世に倦む日々氏が掲題の記事を載せました。
同氏は、日本のメディアや評論家が「参政党」を極右と認定せず、「その危険性を明確に指摘しないどころか、逆に国民党を含めて右翼二党のお神輿担ぎをしている」と批判します。
そして「右派と左派、右翼と左翼の対立は、現代政治において基礎的で根本的な問題」であり、「この対立軸をめぐって政党が分かれ、国民の支持を直接争うのが選挙戦である」として、「大雑把に、右側に参政・自民・国民が、左側に共産・れいわが、その中間に公明と立憲が位置する配置と構図となる。このイデオロギーと基本政策の対立軸を正視して意味を把握しないと、政治は何も理解することができない」、「政党の名前が変わっても、新たな意匠や標語で出現しても、政党は必ずこの配置図の中に収まるところとなる」として、具体的に3本の軸を呈示しました。
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右と左を分ける3本の対立軸 - 極右台頭への批判も警戒もない牧原出と中北浩爾
世に倦む日日 2025年7月30日
参院選の結果が出て一週間以上が経った。相変わらずマスコミは参政党を極右と呼ばない。そして予想どおり、参政党を「普通の野党」として認めて持ち上げ、その政策や政見を異端視したり危険視したりする態度で扱わない。一緒に躍進した国民民主党と同じ表象で捉え、〝改革保守”とか〝新興保守”という造語で範疇化し、ポジティブな意味を被せて報道、二党を同じバスケットに入れて総括している。10代20代の若者から支持を集めた国民民主党を称揚し、30代40代の現役世代の票を掘り起こした参政党に脚光を浴びせ、二党の勝利と成功を言祝いでいる。その〝民意"を積極的に評価する姿勢だ。さらにその裏返しで、得票と議席を大幅に失った共産党や公明党を、時代遅れの〝高齢者政党"だと嘲り、若者から見放された組織依存政党の末路だと切り捨てている。海外の視線や論調とは全く違うが、それは意に介してない。国民民主党と参政党が現代の正義だと言わんばかりだ。
安倍晋三に心酔し、安倍政治の片棒を担ぎ、安倍晋三のおかげでマスコミや大学等の業界で出世した者たちが、我が世の春が戻って来たとばかり有頂天になって狂騒している。国民民主党と参政党は、安倍政治のシンボルらしく、そのため、この2年ほど不調で冷や飯だった安倍政治系の界隈が沸き立ち、右翼ネオリベ路線の復活と再興に気分を高揚させている。不愉快で苛立たしい。前回の記事でも書いたが、私は、参政党を極右として正しく認識し分類し整理し定置すべしという立場であり、その視点を補強説明すべく、以下に教科書的な基本論を並べてみたい。本来、こうした地味な解説は、マスコミに出演する政治学の教授がギャラ仕事で担当すべき任務だろう。が、牧原出も、中北浩爾も、参政党を極右と認定せず、その危険性を明確に指摘しない。玉木国民民主の欺瞞性や有毒性を批判する視座を視聴者に提供しない。逆に、右翼二党のお神輿担ぎをする神主の如き役割を演じている。
右派と左派、右翼と左翼の対立は、現代政治において基礎的で根本的な問題であり、この対立軸をめぐって政党が分かれ、国民の支持を直接争うのが選挙戦である。大雑把に、右側に参政・自民・国民が、左側に共産・れいわが、その中間に公明と立憲が位置する配置と構図となる。このイデオロギーと基本政策の対立軸を正視して意味を把握しないと、政治は何も理解することができない。政党の名前が変わっても、新たな意匠や標語で出現しても、政党は必ずこの配置図の中に収まるところとなる。次に、右と左を分ける対立軸は3本ある。第1の軸は経済政策の軸であり、第2の軸は歴史認識と国家観の軸であり、第3の軸はジェンダーとマイノリティとDEI、すなわちアイデンティティポリティックスの軸である。3本の軸は次元が違う。できれば、この3本の軸を3次元座標の図に表示してイメージ図を描画すると分かりやすいが、それは別の機会の宿題にして、今回は文字だけで説明を並べる。
1.新自由主義(資本主義)か、公共主義(社会主義)か
右派が資本主義で、左派が社会主義だ。この対立は古典的だが、どれほど時間が経っても古くならない。政治を半世紀眺めた感想として、社会主義の政策や政党はどんどん弱く、資本主義の政策や政党はどんどん強くなっている。資本主義がケインズ的な、すなわち嘗ての宏池会・経世会的な修正と抑制を受けず、どんどんラディカルな純度と強度を増し、竹中平蔵的な新自由主義の猛毒性を増している。そのことによって日本の社会は甚だしく貧富の差が広がった構造になり、自己責任の原理が貫徹し、若者も高齢者も多くの国民が希望と意欲を失って疎外され、倫理を枯らして病んだ状態に荒廃している。救済の道筋が見出せないため、人々は倒錯して新NISAの証券投機に向かうなど、内面を自ら新自由主義化させ、マスコミに感化されてトランプを信奉し、SNSに誘導されてリバタリアンに恭順する生き方に染まっている。人格を資本主義化させ、人を傷つけ人に傷つけられて毎日を生きている。
この第1の軸で分けたとき、維新、国民、自民が右派となり、共産とれいわが左派で、公明はこの30年間政策は右派だが原点は中道だ。立憲は党内に右派と左派の二つがある。参政は中道的な素振りをしているが、ベールを脱いだ内実は維新・国民と同じ右派でトランプ流リバタリアンだろう。一瞥して、維新が最も新自由主義が露骨で、バックに竹中平蔵が付いている事実を公言している。国民民主も、終末期医療の見直しを公約し、尊厳死法制化を提言している。国民民主の消費税率5%という政策は、選挙のときだけ掲げる看板で、選挙で掲げてないと恰好がつかないだから掲げるだけで、本気で実現する意思はない。維新の食料品税率ゼロも同じだし、立憲民主の食料品税率ゼロも、今度の参院選で集票狙いで急に言い出した話であり、どこまで本気かは疑わしい。どちらも、単に議論の材料にし、選挙の釣り餌にするために出していて、野党の消費減税策を一本化させないための奸策の臭いが漂う。
社会主義の理念や政治はどんどん退潮傾向にある、というのは一面の真実だが、資本主義が生き続ける限り、それを修正・改良・改造・転換しようとする営みや試みも消えず、資本主義(新自由主義)の矛盾を解決し超克しようという政策や政治の模索が絶えることはない。先進諸国の多くの政党が採用し準拠したピケティの格差是正論もその一つだし、公共政府の金融と財政の役割を大きくし、雇用創出と社会保障をカバーしようとするケルトンのMMT(⇒現代貨幣理論)もその一つであると言える。左派だ。それに対して市場原理を重視し、資本の無制限の自由をどこまでも優先し、富裕層の所得減税を言い、庶民層の負担増を求め、それこそがあるべき社会の理想像だとする教義があり、右派の政策が推進される。その政策を合理化するプロパガンダがマスコミで撒かれる。この30年間、竹中平蔵とダボス会議がそれを担い、遂にE.マスクのリバタリアン思想の狂気的窮極まで発展した。価値観は常にぶつかり続け、政治の対立を媒介する。
2.平和憲法(戦後民主主義)の国家観を肯定するか否定するか
憲法9条の理念と構想を肯定し追求するのが左派で、それを否定し無価値化するのが右派である。説明も不要なほど単純な政治の事実だ。きわめて重要で根本的な対立軸であり、戦後の80年はその対立の歴史だった。現在、共産と社民が左派で、立憲の一部にも左派の要素が残っている。れいわも左派的だが、あまり強調していない。公明は原点は左派だったが、与党となって以降の政策は右派であり、大きく転向して改憲の策動に加担するようになった。その他の政党は、参政、維新、自民、国民、等々、悉く右派の範疇に属する。この第2の対立軸は、先の戦争に対する歴史認識と直結していて、先の戦争を侵略戦争として否定し反省するか、それとも正義の戦争として容認するかという価値判断で大きく分かれるところとなる。30年前、1995年の村山談話の頃から、『ゴーマニズム宣言』やら「新しい歴史教科書をつくる会」の動きが興隆し、勢力を増し続け、当時は反動だった右派の価値観が主流となり支配的となった
ちなみに、上皇と上皇后のスタンスは、その過去の発言や行動からして明らかに左派に位置し立脚していて、平和憲法の原理原則を擁護し、戦後民主主義に積極的にコミットする地平にある。二人の姿はまさに日本国憲法を体現しており、日本国憲法の前文と全条文に倫理的に誠実に純白に向き合い、日本国憲法の崇高な価値を日本国民に教える指導性となっている。さぞかし日本の現状を悲観し憂慮しているだろうと想像する。この第2の対立軸は、アメリカに対する関係を規定し、日米同盟・日米地位協定に対する姿勢を拘束する軸にもなっていて、日米同盟に最高価値を見い出し、アメリカへの追従を国家の絶対不可侵の原則とするのが右派である。逆に、対米自立を唱え、日米同盟を相対化し、中立の外交安保をめざすのが左派となる。戦後の冷戦から右派と左派の対立が始まり、厳しくなり、ソ連崩壊で一度は緩和・止揚の方向に向かうかに見えたが、右派が、さらにアメリカが、北朝鮮と中国を活用することで冷戦構造を再現し強化した。
ここで注意を促したいのは、石破茂の第2の対立軸に鑑みての政策態度であり、私が今の石破おろしの局面で石破茂を支持するのは、対米自立を特徴とした左派的側面が濃厚だからに他ならない。それは、中国との国交正常化を実現した田中角栄の姿と重なるし、田中角栄に繋がった石橋湛山を想起させる。後藤田正晴や海部俊樹や宮澤喜一や加藤紘一が元気だった頃、過去の自民党の中には、明らかに左派的なハト派の要素と成分があり、右派と左派の両方が内部に緊張しつつ共存していた。以上、第1の軸と第2の軸の二つが大きな対立軸としてあり、右派と左派の二つが、中間派を含めてアナログ的に分かれるという点は、日本の政治の前提的事実として了解いただけるだろうし、この対立軸を棚上げにしたり核心に据えない議論は、すべて本質を見落とした無意味な駄弁であり、アクロバティックな自己欺瞞の詭弁の類だと言っていい。そして、第1の軸の右派は第2の軸でも右派であり、第1の軸の左派は第2の軸でも左派となる
3.ジェンダー・マイノリティ・多様性の対立軸
第3の軸はアイデンティティポリティックス(⇒共通の政治的目標に向かうための結束)の問題系である。今世紀になって大きく浮上した新しいアジェンダであり政治の対立軸だ。今回の参院選では、外国人問題と選択的夫婦別姓が争点となった。この対立軸で分類したとき、明確な右派は参政党だけであり、自民党の中には両派があり、維新は曖昧で、残りの政党は、公明も国民も立憲も共産もれいわも左派の立場に属する。30年前の日本を振り返れば、この問題は大きな政治的争点にはならなかったし、圧倒的多数が保守的な立場と認識だった。時間の経過と共に価値観が大きく変わり、上野千鶴子が社会思想の正統の頂点に立つ時代状況になっている。アカデミーの内部から変わり始め、アカデミーの左派がこの思想と運動に新天地を見い出し、教育を変え、行政を変え、全体を変えて行った。90年代に勃興した総動員体制批判・国民主義批判の脱構築の思潮と流行が原動力となっている。この対立軸では常に左派がアドバンテージを持ち、アプリオリに保守派に優越し圧倒する。
この対立軸において保守派は異端であり、エンドース(⇒裏書保証)する学者や論者はいない。左派が正統で優勢となる理由と背景を探ると、WEF(ダボス会議)がジェンダーとマイノリティの政策を積極的に奉戴し推進している事実がある。私の視角から分析すれば、アイデンティティポリティックスの思想は、個人の自己決定権を最重視し神聖視する自由主義に由来し、そこから派生し拡延したもので、新自由主義と親和的に結合し、新自由主義を補完する機能のものだ。労働力商品の価値を切り下げたい動機を持つ資本にとって、女性を労働市場に駆り出し、移民を労働市場に取り込む上で、この思想は都合のいい装置だろう。専業主婦が社会から消えることは、働く夫たる労働者の賃金を半分にできることを意味する。労働力商品の単価を半額にでき、剰余価値を膨らませられる。こうした意見を述べると、すぐに左派から誹謗中傷が飛び、おまえは参政党かと袋叩きの目に遭うが、多様性の主義主張がWEFと経団連に支持され容易に正統の地位を得た秘密はここにある。
参政党が伸びた要因として、第3の対立軸で強烈なアンチテーゼ(反グローバリズム=反SDGs)を打ち上げた点を見逃せない。マスコミによる選択的夫婦別姓の世論調査を見ても、法制度化に慎重な声が意外に多い事実に気づく。マスコミでは例外なく賛成論をシャワーし、慎重派など一人もおらず、毎日のようにテレビでジェンダー論者が扇動しているのに、世間の実態は法制化に消極的なままだ。世論に影響を与えている契機として、アメリカのトランプが第3の軸の価値観における右派の旗振り役を演じていて、ジェンダーやマイノリティの主義主張にカウンターをかましている点が挙げられるだろう。神谷宗幣もトランプに傾倒している。それゆえ、日本の政治社会では異端であっても、アメリカのMAGAが自分と同じ立地であり、これこそ将来の主流だという自信に繋がっている。トランプの映像は毎日テレビに出る。半植民地と化した日本において、アメリカ大統領は無謬の神聖君主の扱いだから、トランプの言説が洪水的に宣伝され、国民はそれに洗脳される。
以上、日本政治の基本的な3本の対立軸を再確認した。参院選の結果は、こうしたベーシックな概念と表象を元に性格づけ、変化を整理し真相を分析して問題提起しなくてはいけない。牧原出の「第三極」論など浅薄なお茶濁しだろう。そもそも、国民民主党と参政党が「第三極」なら、「第二極」はどこに実在するのだろうか。意味不明の議論だ。海外マスコミが極右政党を極右政党と呼ぶのには意味があり、right(⇒右翼)が ultra-right や far-right(⇒極右)となるには両者の範疇を区別する具体的根拠がある。それは第二次世界大戦の歴史に関わり、ファシズムに対する歴史認識に関わっている。この問題についても基礎的な中身を検証する必要があり、また欧州の政治意識の変容を確認する必要があるし、関連して、最近のドイツ政治に顕著な「保守の極右化=極右の保守化」について目を配る必要があるが、稿が長くなるので省略したい。まともな政治学者が、基本に即して正しい考察を提供することを願う。左派野党がなぜ伸びなかったのかという問題も検討したいが、それも次回以降に論じよう。
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。