世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました。
今度の参院選では自公が19議席を失うなか、参政党が0議席→14議席に(国民党は4議席→17議席に)躍進しました。
世に倦む日々氏は、「海外紙は、参政党を極右政党と位置づけて」正しく報じましたが、「日本のマスコミは参政党を〝極右”として定義せず、〝保守"の表象で認める欺瞞報道に逃げ、極右の正当化に手を貸している(「情報過多の時代でネットの時代だからこそ、情報を取捨選択する機関であるマスコミの意義と役割は大きいという前提を示し)」と批判しました。唯一TBSが 選挙中 参政党の「排外主義」について「報道特集」を行い適正な批判をしていました。
そして、「参政党の教育や医療や公衆衛生の政策を見ても、保守的ではなく、極端に過激な中身であることが一目瞭然だ。国家観を示す『憲法構想案』においては、卒倒するほど過激な内容が綴られていて、復古的というよりも、それを超えてヒステリックで無政府主義的な印象が強烈だ。憲法という形式や前提を逸脱した狂気が漂う(要旨)」と酷評します。
その背景事情として、「マスコミは第四の権力であり、国家社会の権力機関だ。そこには政治的意思や思惑があり、決して中立公平ではない。仮定を重ねた推理の披露で恐縮だが、今回、マスコミが参政党を注目株に祭り上げた意図は、石破自民党を過半数割れに追い込むためであり、アメリカCIAの差配だろうと私は裏読みする」と述べています。このCIA云々については植草一秀氏も指摘しているところです。
いずれにしても今回の参院選は、(国民党の伸長も含めて)不幸な結果を導きました。
トーマス・カーライルの「この国民にしてこの政府あり」がまたしても思い出されます。
記事は次の言葉で結ばれています。
「あのときと同じ構図が再現され、あのときと同じ政治結果となった。教訓を学ばず、同じ失敗を繰り返すのが人間だ」
この不幸の後、次回の国政選挙ではどんな結果が得られるのかとても気になります。
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極右・参政党が大躍進した参院選の政治の考察 - 躍進阻止に失敗した反対派
世に倦む日日 2025年7月23日
7/20、参院選の投開票が行われ、自公は目標の50議席を割り、参院で過半数を失う結果となった。議席数は、自民39(-13)、公明8(-6)、立憲22(±0)、国民17(+13)、参政14(+14)、維新7(+1)、共産3(-4)、れいわ3(+1)。参政と国民が大躍進し、自民と公明は歴史的惨敗、共産は決定的凋落となった。マスコミは多極化時代の到来などと言い、新興保守政党の勃興などと評している。選挙の主役となった参政党について、英BBCは〝極右”と表現し、ロイターも 〝極右の過激派” fringe far-right と整理分類して紹介した。仏ルモンド紙も「若い極右政党がポピュリズムを扇動し、外国人嫌悪を打ち出して歴史的な得票を実現した」と書き、参政党を極右政党と位置づけた。ジャーナリズムとして正確で妥当で常識的な伝え方だが、日本のマスコミは参政党を〝極右”として定義せず、〝保守"の表象で認める欺瞞報道に逃げ、極右の正当化に手を貸している。
海外マスコミは、参政党の「日本人ファースト」の標語に着目し、その外国人排斥と差別の政策に対して、また反ワクチンの行政措置を公然と押し出した姿勢に対して警戒を示し、日本の政治状況が極端に右翼方向に傾いた事実を伝えている。欧米の外国人記者から見て、参政党の躍進は、各国で猖獗を極めている極右政党と同じ体質と性格の政党がカーボンコピーの如く日本で出現した危険な事態であり、極右の台頭としか呼びようのないネガティブな現実だろう。眉を顰めて眺めている様子が記事行間から窺い知れる。無論、当然ながら、欧米マスコミによる語の選択が正しく、右翼に阿諂して参政党を美化する日本マスコミの認識が歪んでいるのは言うまでもない。日本のマスコミは、参政党とその支持層にひたすら無条件に〝保守”という言葉をあてがい、オーディナリー(⇒普通の)な存在として積極的に承認し、主義主張をエンドース(⇒裏書保証)する態度に出ている。維新や自民と同じカテゴリーにして化粧を施す
海外マスコミは、参政党の反ワクチンや外国人排斥に焦点を当て、その異端性を嫌忌し、この政党を〝保守”の範疇で取り扱うのは不適格だと判別するのだろう。そもそも〝保守"と言えば、その重要な要件として、現状を安易に変えないとか、伝統を固く守るという特徴と傾向があるはずで、言葉の意味からしても慎重で冷静で堅実なスタイルがイメージされる。が、参政党の教育や医療や公衆衛生の政策を見ても、コンサバティブ(⇒保守的)ではなく、極端にラディカルな中身であることが一目瞭然だ。国家観を示す「憲法構想案」においては、卒倒するほど過激な内容が綴られていて、復古的というよりも、それを超えてヒステリックでアナーキー(⇒無政府主義的)な印象が強烈だ。憲法という形式や前提を逸脱した狂気が漂う。ロイターは far-right の前に fringe という形容詞を付け、スラングの表現で、無類に過激だというニュアンスを滲ませており、この総括が正鵠を射ていると言えよう。〝保守”とする見方は不当で論理矛盾だ。
参政党はなぜこんなに躍進したのか。その理由は、神谷宗幣が自ら説明しているとおり、マスコミが大きく取り上げて脚光を浴びせたからである。参政党は、これまでは薄暗い隅っこに棲息する極右諸派だった。知名度は日本保守党と同じ程度で、党首が著名人ではなかったため、マスコミに登場する機会がなく、ネット界隈(X)でも決してビジビリティ(⇒認知度)は高くなかった。どういう政党なのか普通の市民は実像を知らなかった(私も)。たとえネットに動画が氾濫していても、マスコミがお墨付きを与えて情報提供しないと、一般市民はその対象に関心を持つことはしない。そこに価値を認める意識にはならない。情報過多の時代でネットの時代だからこそ、情報を取捨選択する機関であるマスコミの意義と役割は大きく、その影響力は大きいのだ。今回、マスコミは参政党を注目株に据え、報道でフォーカスし、序盤の〝情勢調査”で獲得議席予想が4だったのを、中盤に10に、終盤に15に増やして行った。
マスコミが報ずる〝情勢調査”がどこまで正確なのか、データに信憑性があるのか、庶民には確認し検証する術がない。疑って言挙げすれば〝陰謀論だ”と袋叩きされる。が、何十年もマスコミの世論調査に接してきて、産経新聞の捏造事件などにも遭遇した市井として率直に言えば、統計を出す者たちが事前に密かに相談し合い、政治的意図を持って細工している可能性は小さくないという懐疑を払拭できない。マスコミは第四の権力であり、国家社会の権力機関だ。そこには政治的意思や思惑があり、決して中立公平ではない。仮定を重ねた推理の披露で恐縮だが、今回、マスコミが参政党を注目株に祭り上げた意図は、石破自民党を過半数割れに追い込むためであり、アメリカCIAの差配だろうと私は裏読みする。政治とは陰謀の堆積(積分)であり過程(微分)である。その感性を持たない者は羊のように操縦されるだけだ。最近は、ジャパンハンドラーズとか日米合同委員会だとか、誰も言わなくなった。
アメリカがなぜ石破政権の転覆に出たかと言うと、トランプ関税に屈服せず抵抗を続けたからであり、邪魔で有害な日本の政権だからであり、岸田文雄とか小泉進次郎のような隷従一途の下僕に代えたいからだ。石破茂が田中角栄の弟子であり、北京で歓迎されるハト派の政治家で、しかも防衛政策の専門家だという点も、台湾有事の戦略を進行中のアメリカにとって目障りで不興な存在だっただろう。以上の推察が図星なのか妄想なのかは兎も角、マスコミの〝情勢報道”が敷いた方向性どおりに世論が染まり、バンドワゴン(⇒先導車)効果の奔流が不可逆となり、無党派が勝ち馬に乗る民意が形成された。公示から一週間ほどの間に、あっと言う間に関心の環境は変わった。当初は争点として討論されていた消費税問題はすっ飛び、他の政策論点もすべて蒸発し、参政党だけが唯一の話題となって選挙空間を支配した。その梃子となったのはマスコミの”情勢調査”であり、神谷宗幣が正直に語るとおり、それは参政党の宣伝になった。
したがって、参政党が大躍進を遂げた要因は、マスコミが参政党を持ち上げて宣伝したことによる。その点は、昨年の都知事選の石丸現象と同じ政治に他ならない。石丸伸二も、都知事選が始まるまでは無名の泡沫候補だった。中身カラッポの石丸伸二が一躍有力候補となって跳躍したのは、マスコミが「旋風が起きている」と言って劇場報道しまくったからであり、藤川晋之助と共謀したマスコミの自作自演の猿芝居だった。旋風が起きていたのではなく、マスコミが旋風を起こしたのであり、真相を意地悪く裏読みすれば、その目的は蓮舫から浮動票を奪うためだっただろう。参政党劇場もマスコミが扇動した一面で同じ図式だが、役者が違う点を指摘しなければならない。神谷宗幣はママゴト遊びではない。石丸伸二のような、未熟な幼児が醜悪に開き直りの遊戯をする、薄っぺらな無能ではない。それどころか、恐るべきカリスマ性を備え、職業政治家の資質を持っている。私の採点評価では、橋下徹を凌ぎ、山本太郎よりも上だ。
演説が巧みで、聴衆を惹き付ける能力に長けている。特に驚いたのは、7/20 のテレ朝の開票番組での大越健介との問答と応酬だった。生放送で、一方的に批判(と言うより難詰)を浴びせて畳みかける番組キャスターに対して、挑発に乗らず、忖度や迎合や妥協もせず、丁々発止で持論を貫徹して対峙した姿は、とても経験とスキルのない素人政治家とは思えなかった。大物になると確信させられた場面だった。参政党は、欧米マスコミが正しく定義しているとおり、異端の極右であり、ジェンダーとか外国人問題とか、およそ一般の常識や正論と乖離した立場にいて、ゆえに大越健介はいくらでも罵倒が許される関係性なのである。どれほど一方的に非難し、恫喝的口調で糾弾しても構わないのだ。大越健介はそれを計画し、神谷宗幣という悪玉をやり込めて黙らせる進行を想定し、本番で実践に出た。普通の政治家なら、論難されて黙るか、後先考えてテレ朝に忖度して引くか、修羅場になって醜聞を提供するかの結果になるのだ。だが、神谷宗幣は違った。
さて、反対派は参政党を止める方法はあった。選挙期間中に参政党を迎撃する機会はあった。その試みもあった。が、方法が間違っていたので失敗した。具体的に言おう。7/12 放送のTBS報道特集である。放送後に神谷宗幣からBPO申し立ての表明があったこの報道は、「外国人政策も争点に急浮上」と題されたもので、大阪公立大の明戸隆浩や立教大の砂川浩慶などが解説で出演し、参政党の政見が外国人差別の扇動であると指弾する内容だった。なぜ、この放送で、参政党の急所である憲法構想案に照準を合わせ、それを憲法学者に批判させる企画を組まなかったのだろう。私が番組の制作と編集に携わっていたらそうした。参政党を批判して、最も広く最大公約数的な支持と共感を得ようとするなら、あの憲法構想案を標的にしないといけないし、それが最も効果的だ。自民党に一票入れている右派でも、あるいは農協や医師会など支持団体の幹部でも、あの憲法構想案には腰を抜かすだろう。
論外だと否定する評価になるだろう。その議論は瞬く間にネットを覆い、マスコミで増幅され、参政党に反対する世論の勢いを作ったに違いない。マスコミが次々と報じる〝情勢調査”の報道にも変化が生じ、極右の参政党に市民権を与える動きにブレーキがかかったはずだ。ところが、日下部正樹はそれをせず、外国人問題に一点集中し、「差別」だの「ヘイト」だのの言説装置で参政党を糾弾する作戦に出たのである。これは、いわゆる文化左翼の立場と視角からの論理で、保守を含めた全体の世論からは一部の支持しか得られない限界がある。報道特集の方を批判する議論も当然起き、両者が衝突し、参政党に決定的ダメージは与えられない。結局、TBS報道特集は左派からの参政党叩きを代弁しただけという結末になった。選挙の結果を見れば、そういう結論にならざるを得ないだろう。日下部正樹がしばき隊的な政治思想を持っている論者だから、反差別・反ヘイトのテーマとメッセージの発信に夢中になるのである。
この問題は重要で、10年前の安保法制反対の政治が失敗したときと全く同じだと気づく。あのときも、序盤戦では反対派が明らかに世論上優勢で、安保法制を廃案に追い込む方向に進んでいた。反対派が世論の多数を獲得できたのは、木村草太、石川健治、長谷部恭男、小林節、樋口陽一ら憲法学者の言論と説得力の賜物である。憲法学者が奮闘し、憲法学者のアンケート調査を報ステ等のスタジオで反復提示して攻勢をかけたから、反対が善で正義という一般の認識に繋がったのだった。ところが、中盤から反対派の戦術が変わり、SEALDsが前面に出るようになり、「若者のデモ」が主役になった。その頃から空気が微妙に変わり、反対世論が弱まり、安倍晋三が粘り腰で時間稼ぎして押し切る展開を許した。反対運動に左翼色が強くなり、しばき隊が国会前とネット(Twitter)を仕切る政治が露骨になり、7月中旬には見通しが暗くなっていた。私はブログで、憲法学者を主役に戻せと叫び続けたが、左翼の空転と暴走を止められなかった。
あのときと同じ構図が再現され、あのときと同じ政治結果となった。教訓を学ばず、同じ失敗を繰り返すのが人間だ。