15日付の東京新聞の「筆洗」(編集者メモのようなもの)に、自民党改憲草案の基本的人権の保障は、1977年制定の旧ソ連憲法と同等だとする記事が載りました。
旧ソ連憲法下でも「ソ連邦の市民は…政治的および個人的な権利と自由のすべてを享有する」と一応はうたわれたものの、同じ条文に「市民による権利と自由の行使は、社会と国家の利益を損なうものであってはならない」という但し書きが付けられていて、それにより政府の望むままの圧制が可能になったというものです。
自民党改憲草案でも同じことで、12条(国民の自由と権利)、13条(生命、自由及び幸福追求に対する権利)、21条(集会・結社・言論・出版その他一切の表現の自由)、29条(財産権)では、一応はそれらの自由や権利を認めるとはされていますが、同時にそれらのすべては「公益及び公の秩序に反さない範囲内で」認められるという制限が付されています。
その構造は大日本帝国憲法と瓜二つだということはかねてから言われてきましたが、此度は旧ソ連憲法とも同等ということが明らかにされました。
もうひとつ、自民党改憲草案の「国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」については、悪名高きソ連憲法にもそんな規定はなかったということです。
以下に15日付の東京新聞の「筆洗」を紹介します。
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筆 洗
東京新聞 2013年6月15日
あのソ連においてすら、市民の基本的な権利や自由は、憲法で保障されていた。言論弾圧、反体制派の社会的抹殺など日常茶飯事だった国家においてもだ。
一九七七年制定の憲法の三九条には明記されていた。<ソ連邦の市民は…政治的および個人的な権利と自由のすべてを享有する>。立派なものだ。では、数々の弾圧は違憲だったのか。
そうではない。同じ三九条で<市民による権利と自由の行使は、社会と国家の利益を損なうものであってはならない>と制限されていたのだ。要するに、当局が「社会と国家のためにならぬ」と判断すれば、人権など、どうとでもできる仕組みだった。
だから、九三年制定のロシア連邦憲法では<権利の行使は、他者の権利と自由を侵害してはならない>と簡潔に記すにとどめた。肥大する国家権力の恐ろしさを知ってのことだ(岩波文庫『世界憲法集』)。
実態としては今も人権がおびやかされる隣国の例を持ち出したのは、自民党の改憲案に不安を覚えるからだ。この案で権利の行使は<常に公益及び公の秩序に反してはならない>とされる。現在の<公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ>に比べ、ぐっと制限が強まりはしまいか。
自民案には<国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない>とも書かれている。悪名高きソ連憲法にも、そんな規定はなかったのだが。