2017年2月26日日曜日

国連の「平和に生きる権利宣言」に日本は反対 

 昨年12月に、平和に生きる権利をすべての人に認める「平和への権利宣言」が国連総会で採択されたことが分かりました
 これは国家が関与する戦争や紛争に、個人が「人権侵害」と反対できる根拠となる宣言です。
 
 最初にスペインのNGOが、イラクにおいてアメリカの攻撃によって最終的に百万人を超える民間人が犠牲になった惨状に疑問を呈し、「平和に対する人権規定があれば戦争を止められるのではないか」として動き出しました。
 憲法の前文で「全世界の国民が、平和のうちに生存する権利を有する」と謳っている日本のNGOがその動きに参加して、「平和への権利宣言」(案)が完成しました。
 
 国連総会では131か国が賛成(34か国が反対、棄権は19か国)し採択されましたが、日本はなんと米英などイラク戦争の有志連合の多くの国と共に反対に回りました。
 ちなみに安保理の常任理事国5か国では中国とロシアが賛成し、アメリカ、イギリス、フランスが反対しました。またG7ではイタリアが棄権した以外、日本を含む6か国がすべて反対に回りました。
 
 日本の憲法の精神を盛り込んだこの権利宣言にどうして反対しなければならないのでしょうか。それこそは、国家が関与する戦争や紛争に個人が「人権侵害」と反対できる根拠を与えたくないという考えに他なりません。
 東京新聞の記事と関連する3つのブログの記事を紹介します。
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「平和に生きる権利」日本、採決反対 戦争を「人権侵害」と反対する根拠 国連総会で宣言
東京新聞 2017年2月19日
 平和に生きる権利をすべての人に認める「平和への権利宣言」が国連総会で採択された。国家が関与する戦争や紛争に、個人が「人権侵害」と反対できる根拠となる宣言。日本の非政府組織(NGO)も深く関与し、日本国憲法の理念も反映された。NGOは宣言を具体化する国際条約をつくるよう各国に働きかけていく。 (清水俊介)

  【平和への権利宣言(抜粋)】
(第1条)  すべての人は、すべての人権が保障され、発展が実現するような平和を享受する権利を有する
(第2条)  国家は、平等、正義および法の支配を尊重し、平和を構築する手段として恐怖と欠乏からの自由を保障すべきだ
(第3条)  国家、国連は、この宣言を実施するために適切で持続可能な手段を取るべきだ。市民社会は支援を奨励される
(第4条)  寛容、対話、連帯の精神を強化するため、国際・国家機関による平和教育が促進される
(第5条)  この宣言は、国連憲章、世界人権宣言および国際・地域文書に沿って理解される
 
 日本のNGO「平和への権利国際キャンペーン・日本実行委員会」によると、きっかけは二〇〇三年のイラク戦争。多くの市民が巻き込まれたことをスペインのNGOが疑問視し「平和に対する人権規定があれば戦争を止められたのでは」と動き始めた。賛同が広がり、NGOも出席できる国連人権理事会での議論を経て、昨年十二月の国連総会で宣言を採択した。

 宣言は、すべての人が「平和を享受する権利を有する」と明記。宣言を実施するための「適切で持続可能な手段」を各国や国連に求めた。国連が「平和への権利」を個人の人権として認めた意義は大きい。
 立案段階で日本実行委は「全世界の国民が、平和のうちに生存する権利を有する」との日本国憲法前文を伝え、宣言に生かされる形に。憲法施行七十年となる今年、各国のNGOとともに、国際条約をつくって批准するよう働き掛けを強めていきたい考え。
 ただ、国連総会では、米英などイラク戦争の有志連合の多くが反対。日本も反対に回った。日本外務省人権人道課の担当者は「理念は賛成だが、各国で意見が一致しておらず議論が熟していない」と説明する。
 
 
安倍政権が国連総会で「平和のうちに生きる権利」の宣言に反対していた!
Everyone says I love you ! 2017年2月19日
 これはショックです。
 日本国憲法前文と憲法9条の規定が相まって、平和的生存権が規定されていることには憲法学上争いがありません(その法的性質・効力については争いがあるが)。
 
 憲法前文の該当箇所をご覧ください。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
 
 実に高らかな宣言なのですが、この日本国憲法の平和的生存権をも源流とする「平和への権利宣言」が2016年12月に国連総会で採択されたのに、イラク戦争の有志連合の多くがこれに反対し、あろうことか日本まで反対しているという記事が今朝の東京新聞に載っています。
 
 平和への権利宣言第1条は
  「すべての人は、すべての人権が保障され、発展が実現するような平和を享受する権利を有する」とあり、
 第2条では
  「国家は平等、正義および法の支配を尊重し、平和を構築する手段として恐怖と欠乏からの自由を保障すべきだ」
となっており、世界の憲法でも特に平和について先進的な日本国憲法に影響を受けていることは明らかです。
 
 戦争に参戦している国々は戦争の被害者になっている市民たちにこの平和的生存権が認められると都合が悪いのでしょう。
 では、いったいなぜ日本はこの宣言に賛成できないのでしょうか。実に恥ずかしく、嘆かわしいことです。
 諸国民の平和のうちに生きる権利を否定するのは、いずれ戦争を起こすからだとしか思えません。
 
 
憲法の理念を生かした「平和に生きる権利」宣言、国連総会で採択 アベ政権が反対した理由とは? http://6days-ayame.seesaa.net/article/447163549.html
六日の菖蒲 2017年2月21日
国連総会は昨年12月19日、「平和への権利宣言」を賛成多数で採択したことが、今日の東京新聞1面で報じられた。
(第1条) 「すべての人は、すべての人権が保証され、発展が実現するような平和を享受す
         る権利を有する」。
 
誰にでも「平和に生きる権利」があり、保証される。こんな当たり前のことが、記事を読んで、いままで顧みられなかったことに気が付き、愕然とした。
いま世界では、例えば日本の国会で問題となっている「南スーダン内戦」や、それに伴い、毎日2000人もの人たちが、隣国ウガンダなどへ難民となって逃れているという(きょうのTBS「サンデーモーニング」安田奈津紀コメンテーター)。
もちろん、そればかりではない。戦火が収まらないシリア、イラクなどの中東諸国、ヨーロッパにまで波及している“テロ”と難民など、いたるところで日々命が失われている状況が、私たちの住む地球上では繰り返されている。
 
だが、そんな戦火やテロが渦巻いている国や地域でも、その原因を作った国家による武力行使などに対して、各国民が「平和に暮らす権利への侵害」として、暴力の中止を求める根拠となるよう、この宣言は採択された
もともと平和の問題は国連なり各国政府がやるもので、個人がものを言うなどの発想はなかった。だが、2003年に始まったイラク戦争で無実の人たちが殺され、「人権問題として許されるのか」という声が上がったところから、「宣言」採択への準備と働き掛けが始まったという(「平和への権利国際キャンペーン・日本実行委員会」事務局長・笹本潤弁護士)。
 
世界では、最初にスペインのNGOがイラクの状況に疑問を呈し、「平和に対する人権規定があれば戦争を止められるのではないか」として動き出した。その動きに、日本のNGOもジョイントした
日本は「全世界の国民が、平和のうちに生存する権利を有する」(前文)と謳った憲法を持つ。その権利をどう使い、何ができるかは日本にしか言えない。
そんな思いからNGOは動き始め、平和への権利宣言に結びついた。
笹本事務局長は、今年が日本国憲法施行70年となるのを機に各国のNGOとの連携を深め、今後は条約化を目指すという。
 
「平和に生きる権利」が国際条約化され、各国が批准すれば、より拘束力のあるものになる。児童の権利も女性の権利も、まず国連総会が権利の存在を認めたことから、より普遍的なものとして国際社会に認知されるようになった。
例えば、日本には、憲法の平和的生存権があるから、それを根拠に、国民が「安全保障関連法は違憲だ」と主張できる
同様に、世界の国々の国民が「平和への権利を侵害する行為をやめろ」と集会で発言したり、政府に求めたり、裁判で訴えたりできるようになり、広範な個人が、平和と安全の問題にかかわることができるようになるのだ。
 
日本政府(アベ政権)はなぜ反対したのか
だが日本やアメリカなどの主要国の多くが採決で反対した。アメリカは「国際平和の問題は国連安保理で議論すべき課題だ」と主張し、自らの発言権が相対的に小さい総会の場での議論には消極的だった。国連を、自国の優位性を維持するための機関として私物化しようとしていることが見え見えな対応だ。
安保理の常任理事国5か国では、中国とロシアが賛成し、アメリカ、イギリス、フランスは反対G7では、イタリアが棄権した以外、日本を含む6か国がすべて反対に回った。
中 略日本は例によって“米国追従”の姿勢に終始。外務省の担当者は「中南米の国々は、国際法上詰めた議論がなされていない人権について活発に提起する傾向がある」と指摘しているという。
なんとも、「後進国は“人権”についてよく理解をしていない」と言わんばかりの、見下した言説とも受け取れ、実際は「米国が反対だから」とか「西側先進国グループが反対だから」として反対票を投じただけで、一貫して後ろ向きだった。
 
憲法の精神を尊重するのであれば、日本こそが国際世論をリードしていくべき立場のはずだが、国連総会では「国際社会の中で名誉ある地位を占めよう」(憲法前文)とする積極性もなければ、世界の平和や人権を守るために欧米諸国を説得しようという気概も持ち合わせていないことが、はっきりと分かる。
「宣言」を採決した国連総会では、131か国が賛成、34か国が反対(棄権19か国)だった。
反対したのは、米国やEU諸国(イギリス、フランス、ドイツなどほとんどのヨーロッパ諸国)、それに日本、韓国などだ(イタリア、ポルトガル、トルコなどは棄権に回った)。
(後 略)
 
 
「平和に生きる権利」を認めないのが日本政府のホンネらしい。
「各国で意見が一致していない」という言い訳は無能の証明。
 外務省人権人道課は仕事しなさい。
村野瀬玲奈の秘書課広報室 2017年2月25日
「平和に生きる権利」を議論する国連総会において、日本は採決に反対したとのこと。この全く理解できない日本政府の言い訳について苦言を呈します。「平和に生きる権利」を日本政府は認めたがらない様子ですが、本当に「各国で意見が一致しておらず議論が熟していない」のなら、各国を議論の場に引き出すリーダーシップを発揮して議論を熟させるのが日本がするべき仕事のはずです。
 
日本政府の受け身、指示待ち、無気力な態度は、「戦争がこの世から消えるまで戦争に反対しない」と言っているように聞こえます。こんな政府を税金で養うことに怒りを感じます。
19日付 東京新聞 記事本文 省略
仕事をしているように見えない外務省人権人道課はいったい何のためにあるんでしょうか。