2016年9月10日土曜日

(社説)今、憲法を考える (10)   戦後の「公共」守らねば

 東京新聞のシリーズ 「今、憲法を考える」は今回で終了です。
 美濃部達吉の天皇機関説は、天皇自身がその学説の登場を喜ばれたという話もあるくらい純粋に学問的な仮説でした。しかし天皇が現人神でなくては困る政治家(議員)たちからの猛攻撃にさらされました。迫りくる戦争を乗り切るためにはそうする必要があったからで、その事件を機に「公」が「私」の領域にまでなだれ込んできました。
 
 戦後制定された第9条について、樋口陽一東大名誉教授は、それによって公が私を支配する社会の価値体系を逆転させた」と述べました。新憲法は自由な「公共」を作りあげました。
 そしていま安倍政権を中心に、戦後の「公共」を否定する動きが高まりつつあります。昔の日本に戻りたい強い国にするには「公」のために「私」が尽くさねばならない、愛国心を強固なバックボーンにして国旗や国歌でそれを演出する必要がある、そんな考え方のもとにこのところ教育の改悪が一貫して進められてきました。
 要するに「公共」の再改造です。「それが進んではいまいか」、東京新聞はそう結んでいます。
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社説今、憲法を考える (10)   戦後の「公共」守らねば
東京新聞 2016年9月9日
 歴史の読み方として、一九三五年を分岐点と考えてみる。天皇機関説事件があった年である。天皇を統治機関の一つで、最高機関とする憲法学者美濃部達吉の学説が突如として猛攻撃された。
 なぜか。合理的すぎる、無機質すぎる-。現人神である天皇こそが統治の主としないと、お国のために命を捧(ささ)げられない。「天皇陛下万歳」と死んでいけない。機関説の排除とは、戦争を乗り切るためだったのだろう。
 それまで「公」の場では神道と天皇の崇拝を求められたものの、「私」の世界では何を考えても自由なはずだった。だが、事件を契機に「公」が「私」の領域にまでなだれ込んでいった。それから終戦までわずか十年である。
 だから、戦後のスタートは天皇が人間宣言で神格化を捨てた。政教分離で国家神道を切り捨てた。そして、軍事価値を最高位に置く社会を変えた。憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は「第九条の存在は、そういう社会の価値体系を逆転させたということに、大きな意味があった」と書いている。
 
 軍国主義につながる要素を徹底的に排除した。そうして平和な社会の実現に向かったのは必然である。自由な「公共」をつくった。とりわけ「表現の自由」の力で多彩な文化や芸術、言論などを牽引(けんいん)し、豊かで生き生きとした社会を築いた。平和主義が自由を下支えしたのだ。九条の存在が軍拡路線を阻んだのも事実である。
 ところが、戦後の「公共」を否定する動きが出てきた。戦後体制に心情的反発を持ち、昔の日本に戻りたいと考える勢力である。強い国にするには、「公」のために「私」が尽くさねばならない。だから愛国心を絶対的なものとして注入しようとする。国旗や国歌で演出する-。そんな「公共」の再改造が進んでいまいか。
 
 憲法改正の真の目的も、そこに潜んでいないか。憲法は国の背骨だから、よほどの動機がない限り改変したりはしないものだ。動機もはっきりしないまま論議を進めるのはおかしい。戦後の自由社会を暗転させる危険はないか、改憲論の行方には皆で注意を払わねばならない。 =おわり
(この企画は桐山桂一、豊田洋一、熊倉逸男が担当しました)
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