2013年6月7日金曜日

幣原首相がマ司令官に9条を進言

 旧制長岡中学出身の作家 半藤一利さんが5日、議員連盟「立憲フォーラム」主催の講演会で、憲法9条幣原喜重郎首相がマッカーサー最高司令官に進言したもので、アメリカから『押し付け』られたものではない強調しました。

 憲法9条を幣原氏がマ元帥に進言したことは、元衆院議員平野三郎氏が氏から1951(昭和26)年2月下旬に直接聴取して、のちにその内容は憲法調査会事務局発行の文書(1964(昭和39)年2付)になりました。

 ・・・原子爆弾が開発された新時代ではもう戦争を起こしてはならず、世界は強大な単一軍隊を持って、各国の軍隊は警察力程度に縮小させなければならない。そのためには誰かがまず自発的に武器を捨てなくてはならないが、それには日本こそが相応しい。・・・ 幣原氏はそんな考えから(9条の)戦争放棄・非武装に想到しました。

 当時オーストラリアやニュージーランドなどがソ連の主張する天皇制廃止論に傾きつつあるなかで、マ元帥は米本国の意向もあり(象徴)天皇制を存続させることに腐心していたのですが、幣原氏が1946年1月24日にマ元帥と2人きりで長時間対話したときにこの案を持ち出したところ、戦争放棄を前提にすれば天皇制を存続しやすくなるので懸案が解決されることになったというものです。この「戦争の放棄」(戦力の不保持)にはマッカーサー自身が驚いていたということです。
 
 それは丁度、幣原内閣下の松本委員会が新憲法案を作成しつつあった段階でしたが、これは完全な幣原氏の個人プレイであって松本氏にも一切語りませんでした。(事実 松本委員会の作成した憲法草案はとても保守的であったためGHQに拒否されました)

 この逸話は知る人ぞ知るでしたが、5月4日のブログ「津久井進の弁護士ノート」 「憲法9条は,日本側からGHQに押し付けた妙策だった」と題する記事のなかで紹介され、それがいくつかの有名なブログで引用されました。
(上記ブログには憲法調査会事務局発行の文書も掲載されています)

 以下に新潟日報の記事を紹介します。
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9条「押しつけではない」 半藤一利さんが講演・参院議員会館
新潟日報 201366
 旧制長岡中学(現長岡高)出身の作家、半藤一利さんが5日、参院議員会館で日本国憲法をテーマに講演した。国会議員や市民計約100人を前に、現行憲法は敗戦に直面した政治家たちが「平和日本を目指し、丁寧に議論して作ったもので『押し付け』ではない」と強調。戦争放棄をうたった9条改正に反対した。

 講演は憲法改正の発議要件を緩和する96条改正に反対する超党派の議員連盟「立憲フォーラム」が主催した。
 半藤さんは憲法9条について、幣原喜重郎首相が連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官と会談した際、「不戦の精神を取り戻して戦後日本をつくりたいと、幣原さんの方から提案した」と説明。「日本人自らが決めた憲法だ」と、“押し付け論”を否定した。
 「東京と長岡で空襲に遭い、戦争を味わった。新憲法が発表されたとき『これで日本はアジアのスイスになる』と思った」と、終戦当時の心境を振り返った。
 憲法改正が参院選の争点に浮上しているが、「現行憲法は(作成当時の)人権思想、民主・平和主義の最先端を日本人が用いた。守るだけではなく、むしろ広めていくべきだ」と話した。