法記者たちも当然知っているのですが、やはり検察から不利な扱いをされたくないので普通は報道しません。 

 そうしたところようやく27日付の東京新聞に、「『人質司法』 虚偽自白の温床なくせ」と題する勇気ある社説が載りました。 

 ところで冤罪を容易に仕組めるものに「痴漢事件」があります。これは痴漢被害者を含む悪意の証言者が居さえすれば、検挙された人がいくら無を主張してもその証明が困難であるために、極めて容易に痴漢事件が成立するからです。
数カ月前にも、ある経済雑誌が政府にとって都合の悪い記事を出した途端に、そこの編集長が痴漢事件で逮捕されるという事件がありました。編集長を良く知る人たちはデッチアゲに違いないと主張しています。

 小泉政権時代にその経済政策を痛烈に批判したために、その間2度までも痴漢事件を仕組まれて遂に表舞台から放逐された気鋭の経済学者植草一秀氏(彼の主張を聞く限りそのように理解されます)も、22日の時点でこれらの誤認逮捕事件の本質について極めて説得力のあるブログを書いています。 

{10/20~23頃の各紙社説の一例}
ネット誤認逮捕 検証の結果公表が必要  毎日新聞 社説 10/23
PC誤認逮捕 捜査の怠慢が失態招いた  西日本新聞 社説 10/23
PC誤認逮捕 これが捜査と言えるか  北海道新聞 社説 10/23
PC誤認逮捕 不当な取り調べ根絶を  京都新聞 社説 10/21
PC誤認逮捕 ずさん捜査の結果だ  東京新聞 社説 10/20

以下に東京新聞の社説と植草氏のブログを紹介します。
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【社説】 「人質司法」 虚偽自白の温床なくせ
東京新聞 20121027 

 自白をしないと身柄拘束を続ける捜査手法は、法曹界で「人質司法」と呼ばれる。パソコンの遠隔操作による誤認逮捕事件でも、この疑惑が浮かんだ。拘置や保釈制度は早く改善されるべきだ。
 パソコンで小学校の襲撃予告を書き込んだ差出人は「鬼殺銃蔵」だった。逮捕された大学生の少年は、「鬼殺は日本酒名で、銃蔵は不吉な数字の十三から」「楽しそうな小学生を見て、脅かしてやろうと思った」との趣旨の上申書を書いた。
 犯人でもないのに、どうして、迫真の内容になったのか。捜査官による自白の誘導があったとしか思えない。
 検察は保護観察処分の取り消しを家庭裁判所に要請したものの、自白の経緯の検証結果は、少年事件であることを理由に公表しないとしてきた。少年のプライバシーは保護されるのは当然として、焦点は捜査当局の過ちである。検証結果はむしろ公表されるべきだ。
 とくに捜査官に「認めないと少年院に行く」「否認すると(拘束期間が)長くなる」と言われたと伝えられる。捜査当局は否定するが、もし事実ならば、まさに「人質司法」そのものではないか。
 初公判前の保釈率は、否認のケースは自白のケースと比べて半分ほどだといわれる。重大事件でなくても、数カ月以上、保釈されないこともある。
 大阪地検の郵便不正事件に巻き込まれた厚生労働省の村木厚子さんは、無実であるのに、百六十日以上も拘置された。部下だった係長は罪を認めたため、起訴後にすぐに保釈されたのと対照的だ。

 否認すれば、長く拘置される実態は、被疑者・被告人の自由と引き換えに、虚偽の自白を生む温床となる。無実の人はその間に仕事を失うなど、社会生活上でさまざまな深刻な打撃をこうむる。

 そもそも、無罪推定を受けているのだから、自分の無実を証明するため、速やかに保釈されるのが基本でないだろうか。裁判所が拘置すべきかどうか、きちんと判断しているのか極めて疑わしい。
 日弁連では拘置の代替手段として、「住居等制限命令制度」の創設を提案している。逃亡や証拠隠滅を防ぐため、住居の特定や事件関係者との接触禁止などを裁判所が命令する仕組みだ。
 法制審議会の特別部会で、新しい刑事司法について議論されている。冤罪(えんざい)が絶えない現状を考えれば、この新制度も真剣に検討する時期に来ている。
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PC誤認逮捕で露見の警察検察暴走は氷山の一角
植草一秀「知られざる真実」20121022 

他人のパソコンの遠隔操作事件で、警察が逮捕し、検察が起訴などを行い、有罪事案等で処理されていた四人の男性は全員が無実だった。東京新聞は10月20日付社説に「PC誤認逮捕 ずさん捜査の結果だ」のタイトルを付けて警察批判論説を掲載したが、このタイトルは必ずしも問題の本質を衝いていない。「ずさん」も事実だから間違いではないが、問題の本質は捜査がずさんだったことにあるのではない。現行の捜査手法のなかに、いくらでも「冤罪」を生み出す「装置」が内在されていることだ。

この問題でまず問われねばならないことは、無実の人間の「自白調書」がなぜ存在しているのかという点にある。罪を犯していないのに、被疑者が率先して「罪を犯した」と供述することはあり得ない。「罪を犯していない」ことが明かであり、自発的に「罪を犯した」と供述する理由が存在しないのに、「罪を犯した」とする「供述」調書が存在するということは、この「供述調書」には、何らかの人為的な力が加えられていたことになる。警察、検察には、うその自白調書を被疑者に作成させるための「武器」が無尽蔵に存在する 

第一の武器は、被疑者を不当に長期勾留する権限だ。普通の人は「逮捕」ということすら経験がない。「認めろ。認めなければ逮捕する。」との「脅迫」が、うその自白調書を生み出す最大の原動力になる。「認めればすぐに釈放する。認めなければ逮捕して長期勾留する。」との「取引」が提示される場合、普通の市民が「うその供述調書」作成に応じてしまう可能性は決して低くない。しかも警察は必ずこのように述べる。
認めればすぐに釈放し、どこにも公開しない。認めなければ逮捕、勾留して、長期間外に出られないようにする。マスコミにも公表する。」この「取引」が提示されれば、市民がこの「取引」に応じてしまう可能性は決して低くない。まして、事案が「痴漢事案」のような破廉恥罪の場合、マスコミ公表による損失は計り知れない。 

どこに問題があるのかと言えば、警察、検察の捜査の手法が、真実を明らかにして、法令の適正な運用を実現することに目的を置いているものではなく、警察、検察が身柄を確保した「被疑者」を罪人にしてしまうことに目的が置かれている点にある。
刑事訴訟法第一条には次の条文が置かれている。
第一条  この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。
この条文にある「個人の基本的人権の保障」、「事案の真相を明らかにし」という部分が無視されている。「冤罪」はこの世に存在する最大の人権侵害である。基本的人権を保障するには、まず、冤罪の発生を絶対に回避しなければならない。

その考え方を表わすものが「無辜の不処罰」の原則だ。「無辜」とは「むこ」と読む。「罪のないこと、無実」である。「無辜の不処罰」の原則は、「10人の真犯人を逃しても一人の無辜を処罰するなかれ」の言葉で表現される。「たとえ10人の真犯人を逃すことになっても、一人であっても、決して無実の人間を処罰してはならない」という考え方だ。
ところが現実にはどうか。今回露見した遠隔操作事件では、4人全員が無実であったのに、4人全員を警察、検察は「犯人」として処理していたのである。これは偶然ではない。これが警察捜査、検察捜査の「実態」なのだ。この現状が存在するという裏側に、実はさらに恐ろしい現実が存在する。それは、国家権力が特定のターゲットを犯罪人に仕立て上げることが、極めて容易であるということだ。ターゲットを警察の領域に引きずり込むことにさえ成功すれば、市民を犯罪人に仕立て上げることは朝飯前と言ってもよい。

警察には、市民を「逮捕する」権限、市民を「勾留する」権限、案を「勝手にメディアに横流しする」権限がある。これが警察、検察が保持する、犯人捏造のための「強力な武器」なのである。そして、市民が無実の主張を貫いても、警察、検察は、容易にこの無辜の市民を犯罪者に仕立て上げることができる。
市民が日本国憲法や刑事訴訟法の細目についての正確な知識を持っていればある程度の防御ができる。しかし、突然警察に連行される市民は、通常、このような予備知識を持たない。これも警察、検察の無法行為を助長する。他方、警察、検察は日本国憲法、刑事訴訟法が定める規則を遵守しない。

DUE PROCESS OF LAW という言葉がある。法律の適正手続きである。この「法律の適正手続きの遵守」の規定を警察、検察は完全に無視している。そして、裁判所がこの不法を放置している。もっとも根源的な基本的人権であるところの身体の自由を制限することになる刑事訴訟手続きの運用においては、憲法や法律の規定が厳格に遵守される必要があるが、日本においては、この点がまったく認識されていない。まさに「ずさんな」運用が放置されている。
例えば、市民を逮捕するためには明確な要件と、厳格な手続きを経ることが必要不可欠だが、現実には、驚くべきずさんな運用が行われている。 (以下は有料のため省略)