2022年4月27日水曜日

27- 東野篤子の揚げ足取り - アゾフ連隊を擁護し正統化するネット世論作戦

 世に倦む日々氏が「東野篤子の揚げ足取り - アゾフ連隊を擁護し正統化するネット世論作戦」とする記事を出しました。
 東野篤子氏は、ウクライナ侵攻問題が起きて以来盛んにTVに登場している筑波大教授で、同様にTVに登場している岡部芳彦神戸学院大教授ウクライナ研究会の会長で東野氏は副会長ということです。
 岡部氏が414のテレビ解説「アゾフ連隊が非常に英雄視をされている」「ロシアに対抗するシンボリックな部隊でもあります」などと述べたので、世に倦む日々氏は東野篤子などアゾフ連隊を擁護する者たちが言っているような」という前置きをしてその「英雄視」「ネオナチ否定」を批判したことに、東野氏が反撃したということのようです。
 いずれにしてもアゾフ大隊がネオナチ集団でないという主張には苦しいものがあります。詳細は記事をご覧ください。
 それとは別に、もしもウクライナ研究会がウクライナへの思い入れの強い人たちの会であるなら、背景の説明においても「ウクライナが善」的になりがちなので、そういう人選で良いのかは疑問です。
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東野篤子の揚げ足取り  アゾフ連隊を擁護し正統化するネット世論作戦
                         世に倦む日々 2022-04-26
昨日(4/25)、東野篤子から、私のアゾフ大隊に関する発信に対して添付スクショの批判が上げられた。引用ツイートを使ったダイレクトなもので、事件の発生である。さらに本日(4/26)、東野篤子は私のアカウントをブロックした。



最初に、この戦争に対する私の立場をあらためてご挨拶しておくと、インドやメキシコやベトナムの国連での立場と同じであり、さらに率直に言えば、アメリカの左派知識人であるマイケル・ムーアと同じである。戦争プロパガンダに対して頑として抵抗する立場だ。ロシアの侵略戦争を非難する一方で、あまりに一方的で夥しい 戦争プロパガンダ の洪水と煉獄に辟易し、そのセメント化の政治に服従できない市民の立場である。西側マスコミの戦争プロパガンダを批判する少数派の一人だと自認する。

反論しよう。まず、東野篤子によるアゾフ擁護の映像の問題だが、これは4月20日に放送されたプライムニュースでの発言とそれへの感想が元になっている。証拠を提示しようとプライムニュースのサイトを確認したら、元映像がすでに消されていて、要約のテキストだけが掲載されていた。以前は、この番組の映像はもう少し長い期間保存され公開されていたはずだが、変更になったようで残念だ。テキストでは、肝心な「単にサッカーファンの集団だった」という件(くだり)がカットされている

映像ソースがないので、この問題の当否と証明については「言った言わない」の水掛け論になる。検証できない。ただ、この番組で本人の口から「アゾフは国民的に英雄視されている偉大な義勇兵」という表現があったかというと、私の記憶にはそれはない。が、私の当該発信には「東野篤子が言っているような」という、いわば前置詞があり、東野篤子などアゾフ連隊を擁護する者たちが言っているような、という意味の複数主語の文意と構文になっている。「ような」以下に並べたアゾフ擁護の内容を、東野篤子を筆頭とする一団が言っているという趣旨で書いた。

言葉の細部を論って弁明するのは好きではないが、「ような」という助動詞には、「一定の根拠をもった不確かな断定を表す」という意味がある。したがって、この助動詞の配置と適用をもってすれば、私の発信は、文法的にも中身としても特に不当で誤謬だと糾弾されるべき瑕疵や不具合はないものと考える。「アゾフは国民的に英雄視されている偉大な義勇兵」だと東野篤子本人は言ってないかもしれないが、論の文脈と背景を正しく押さえれば、今回の東野篤子の私への批判は、いわゆる揚げ足取りに該当するものである。

「アゾフは国民的に英雄視されている偉大な義勇兵」という説明をストレートに聞いたのは、3月当時、キエフから報ステに生出演したボグダン・パルホメンコの発言であった。ボグダンも「一団」の中の一員であり、日本における戦争プロパガンダの活動の重要なアクターである。そして、「一団」の中に岡部芳彦がいる。岡部芳彦の最近(4/14)のテレビでの解説が記事に書き起こされていて、「(アゾフ連隊が)非常に英雄視をされている」「国民全体も、ロシアに対抗するシンボリックな部隊でもあります」という言質の所在を確認できる。

神戸学院大学教授の岡部芳彦は、ウクライナ研究会の会長である。ウクライナ最高会議章やウクライナ内閣名誉章の授与があり、ウクライナの国家的名士だ。その言論はまさしくマイダン革命の炎の同志であり、日本におけるマイダン革命のエバンジェリスト福音伝道の第一人者と言える。そのウクライナ研究会の副会長に東野篤子が就任している。かかる位置と役職から鑑みれば、岡部芳彦と東野篤子のアゾフ大隊に対する認識に差はなく、同じ理解だと解釈してよいだろう。「アゾフは国民的に英雄視されている義勇兵」なのかどうか、東野篤子にあらためて問いたい

アゾフ連隊の隊旗には「ヴォルフスアンゲル狼の罠」の紋章が描かれている。アゾフ連隊司令官としてマスコミに登場するマクシム・ソリンの背景には、必ず隊旗が掲げられている。この紋章はナチスのシンボルとして有名な意匠で、ナチスの諸師団・諸団体で使用された歴史を持つ。第二次大戦後、この紋章をウクライナの極右民族主義団体が使用し、現在はアゾフ連隊のシンボルマークに収まっている。アゾフ連隊の隊員の肩章にも、黄地に黑のこのマークがある。日本のテレビ報道では、肩章にボカシが入るという恐るべき隠蔽の加工処理がされている。

ウクライナのネオナチの問題については、キャノングローバル戦略研の小手川大助が書いた記事がある。マイダン革命についての詳細で正確なレポートであり、その中で、「東ウクライナなどの親ロ勢力に対する攻撃にあたっているのは『ネオナチ』のメンバーであること」と明確に指摘している。「この点が明確に表れたのが、5月2日のオデッサの労働会館における虐殺である」とも書いている。小手川大助は大蔵省の元官僚で、元IMF日本代表理事も歴任した筋の通った霞ヶ関の知性だが、東野篤子や岡部芳彦とは真逆の認識を示している。小手川大助の証言は顧みられなくてよいのか。

東野篤子らのアゾフ擁護の言説の要点は、アゾフは2014年の最初の時点では素行の悪いネオナチの集団だったが、その後、ウクライナ軍に編入され、まともな義勇兵の軍団に矯正されたという主張である。不良だった子が優等生になったと弁護している。果たして、その言説は信用し肯定できるものだろうか。私は納得できない。そのことは、今回の戦争の真相を告げるSNS情報で上がっているところの、数々のアゾフ連隊の蛮行を覗き見ても判断できる。それらの凶悪な戦争犯罪の諸証拠を、十把一絡げに、アプリオリに(⇒自明のこととして)、ロシア側のプロパガンダとして全否定はできない。

政治学的な本質論を言えば、アゾフ連隊はマイダン革命の革命軍なのである。ロシア革命の赤軍と同じであり、ナチスの親衛隊と同じである。マイダン革命を防衛し、反革命を殲滅し、革命の地平を拡大し、革命の「理想」を実現する暴力装置なのだ。イデオロギーの芯が入っているから戦闘力があり、8年間の東部ドンバスでのロシア軍との激戦を闘い抜く主力になり得たのである。現在のアゾフ連隊をネオナチではないという言説は、ロシア革命から8年後には赤軍は共産主義の軍隊ではなくなってましたという愚論と同じだ。

前にも述べたように、8年前のウクライナ正規軍は虚弱・弱体で、敵ロシア軍と戦える剛毅で強靱な戦力的主体性を持っていなかった。彼らが実力を蓄えたのは、英米軍事機関による手厚いハード・ソフトの支援もあるけれど、何より反ロ憎悪のイデオロギーで精神武装した軍団が、ドンバスで実戦の経験を積み上げた点が大きい。戦場の流血の中でイデオロギーへの信奉と闘争心が高まり、戦争ノウハウが体得蓄積され、兵士の革命的人格性が陶冶されたのだろう。ウクライナ参謀本部の元将校の証言記事を読むと、その過程と実相がよく了解できる。

つまり、真実としては、アゾフ連隊のネオナチの属性が8年間で徐々に消えて行ったのではなく、ウクライナの政権と軍部がネオナチ化して、国家全体を壟断するに至ったと捉えるのが正解の見方だろう。「ウクライナ東部で実戦経験を積んだ若い将校が幹部になった」と元将校も言っている。果たして、幹部になった若い将校は、8年の間にアゾフ戦士の思想信条を捨てたのだろうか。原点のイデオロギーを薄めた軍事官僚に脱皮したのだろうか。そうではあるまい。アゾフの本来的な思想が国家の正統になったのだ。アゾフこそ軍の中枢であり脊柱である。戦争は極右マイダン革命の延長なのだ。

私は、今回のプロパガンダの思想現象を「アゾフ連隊のクレンジング(政治漂白)」と呼んでいる。クロをシロに、公安調査庁のHPで国際テロリストとして指定された団体を「正義の英雄」にスリカエる佞悪な捏造工作を、cleansing(政治漂白)の用語で概念化した。まだ人口に膾炙される言葉になってないが、この認識と概念が社会科学として正しいと思う。対象分析として当を得ていると思う。戦争プロパガンダの嵐に対抗し、知性と良識の砦を守り、それを証する言論だと信じる。東野篤子は、このクレンジング工作に関与しているプロパガンディストの主要な一人だ。

今回、マスコミで売れっ子で多忙の東野篤子が、なぜ私のような無名の市民ブロガーに目を付け、糾弾と論破のツイートに及んだのだろう。エゴサして偶然発見し、瞬間的に逆上して、懲らしめてやろうと仕置きに出たという動機と経緯が推察される。だが、ひょっとしたらそれ以上の目的と戦略があり、ネットの中でアゾフ・クレンジングを批判する世論があまりに多いので、それを捻じ伏せて教化扇動する掃討作戦に出た可能性も考えられる。マスコミ空間と違って、ネット空間は決してウクライナ応援一色で団結する fascio(束)の状況に固まっていない。この憂鬱な、ナウシカの腐海の瘴気のような戦争プロパガンダ環境。それに対する疑念と厭気と反感が明らかに横溢している。

大事なことは、東野篤子が「アゾフは国民的に英雄視されている偉大な義勇兵」だと言ったか否かではない。アゾフの思想的正体が極右ネオナチかどうかであり、ウクライナの政権と軍部がその思想の支配的影響下にあるかどうかである