自宅横の駐車場に、日本国憲法前文、戦争放棄を定めた9条を刻んだ石碑(縦約1・2m、横約1・8m:写真参照)を建てた人がいます。
兵士として戦場を経験した元輪島市議の川上清松さん(90)です。
反戦の願いを込め「一人でも多くの人に石碑を見ていただき、世界に誇る平和憲法を自分のものにしてほしい」と訴えています。
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反戦の思い刻む憲法石碑 前文・9条
門前(町) 戦場経験、川上さん建立
中日新聞 2015年6月6日
集団的自衛権の行使容認を柱とする安全保障関連法案が国会で審議されている中、輪島市門前町内保に、恒久平和を誓う日本国憲法前文、戦争放棄を定めた9条を刻んだ石碑が建てられた。建立したのは、兵士として戦場を経験した元輪島市議の川上清松さん(90)。戦後70年を刻むことし、反戦の願いを込め「一人でも多くに石碑を見ていただき、世界に誇る平和憲法を自分のものにしてほしい」と訴えている。(山本義久)
石碑は縦約一・二メートル、横約一・八メートルの黒御影石。自宅横の駐車場に自費で設けた。川上さんは敗戦前年の一九四四(昭和十九)年、十九歳のときに航空兵に志願。米軍に撃墜されたが、九死に一生を得て終戦を旧満州と朝鮮半島の境界で迎えた。その後、旧ソ連にシベリアに抑留されて過酷な労働に駆られ、四八年に帰国した。
多くの戦友が亡くなるのを目の当たりにした「忌まわしい戦争体験」から帰国後は不戦を決意した。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。国内外に多くの犠牲を出した戦争の反省から生まれた九条は戦後を生きる上での糧となった。「奇跡的に戦場から助かった身。憲法を守ることが亡き戦友への願いにつながる」と、一貫して護憲平和運動に身をささげてきたという。
「日本国憲法は侵略戦争の反省から生まれた。この憲法があるから今日まで平和で暮らせているが、今の政権は戦争ができる国にしようとしている。余生もあまりない。戦争の悲惨さ、平和の大切を後世に伝えるため建立を決意した」と語る。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とうたった前文の一部は、戦後の民主主義の中で胸に刻んできた言葉だ。今、五十代の息子二人と孫五人がいる。「石碑を読んで平和憲法の大切さを身につけてほしい。そして、後世に伝えてほしい」。護憲は戦争を知る者の責務と受け止め、石碑を見詰めた。
日本国憲法の前文と第9条が記された石碑を造った川上清松さん
=輪島市門前町内保で