2016年9月8日木曜日

(社説)今、憲法を考える (8) 立憲・非立憲の戦いだ

 たとえ国会で「人権を奪う法案」が可決されたとしても、憲法に人権が明記されている以上人権は守られます。
 それでは憲法96条の規定によって、衆参両院で2/3以上の賛成を得れば、憲法の人権条項を削除する発議は可能なのでしょうか。国民主権や平和主義を変える発議は可能なのでしょうか。
 
 憲法第97条には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、・・・現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と謳われているように、「侵すことはできない」と規定されています。
 一般に、改正規定自体が憲法で認められた権利なので、その主体である憲法自体を否定することになるような国民主権や人権などの基本原理の変更はできないとされています。
 
 このように厳重に保護されている憲法上の基本原理を、根こそぎ刈り取ってしまうものが今自民党によって導入の必要性が強調されている「緊急事態条項」です。
 もしもそれが憲法に盛り込まれてしまえば、あとはもう種も仕掛けも要りません。国家存立のためと称して、政府の一存で憲法秩序を停止し、奪われないはずの人権も自由も制限されることになります。
 このことについては既に70年前(1946年)、新憲法制定の担当大臣であった金森徳次郎は帝国議会において、「どんなに精緻な憲法を定めても、それによって破壊されることになる」として、緊急事態条項を憲法に盛り込んではならないと断言しています。
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(社説)今、憲法を考える (8) 立憲・非立憲の戦いだ
東京新聞 2016年9月7日
 もし「人権を奪う法案」が国会で可決されたらどうなるか…。
 たとえ多数決でも人権は奪えないと考えるのが立憲主義である。憲法に明記すれば、人権は守られる。どんな政治権力も暴走する危険があるから、憲法の力で制御しているのだ。
 ちょうど百年前、一九一六年に京都帝大の憲法学者佐々木惣一が「立憲非立憲」という論文を発表した。「違憲ではないけれども、非立憲だとすべき場合がある」という問題提起をしたのだ。
 人権を奪う法案のたとえは、非立憲そのものだ。国民主権も多数決で奪えない。平和主義もまたそのような価値である。
 民意を背景にした政治権力でも間違うことがあるから憲法で縛りをかける。過半数の賛成も間違うことがある。だから多数決は万能ではないと考えるわけだ。
 
 対極が専制主義である。佐々木は「第十八世紀から第十九世紀にかけての世界の政治舞台には、専制軍に打勝(うちかっ)た立憲軍の一大行列を観(み)た」と記した。専制軍とはフランス王制、立憲軍とは人権宣言などを示すのだろう。佐々木が心配した「非立憲」の勢力が、何と現代日本に蘇(よみがえ)る。
 集団的自衛権行使を認める閣議決定はクーデターとも批判され、安全保障法制は憲法学者の大半から違憲とされた。憲法を無視し、敵視する。そして改憲へと進む…。民意で選ばれた政治権力であっても、専制的になりうることを示しているのではないだろうか。
 
 緊急事態条項を憲法に新設する案が聞こえてくる。戦争や自然災害など非常事態のとき、国家の存立を維持するために、憲法秩序を停止する条項だ。奪われないはずの人権も自由も制限される
 他国にはしばしば見られるのに、なぜ日本国憲法にこの規定がないか。七十年前に議論された。一九四六年七月の帝国議会で「事変の際には(権利を)停止する」必要性をいう意見が出た。新憲法制定の担当大臣である金森徳次郎はこう答弁した。
 <精緻なる憲法を定めましても口実を其処(そこ)に入れて又(また)破壊せられる虞(おそれ)絶無とは断言し難い
 緊急事態という口実で、憲法が破壊される恐れがあると指摘したのだ。戦前の旧憲法には戒厳令などがあった。ヒトラーは非常事態を乱用して独裁を築いた。「立憲」を堅持しないと、権力はいろんな口実で、かけがえのない人権を踏みにじりかねない。