2013年9月2日月曜日

名誉教授は少年飛行兵だった

 立命館大名誉教授の芝田徳造さん(87)は、戦時中 海軍飛行予科練習生であった体験についての講演を求められても、特攻隊で出撃した仲間を亡くした悲しみから、これまで殆ど断ってきました。
 しかし戦後70年近くたち、戦争体験者が減っていく中、「亡くなった仲間や平和な未来のために」と、かつて教べんを執った立命館大での講演を受諾されました

 31日、立命館大学で行われた講演会に参加した学生や市民たち真剣なまなざしで同名誉教授の言葉に聴き入りました

 以下に読売新聞の記事を紹介します。
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名誉教授は少年飛行兵だった…平和のため講演
読売新聞 2013年9月1日
 孫たちを戦争に行かせてはならない――。

 旧日本海軍の少年飛行兵で、立命館大名誉教授の芝田徳造さん(87)(京都市山科区)が31日、北区の同大学で開かれた講演会で、戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えた。

 特攻隊で出撃した仲間を亡くした悲しみから、ほとんど語ることがなかった戦争体験。生き残ったことに、負い目さえ感じたと打ち明ける芝田さんの言葉を、学生や市民らは真剣なまなざしで聴き入った。

 芝田さんは、京都市出身で、旧制桃山中学(現・府立桃山高)に進学。1943年12月、17歳で海軍甲種飛行予科練習生(13期)になった。所属部隊では、仲間が人間魚雷の「回天」や「蛟龍こうりゅう」など特攻兵器の乗組員に転出され、同じ班の29人の半数が命を落としたという。

 芝田さんは福島県内の基地で本土決戦に備えていたため、特攻作戦に出撃することなく、終戦を迎えた。しかし、戦後、「死ぬときは一緒やと肩を組んだ仲間に申し訳ない」との思いにかられ、苦しみを募らせた。
 長年教壇に立ち、講演依頼も寄せられたが「体験を話すと、死んだ仲間の顔がふっと浮かんでくる」と、大半を断ってきた。
 それでも、戦後70年近くたち、戦争体験者が減っていく中、「亡くなった仲間や平和な未来のために」と、かつて教べんを執った立命館大での講演を受諾。
 約350人を前に、「軍国少年の足跡―特攻隊を振り返って―」と題し、小学校時代から、両親に内緒で予科練を受験した旧制中学時代、入隊後の飛行訓練、特攻に向かう飛行機を見送ったことなど、終戦までの歩みを語った。

 芝田さんは「特攻隊で国のために死ぬつもりが、死ねなかった」と苦しい胸の内を明かし、「私のような経験を二度とさせたくない。死んでいった仲間のためにも、平和を守っていかないといけない」と時折、声を詰まらせながら訴えた。

 亀岡市から訪れた大学1年生(18)は「生と死の間で苦しんできた芝田さんの体験を聞き、戦争の悲惨さが伝わってきた。戦争を起こさないために、私たちの世代に何が出来るかを考えたい」と話していた。(杉山正樹