札幌にある北星学園大学で非常勤講師を務める元朝日新聞記者・植村隆さんが、記者時代の1991年に元慰安婦初の証言をスクープしたことに絡んで、大学に講師を辞めさせるよう脅迫電話や脅迫文が来たり、インターネットで家族に危害を加えるとする脅迫が行われている問題で、10月6日に「負けるな北星!の会」が結成され、10月23日には脅迫電話の犯人が逮捕されました。
しかし大学への脅迫はその後も止まずに、北星学園大学の学長は31日、来年度は植村さんを講師に採用しない方向で考えていることを明らかにしました。
植村さんは今年4月から神戸松蔭女子学院大学で教鞭をとるこを前提に朝日新聞社を退社していたため、松蔭女子学院に続いて「授業の評判がいい」と評価されている北星学園大学でも採用されなければ、一気に職を失うことになります。
同時に、もしも外部からの脅迫や非難に屈して大学教員を辞めさせることになれば、「平成の矢内原事件※」となります。
※ 矢内原事件…東京帝大経済学部部長の矢内原忠雄氏は雑誌に、日本の軍国主義を婉曲的に批判する内容の論文『国家の理想』を発表したところ、当局より全面削除処分となる。その後、大学経済学部の教授会でこの論文が反戦的論文であると批判され、その年の12月に矢内原は辞職。日中戦争が勃発した年に起こった言論・思想弾圧事件として語られている。 (「マガジン9」 編集部注)
マガジン9(ブログ)が、「北星学園問題を考える~平成の言論弾圧事件にしないために~」のタイトルのもとに、北大の中島岳志准教授と北海道新聞の長谷川綾記者の寄稿文を掲載しました。
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「北星学園問題」を考える~平成の言論弾圧事件にしないために~
マガジン9 2014年11月5日
朝日新聞の従軍慰安婦報道をめぐる議論がありましたが、今、元記者への個人攻撃へと形を変え深刻な影響を及ぼしています。この事態を重くみた中島岳志さんから緊急のメッセージと、今回の舞台となった大学内の動きについても詳しい、地元紙である北海道新聞の長谷川綾記者より、寄稿をいただきましたので、紹介します。
<緊急メッセージ>
中島岳志(北海道大学准教授)
いま「平成の矢内原事件」が起こされようとしています。矢内原事件とは1937年、矢内原忠雄の言論が問題となり、東京帝国大学を追われることになった言論弾圧事件です。
今回の舞台は札幌にある北星学園大学。ここで非常勤講師を務める元朝日新聞記者・植村隆さんがターゲットにされています。植村さんは1991年8月11日の朝日新聞大阪本社版に元慰安婦初の証言をスクープした人物です。この記事が右派論客から問題視され、匿名の人物から脅迫が繰り返されています。
植村さんは今年4月から神戸松蔭女子学院大学で教鞭をとることになっていたのですが、週刊誌にネガティブな記事が出たことから大学側が難色を示し、協議の結果、教授就任が取り消されました。植村さんは大学教員になることを前提に朝日新聞社を退社していたため、一気に職を失うことになりました。
植村さんは、朝日新聞記者時代から北星学園大学の非常勤講師を務めており、今年度も引き続き授業を担当していました。脅迫者は北星学園大学にターゲットを絞り、植村さんの解雇を要求してきました。植村さん本人も脅迫を受け、家族もネット上で罵声を浴びせられました。
北星学園大学の田村学長は、「学生の安全の確保」や「入学試験への影響」を理由に、この要求に屈しようとしています。学長は脅迫と雇い止めの因果関係を認めており、脅迫者の卑劣な行為が一定の成果をあげようとしています。
これは何としても避けなければなりません。気に入らない言論に対して脅迫を行い、その結果、ターゲットとされた人物が職場を追われるようになれば、言論の自由はおろか、極端な自主規制が拡大することになってしまいます。戦前の言論弾圧事件は、このような空気の伝染を誘発し、言論の自由を圧迫して行きました。
北星学園の事件は、一地方大学の小さな出来事ではなく、今後の日本に大きな影響を及ぼす事件です。ここで脅迫に屈してしまえば、大変な事態がその先に待ち受けています。
この事態の現状を正確に把握するために、北海道新聞の長谷川綾記者に原稿執筆をお願いしました。私たちは、いま北星学園大学で何が起きているのかを知り、立ちあがる必要があります。是非、長谷川さんのルポを読んでください。そして、北星学園大学に「負けるな」の声をあげてください。よろしくお願いします。
問われる「リベラル」
長谷川綾(北海道新聞記者)
北星学園大(北海道札幌市)が、元朝日新聞記者の非常勤講師を「辞めさせなければ爆破する」などと脅迫されていた問題で、同大学の田村信一学長は10月31日、非常勤講師を来年度は雇用しない方向で検討していることを明らかにした。講師は、23年前に慰安婦問題を報じた植村隆氏(56)。暴力に屈するな、と大学を応援する「負けるな北星!の会」(マケルナ会)の運動が国内外へ広がっている最中の、突然の方針表明。何があったのか。
「平穏な大学の学習環境を守らなければいけない。どこかの時点で問題を終息させなければならない」。田村学長は同日の記者会見で、契約更新しない方針を説明。苦境を訴えた。「入試も迫っている。脅迫状では『学園祭もいいよね』と書かれ、学園祭では厳重な警備を強いられた。来年、再来年も続いたら、我々はたまらない」
経緯を振り返ろう。大学には5月の連休明けから、今年で3年目になる非常勤講師の雇用へ抗議の電話やメールが殺到した。最初の脅迫状は5月29日に届き、2度目は7月28日に2通が送りつけられた。いずれも、虫ピンが十数本ずつ同封され、「学生を痛めつけてやる」「火薬爆弾を爆発させる」などと印字されていた。9月12日には、大学に「爆破してやるぞ」と脅迫電話が入った。この脅しは自宅の固定電話からで、大学の着信履歴に番号が記録された初歩的な手口で、北海道警は10月23日に威力業務妨害容疑で新潟県の男を逮捕した。10月31日には、白い粉入りの脅迫状も届いた。
大学幹部は混乱を恐れた。脅迫状の存在を4カ月近く、学生や一般教職員に知らせず、報道機関の取材に対しても認めなかった。新聞報道で脅迫が明るみになった9月30日、大学は田村学長名の通知をホームページに載せ「毅然と対処する」と表明。しかし来年度の契約については「すべての非常勤講師と同様、検討する」と含みを残した文章が入っていた。
実際、植村氏の人事については異例の学内手続きが進行した。所属する国際教育センターは9月30日、「授業の評判がいい」などとして、来年度も引き続き契約する方針を全会一致で決めた。通常なら、その上部組織にあたる「教学会議」でそのまま了承する。だが、10月22日の教学会議で、田村学長は「『全学危機管理委員会』で方向性を決める」と引き取り、同29日の全学危機管理委員会で、「次年度は更新しない方針」を明言した。この委員会は、アカハラ、セクハラなどの問題に即応するための組織だ。教職員のほか、脅迫事件の対応に当たってきた弁護士と、民間危機管理コンサルタント会社の社員という学外の人間も同席しており、大学の教育内容に関わる案件を判断する場ではない。
今後も、異例な手続きが続く。大学は、契約更新しない学長方針を諮問するため、11月5日に「評議会」を急きょ開くことにした。評議会は、雇い止めを求める事務職員の比率が高く、学長方針を追認する可能性が高い。実は、11月18日に臨時理事会を、翌19日には評議会を開くことが前々から決まっている。理事会は、牧師ら学外理事を中心に「暴力に屈した形になる」と雇い止め反対派が多い。「理事会前に評議会を開き、雇い止めの流れを作りたいのでは」。学内にはそんな観測も出ている。
「今回は大きな社会問題ですから」。異例の決め方をする理由について、田村学長は会見でこう説明し、「すぐ辞めさせろという外の声に対して1年頑張った。大学の自治は守られた」と述べた。
キリスト教系の北星学園大はリベラルな学風で、教員に護憲派や人権派が多い、とされる。ところが、そのリベラルな教員の多くが、雇い止め賛成に回った。「専任の教授を切れば学問の自由に関わる。だが、必要に応じて採用している非常勤は、必要性がなくなれば契約は解消される」「日本には学問の自由がある。他の大学で雇ってもらえばいい」など理屈はさまざま。当初から、秋の学園祭、来春の入試への影響を心配し、年度途中の契約解除や、後期を休講にする強硬論もあり、学内には「1年契約を守っただけで十分」という空気さえ漂う。
メディアも北星学園脅迫の報道には当初、消極的だった。8月初めに慰安婦報道検証記事を出した朝日新聞が総攻撃にあっているのをみて、多くのメディアで慰安婦関連の取材を自粛するムードが広まった。抗議電話やメールによる北星への「攻撃」は、口コミで一部の市民に広まっていたが、新聞、テレビは伝えなかった。脅迫事件を伝え聞いた元高校教師の男性は、ある新聞社に夏、電話で2回、事件を取材してほしいと訴えたが、梨のつぶてだった。最初に報じたのは、『週刊金曜日』9月19日号。札幌のある女性は、別の新聞社の記者に、『週刊金曜日』のコピーを渡したが、記事は10日以上出なかった。
立ち上がったのは、学内外の志ある人たちだ。
学外では、大学に応援メールを送る運動が起こった。学問・言論の自由を守ろう、北星学園大を孤立させるな、と10月6日、マケルナ会が444人で発足した。山口二郎法政大教授、原寿雄・元共同通信編集主幹、海渡雄一元日弁連事務総長ら著名な学者やジャーナリスト、弁護士が参加し、1カ月足らずでメンバーは1000人を超えた。
学内でも10月30日、若手教員ら26人が、「大学の自治と学問の自由を考える北星有志の会」を結成した。メンバーの一人、経済学部の勝村務准教授(46)は、危機感を強める。「大学は、色々な人が自由にものを言えて、研究できる場であるはず。北星が今回崩れたら、ニの矢、三の矢が飛んできて、他の大学も総崩れになる」
北星学園大は、戦後50年に出した「北星学園平和宣言」でこう誓う。「戦争でアジアの人々に与えた被害・苦しみを痛感し、その責めにこたえていくことが、同時代に生きるものの責任」。非常勤講師を排除して、大学はこの精神を生かした平和教育ができるのだろうか。むしろ、「慰安婦はいなかった」「強制性はなかった」などと主張して加害の歴史に目を背け、大学を脅迫してきた勢力を増長させるのではないか。田村学長は会見で、「これが最終決定ではない」と述べた。「リベラル」な大学の最後の踏ん張りに、望みをつなぎたい。