2012年12月13日木曜日

改憲論は実に愚かと 92歳の岩井さん +


 東京新聞に「9条 この1票で」と題する第1回目の記事が載りました。今日の記事は<上>となっているので、あと1回か2回載りますが 取り急ぎ紹介します。 

 岩井さんは92歳の方で、慶大在学中に学徒出陣し「伏龍」と名付けられた海軍の特攻部隊に配属された経験をお持ちです。
今回の選挙では改憲論がこれまでにない広がりを見せていることに、「実に愚かなことだと思います。日本もここまで来たか」と語り、「若い人には、憲法は人を縛るものと思っている人が多いが、憲法は国民が国を縛るものなんです。政府をも規制する権利を持っていることに気付いてもらいたい」、と結んでいます。 

「若い人には ・ ・ 」と限定されましたが、この「立憲主義」の理念を知らない人はまだまだ沢山います。自民党の憲法改正草案を起草した議員も知らなかったほどですから。 

 以下に東京新聞の記事を紹介します。
(<下>は14日付「9条改憲にノーを 東京沖縄県人会 島袋さん +」で掲載)
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
“9条 この1票で <上>” 
改憲論 実に愚か 92歳元兵士 岩井忠正さん
東京新聞 20121213 

 憲法九条を変えるのか、守るのか。衆院選はその意思を投じる選挙でもある。「国防軍」の保持を明記する改憲を前面に打ち出す自民党、自主憲法制定をうたう日本維新の会-。今回の選挙では、改憲論がこれまでにない広がりを見せている。投票日を前に、平和憲法の根幹をなす九条の重みを考える。 

 「実に愚かなことだと思います。日本もここまで来たか。私たちの年代の者が沈黙し過ぎたのか」。九条改正が声高に語られる選挙戦に、岩井忠正さん(92)=東京都小平市=は声を震わせる。
 中学生のとき、主人公の兵士があっけなく死んでしまう「西部戦線異状なし」を読み、戦争に疑問を持った。しかし、慶応大学在学中の一九四三年、学徒出陣で海軍に。配属されたのは「伏龍」と名付けられた特攻部隊。隊員は潜水服を着て海底に潜み、機雷の付いた棒で上陸してくる敵船を突き爆死する。
 そんな作戦は不可能だとすぐ分かった。装備が重いため前傾姿勢になり、海面を見上げられない。「誰がこんな作戦を考えたんだ」。結局、実戦に投入されることはなかったが、訓練中の事故で大勢の仲間が死亡。岩井さんも海中で気絶し、死にかけた。「命をちりのように扱うのが軍隊なんです」 

 伏龍配属前に、雑談で「大和魂や軍人精神で勝てるわけがない」と口にしたとき、たしなめた男がいた。後日、「貴様がこの前言ったこと、俺もそう思っているんだ」と打ち明けられた。
 「俺一人で戦争に反対したって何にもならないと思っていたが、一人じゃなかったんです。だけど、当時は意を通じて手をつなぐのは不可能だった。繰り返させないのが僕らの義務」 


第9条(戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認)

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
                                                          
                                                                

 命の重みも左右する九条改正だが、選挙戦での関心はさほど高くはない。若い世代の意見も割れる。
 「GHQ(連合国軍総司令部)が草案を書いた憲法を守る必要はないのではないかとも思う。進歩も必要。九条で平和が保たれていると考えられるけど、固執しなくても保てるのでは」。靖国神社近くを歩いていた男子大学生(18)に九条改正について尋ねると、そんな答えが返ってきた。中学時代は海外で過ごしたという。一方、一緒にいた彼女(19)は「守り続けてきたものだからこそ貫くべき」と反対の立場。東京大空襲を体験した七十代の祖母から戦争の悲惨さを聞かされた。二人がこれまで過去の戦争について話し合ったことはないという。
 

 
 岩井さんは、戦時中に唯一行われた一九四二年の衆院選のときは二十一歳。二十五歳以上男子に投票が認められた旧憲法下では、まだ選挙権がなかった。そもそも政治への関心も薄かった。そのことを今は悔やんでいる。
 「若い人には、憲法は人を縛るものと思っている人が多いが、憲法は国民が国を縛るものなんです。政府をも規制する権利を持っていることに気付いてもらいたい」