2014年11月17日月曜日

知事選 翁長氏の当選は大成果

 沖縄知事選で翁長氏が現職の仲井真氏を大差で破って当選しました。政府の沖縄振興策による懐柔を振り切って、県民が辺野古反対の翁長氏を完勝させたのは、政府にダメージを与えるもので大きな成果でした。
 翁長氏勝利に関するブログを2つ紹介します。
 
 ひとつは「あいば達也」氏のもので、政府「金目」をちらつかせながら仲井真氏を応援するという常套手段を用いたのに対して、県民が毅然と立ち向かって翁長氏を当選させたのは見事と称賛しています。
 そして那覇市長戦でも翁長氏の後継者である城間幹子候補が、自公推薦の候補を破ったのは、「沖縄の誇り」全世界にアピール出来るとして、沖縄から日本が変わることを願っています。
 
 もうひとつは、翁長氏選挙前に辺野古埋立申請承認の撤回または取消を確約しないのはおかしいと批判した植草一秀氏のものです
 植草氏は、喜納氏が立候補したことによって翁長氏埋立申請承認の撤回または取消について前向きの発言を示さざるを得なくなり沖縄県民は翁長氏の「辺野古に基地を造らせない」という公約に思いを託して投票したとしています。
 辺野古基地建設を阻止するための最初の試金石になるのは、沖縄防衛局による工事計画の変更申請承認しないことだとし、いずれにしても今回の選挙を通じて翁長氏の今後の行動が厳しく監視されることになったと述べています。
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那覇市長選で自公敗北、知事選は翁長 沖縄から変わる日本 
あいば達也 2014年11月17日
 2014年11月16日は“オール沖縄”が勝利した記念すべき日になるだろう。政府の「金目でしょう」と云う沖縄統治の常套手段に、毅然と立ち向かった沖縄県民の姿は見事である。有力な対抗馬のいなかった福島知事選ではあるが、福島と云う本土の有権者とはかなり味の違う答えを出したように思える。 
 
 「沖縄の誇り」と云う大きな社会学的テーマを前面に出した翁長候補の戦略は、沖縄のアイデンティティとしてしまえば、本島だけの存在理由になってしまう面を上手にハンドリングした点では、高度な選挙戦術だと評価できる。仲井真現知事がどのような言い訳をしようと「最後は金目でしょう」の菅官房長官の掌で踊った情けなさが、今の沖縄県民の意志を強固なものにしていったことになる。 
 
 菅官房長官が、飽きもせずに嘯いた「USJ誘致」も「500億基金」同様に胡散霧消するだろうが、よくもまあ恥じらいもなく、このような事を公言できる神経は、宮台氏ではないが「感情の劣化」そのものだろう。官房長官からして、教養の劣化を通り越し、感情の劣化を体現するのだから、永田町が、どんな世界なのか、思わず考えてしまうところである。 
 
 また、今回はニュース性をマスメディアには隠ぺいされているが、同日に行われた那覇市長選において、前那覇市長翁長氏の後継者である城間幹子候補が、自民公明推薦の候補を破った選挙結果は、オール沖縄の「沖縄の誇り」を全世界にアピールする権利を取得した選挙だと評価できる。なにせ、沖縄県民、普天間飛行場、辺野古新基地と云う、重要ポイントの地方首長全員が、日米両政府が胡坐をかいたままの沖縄への基地押しつけ行政に反意を示しているのだから、相当手強いものになることは確実だ。
 
 皮肉な話だが、第二次大戦で米軍に上陸された唯一の地「沖縄」の不幸は「生贄」、「金目と基地負担」に翻弄され続けてきたわけだが、21世紀の日本の決断の一端を、その沖縄から教えて貰っているような状況に、本土でぬくぬくと生きている筆者としては、あらためて、権力と闘う民意と云うものを見せられた気がする。 
 
 辺野古基地承認の撤回に至る法的プロセス等々は、テクニカルな部分なので、筆者は把握していないので対応は判らない。しかし、瑕疵は必ずあるだろうから、そこを突くのも手だし、世界やアメリカ自身の世論に訴えかけ、「空気」を醸成することも可能になる。沖縄から日本が変わる。正直、日本本土の国民たちの恥を世界に知らせることになるが、致し方あるまい。こういう悲しい言葉を書きたくないが、現状を見ると、そのような気分になってしまう。  (後 略・・・以下は新聞記事の紹介
 
 
辺野古基地建設阻止公約の重大性が増した知事選
植草一秀の「知られざる真実」 2014年11月17日
沖縄県知事選で翁長雄志氏が当選した。
「辺野古に米軍基地を造らせない」との県民の強い意志が翁長氏を勝利させたと評価できる。翁長氏は選挙前に、埋立申請承認の撤回または取消を確約しなかった。
この点を明確にすることを求めて喜納昌吉氏が立候補したが支持を集めることが出来なかったしかし、喜納氏が立候補したことによって、翁長氏は埋立申請承認の撤回または取消について、前向きの発言を示さざるを得なくなった。
沖縄県民は翁長氏の「辺野古に基地を造らせない」という公約に思いを託して投票したのであり、選挙を通じて明確化せざるを得なくなった公約が今後の県政において重大な意味を持つことになる。翁長氏が公約に反して、辺野古基地建設を阻止できないことは、もはや許されなくなったと理解するべきであろう。この意味で、喜納氏による問題提起は大いなる意味を発揮したと考えられる。
「辺野古に基地を造らせない」と唱えるだけで、辺野古基地建設は止まらない。
 
安倍政権の菅義偉官房長官は、9月10日の記者会見で辺野古基地建設問題は過去の問題だと明言した。安倍政権は辺野古基地建設を粛々と推進する姿勢を示しており、この行動を踏まえて、辺野古基地建設を阻止する方策を具体的に提示してゆくことが求められる。
しかし、結局のところ、カギを握るのは米国政府の判断である。米国政府が沖縄県民の辺野古基地建設阻止の意思が確固たるものであると判断するなら、安倍政権ではなく、米国政府が辺野古基地建設を断念する可能性がある。
沖縄県民が総意で辺野古基地建設阻止を示すなら、この下で米国が基地建設を強行すれば、米国が沖縄全体を失う事態に追い込まれることも想定される。
こうした判断から、米国が主導して辺野古基地建設を断念する可能性が存在するのである。
結果論ではあるが、翁長氏は選挙前に、必要があれば、埋立申請承認を撤回または取り消すことを確約するべきであったと思う。辺野古基地建設阻止に向けての、より明確で強い姿勢が、米国政府の譲歩をもたらし、その結果として、米国政府に隷従する安倍政権の行動を変えるからである。
 
だが、いまからで遅くはない。断固とした対応、ブレない対応で、必ず辺野古基地建設を阻止しなければならない。
最初の試金石になるのは、沖縄防衛局による工事計画の変更申請に対する県の対応である。
辺野古に基地を造らせないことを基本に据えるなら、まずは、この変更申請を承認しないことが必要不可欠だ。
喜納氏の立候補による影響もあり、辺野古基地建設阻止に向けての行動は、飛躍的に高い県民監視の下に置かれることになった。この効果により、翁長氏の辺野古基地建設阻止に向けての行動が厳しく制約されることになるなら、極めて望ましいことである。
 
第2次大戦後、沖縄は沖縄県民の意思に反して、「基地の島」にされてしまった。日本政府によって沖縄は日本から切り棄てられ、沖縄県民は「銃剣とブルドーザー」によって蹂躙されたのである。
辺野古基地は、その沖縄が、初めて自らの意思で米軍基地を建設することを意味するわけで、歴史的にも、理念的にも、極めて重大な意味を持つものなのである。
だからこそ、辺野古に基地を造らせないことは重大な意味を持つ。
私は、辺野古に基地を造らせないことを確実に確保するための方策を模索してきたが、翁長氏が「辺野古に基地を造らせない」という県民の負託を受けて、新知事に選出された以上、必ず「辺野古に基地を造らせない」という公約を遵守してもらわねばならないと考える。
繰り返しになるが、今回の選挙を通じて、翁長氏の選挙後の行動が厳しく監視されることになったことが、最大の成果であると考える。辺野古米軍基地建設はすでに着工されているのであり、これを完全に阻止することは容易なことではないが、「造らせない」ことが公約である以上、いかなる弁解も許されないことになる。
 
矢部宏治氏は新著『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル) http://goo.gl/bwpScY の256ページに次のように記している。
「1946年の段階で「基地をなくしたうえでの返還」が決定されていたなら、いまごろ沖縄はハワイ(年間観光客780万人)をはるかに超える世界最高のリゾートアイランドになっていたことは間違いありません。
さらにはその後の冷戦の歴史そのものが、現実に起きた歴史とは大きくちがっていた可能性すらあるのです。」
私たちは沖縄から基地を撤去して、沖縄の新時代を切り拓いてゆくべきである。
以下有料ブログのため非公開