太平洋戦争が開始された1941年12月8日の朝、北大2年生の宮沢弘幸さんは、英語教官のレーン夫妻とともに特高警察に逮捕されました。宮沢・レーン冤罪事件の発端です。逮捕の容疑は、宮沢さんが樺太旅行の話を 尊敬していたレーンさんに話した際に、偶然見かけた根室の海軍飛行場のことを交えたのが国家機密の漏洩に当たり、レーン夫妻は不法にそれを取得したというものでした。宮沢さんはそんなことを知る由もなかったし、レーン夫妻も同様だったことでしょう。
裁判は非公開の秘密裁判であったため、東京に住む両親や家族もどんな理由で逮捕され、どんな風に裁判が進んでいるのか一切分かりませんでした。翌42年4月に起訴され、札幌地裁は宮沢さんとレーン氏に懲役15年、レーン夫人に12年という異常に重い判決を下しました。
問題の飛行場は、地域新聞「根室日報社」が34年に発行した絵はがきにちゃんと載ってたのにもかかわらず軍事秘密だとされました。弁護人は「新聞にも載っている周知の事実」などと主張しましたが、大審院(=最高裁)は「海軍が公表していなければ秘密に該当する」と退け、翌43年6月に最高裁で刑が確定しました。
まことに驚くべき理由ですが、それは戦前の特殊な例だというのは当たりません。国策捜査といわれた元福島県知事の佐藤栄佐久氏の収賄事件についても、現に高裁・最高裁が「収賄金額ゼロ」の収賄罪を認定しています。
裁判に果たして国権を離れた正義はあるのかについて考えさせられます。
軍機保護法は当初、国家の存亡にかかわるような軍事機密を漏らした者を罰する目的で成立したはずですが、開戦を契機に「観光でたまたま撮影した風景に軍事施設が写っていた」といったような軽微な理由で、次々と一般市民が逮捕されるようになりました。
レーン夫妻は数ヵ月後、日米の犯罪者交換の対象となってアメリカに帰国することが出来ました。そのためそれが目的(アメリカで拘束されている日本側の要人を帰国させる)で、日本の官憲が宮沢・レーン事件をでっち上げたとする見方もありました。逆に言えば「当局のさじ加減で、周知の事実も機密扱いになる」軍機保護法は、そうした目的に利用するのにも適しているわけです。
宮沢さんは極寒の網走刑務所で栄養失調から結核になり、終戦後に釈放されたものの、その1年4ヶ月後に27歳の命を閉じました。
2日の参院特別委員会で森雅子担当相は、「取得した人に特定秘密指定情報だとの認識が明確にない場合でも罪に問われる可能性がある」と答えました。森氏も法曹人であるのですから、そういう法律を通そうとしていることに心の痛みはないのでしょうか。
いくらでも拡大解釈された軍機保護法と同じ道をたどらないという保証は何もありません。
2日、北海道新聞は卓上四季という編集メモ的な欄に、「宮沢事件」を載せました。
その記事と28日付の関連記事をあわせて紹介します。
追記
レーン氏は終戦後再び北大の英語教官に戻り、札幌で生涯を閉じました。
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宮沢事件
卓上四季 北海道新聞 2013年12月2日
終戦の日を8月15日と答えられない人が3割程度もいる、と3カ月前の小欄で書いた。では、今度の日曜日12月8日は。72年前の1941年、真珠湾奇襲で日米の戦端が開かれた日だ。
その朝、札幌は雪だった。作戦成功のラジオ放送を聞いた青年が、米国人の恩師の家を急ぎ訪ねる。国と国は戦争をしても個人の友情は変わらない―と伝えるために。玄関を出たところで青年と米人夫妻は特高警察に拘束される。レーン・宮沢事件である。
北海道帝国大学(現北大)2年生だった故宮沢弘幸さんは結局、大学の英語教師レーン夫妻に軍事機密を漏らしたとして懲役15年。夫妻も同15年と12年の異例に重い判決を受けた。話した内容は、公知の事実や単なる伝聞だったのに。
特定秘密保護法案の参院での審議が進む。秘密をそうとは知らずに聞き出そうとして罰せられることもあり得る。その怖さは宮沢さんの事件にもつながる。彼の運命を変えた日を前に、与党は成立させる構えだ。
「自分には関係ない」「戦前に戻ることはあるまい」と思っている人もいるだろう。しかし、危うさがぬぐえない以上、慎重の上にも慎重な対応を求めるのは当然だ。主権者である国民の義務だといってもよい。
宮沢さんは聡明(そうめい)で行動力もあった。まさか自分がスパイに仕立て上げられるとは、思いもしなかったはずだ。今のあなたと同じように。
レーン・宮沢事件で軍事機密の根室飛行場 逮捕前から絵はがきに
拡大運用の典型例
北海道新聞 2013年11月28日
【根室】太平洋戦争中のスパイ冤罪(えんざい)事件とされる「レーン・宮沢事件」で、当時軍事機密とされた根室市の海軍飛行場の存在が、事件摘発よりも7年以上も前に土産物の絵はがきと自治体要覧に記載されていたことが分かった。特定秘密保護法案の成否が注目される中、「根室市歴史と自然の資料館」が所蔵する資料をあらためて見直したところ、記述が見つかった。関係者は「当局のさじ加減で、周知の事実も機密扱いになる典型例だ」と指摘する。
この事件では、北海道帝国大(現・北大)の学生、宮沢弘幸さんが1941年(昭和16年)、根室の海軍飛行場の存在などを米国人夫妻に漏らしたとして、軍機保護法違反容疑で逮捕された。
同資料館で所蔵していたのは、根室の地域新聞「根室日報社」が34年に発行した変わり絵はがき「根室千島鳥瞰(ちょうかん)図」。縦約15センチ、横約50センチのカラー印刷で、はがきに折りたたんで添付されている。
鳥瞰図は根室半島や北方領土、知床半島の地名、施設名などを紹介しており、鉄路(現花咲線)のすぐそばに、飛行機や軍事施設など海軍飛行場の様子が描かれている。根室駅や土産物店などで広く売られていたという。同資料館学芸主査の猪熊樹人さん(36)は「土産物のはがきに描かれていることが、軍事機密に値するのか」と驚く。
もう一つは、根室町(当時)が33年に発行した「根室要覧」で、海軍飛行場の名前が明記されている。猪熊さんは「飛行場の存在は当時、住民に広く知られ、根室第1飛行場と呼ばれていた」。
同事件の公判では、弁護人が「新聞にも載っている周知の事実」などと主張したが、大審院(現在の最高裁)は「海軍が公表していなければ秘密に該当する」と退けた。
新たな記述の発見に、市民団体の「北大生・宮沢弘幸『スパイ冤罪事件』の真相を広める会」(札幌)の山本玉樹共同代表(84)は「海軍飛行場が秘密とは言えず、事件が当局のでっち上げだったことがあらためて証明された」と指摘する。