2013年9月24日火曜日

集団的自衛権 首相の進め方は問題

 石破幹事長はTVで22日(日)、「憲法9条のどこを読んでも集団的自衛権行使が不可だという結論にならない」旨の発言をしました。安保法制懇の北岡座長代理の言い振りを他の表現で強調したものですが、やはりなぜそういう解釈が導かれるのかの説明はありませんでした。理不尽なことです。
 そんな粗雑な考え方で、“集団的自衛権の行使は9条違反”とする精緻・精巧な論理が否定されるとはとても思えません。

 集団的自衛権行使の事例としては、アメリカのベトナム戦争があります。
 当時アメリカは南ベトナムに親米傀儡政権を樹立していましたが、政権はジュネーブ協定に定められた南北ベトナム統一総選挙を拒否する一方で、国内では圧制・暴政を重ねたためにベトナム解放民族戦線が決起すると、不利を悟りアメリカに支援を要請しました。
 アメリカは当初軍事顧問団の名称で軍隊を派遣しましたが、それでも劣勢に立たされると1964年トンキン湾事件をでっち上げて、北ベトナムへの空爆を始めました。
 ナパーム弾をはじめとする各種の残虐な爆弾の投下やダイオキシンを成分とする枯葉剤の散布など、「アメリカ製新兵器の実験場」と呼ばれるほどの凄惨な戦争になりましたが、それでも解放民族戦線と北ベトナムに押されて結局敗北し、1973年に遂に撤退しました。
 アメリカのベトナム戦争は不正義の戦いとして世界中の民主勢力から非難されました。10年間にわたる戦争でアメリカは経済的にも大いに消耗し、ドルの金兌換制を維持できなくなるというおまけもつきました。その後しばらくはアメリカ政府と国民は意気消沈の時期を過ごしました。

 ソ連のアフガニスタン侵攻も同じようなものでした。
 1978年アフガニスタン共産主義政権が成立したものの各地で武装蜂起が起きてほぼ全土が抵抗運動の支配下に落ちたため、ソ連に軍事介入を要請しました。
 ソ連軍は1979年末に軍事介入しましが、結局20カ国以上のイスラム諸国から20万人の義勇兵(アメリカの援助を受けたウサーマ・ビン=ラーディンも含む)やその背後にいる欧米と戦うことになり、介入から10年後にソ連軍は撤退しました。
 その跡を継いだ形になったアメリカのアフガニスタン侵攻の結果も、結局似たような結末になりました。 
 
 このように集団的自衛権はこれまで大国の軍事介入の口実として使われてきました。そして米ソの2大国はいずれも不正義の介入戦争で敗北し、撤退しました。

 
 琉球新報が23日、「【集団的自衛権】 首相の進め方に募る疑問」とする社説を掲げ、憲法9条をどう解釈しても、集団的自衛権は行使できないという結論にたどり着いたことを述べ、安保法制懇に政権の期待する結論を出させて、集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとしている安倍首相を批判しています。

 集団的自衛権行使の不正はもはや論理的に解明しつくされた感じはしますが、政府が必死に突き進もうとしている以上、批判をやめるわけにはいきません。
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社説:【集団的自衛権】首相の進め方に募る疑問
琉球新報 2013年09月23日
 安倍首相が設置した安全保障に関する有識者懇談会(安保法制懇)が、7カ月ぶりに議論を再開した。集団的自衛権の行使を禁じている憲法解釈を見直し、全面的な行使容認を盛り込んだ報告書を年内に策定する予定だ。しかし作業は遅れ気味で、行使容認に慎重な公明党との協議にも時間がかかる。 
 集団的自衛権は自国が攻撃されていなくても、同盟国が攻撃を受けたときに実力で阻止する権利だ。政府は長い間、憲法9条に照らし「必要最小限度の自衛権の範囲を超える」として「行使はできない」と解釈してきた。 
 懇談会のメンバーは、第1次安倍政権で設置した会とほぼ同じ顔ぶれだ。その懇談会は安倍氏退陣後の2008年6月、公海上の米艦船防護や、米国を狙った弾道ミサイルの迎撃に限定して、集団的自衛権の行使を認めるよう提言した。 
 同じメンバーで議論しても、大筋での結論は変わるまい。先日の安保法制懇は、歴代政権の解釈を見直す方針を確認した。 
 今後は前回懇談会が示した類型を拡大し、対象国は米国以外も想定する方向で議論が進む見通しだ。なぜ前回を超える幅広い範囲で、集団的自衛権の行使を議論することになったのか、明確な説明はない。 
 もちろん懇談会の報告書が出されても、政府がその通り決定するわけではない。しかし集団的自衛権行使の容認に前向きな人ばかり集めて議論すること自体、客観性に疑問がある。 
 それだけではない。安倍首相は先月、政府の憲法解釈を担う内閣法制局長官に、行使容認に前向きな小松一郎駐フランス大使を起用した。これも解釈変更への環境づくりだろう。

支える強固な理論 
 自国が攻撃されたわけでもないのに、他国のために自衛隊を出して実力行使ができるのか。歴代政権は内閣法制局とともに、あらゆる角度から検討を重ね、国会答弁もしてきた。 
 その結果、憲法9条をどう解釈しても、集団的自衛権は行使できないという結論にたどり着いたのではなかったか。このため歴代の内閣法制局長官からは「解釈変更は無理だ」「必要なら正面から憲法改正を論じるべきだ」という反論が出ている。 
 現在の憲法解釈はきのうきょう固められたものではなく、強固な理論に支えられている。憲法の平和主義に対する国民の支持も厚い。 
 それに比べると、結論ありきのような懇談会から提言を出させ、要の長官を替えることで、憲法解釈の見直しに前進する首相のやり方は、いかにも軽い。こうした手法がまかり通れば、政権が憲法や法律から逸脱しかねない危うさもはらむ。 
 集団的自衛権の行使が容認されれば、米国の事情で始めた戦争に日本が巻き込まれる恐れがある。犠牲者が出ることも覚悟しなければならない。日本の防衛方針を大転換するのなら、それにふさわしい重層的な議論が必要だ。むろん首相の説明責任も重い。