『憲法という希望』(講談社)という本を著わした気鋭の法学者木村草太・首都大学東京法学系教授(憲法)が、「『憲法ってなんですか?』に対する、木村草太の答え」と題して、「憲法」について ”たとえ” などを用いて分かりやすく説明しました。
その中で、「憲法を国民がきちんと使いこなせるようになれば、憲法は社会をより良くする力になる。本当に困っている人たちの希望になる」と述べています。
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「憲法ってなんですか?」に対する、木村草太の答え
あってもなくても一緒と思っている人へ
木村 草太 現代ビジネス 2016年9月25日
首都大学東京法学系教授(憲法)
1 張り紙から過去が見える
ここ数年、かつてなく憲法に注目が集まっており、私も、しばしばテレビやラジオの出演依頼を受ける。
報道機関で印象的なのは、セキュリティの厳しさだ。「社員証は必ず携行しましょう」といった張り紙をよく目にする。張り紙と言えば、夜のラジオでしばしば声をかけて頂く某局のトイレには、他局では見ないユニークな張り紙がある。「居眠りは止めましょう」と書かれているのだ。居眠りの常習犯がいたに違いない。
「憲法学者がなぜ張り紙の話など始めるのだ?」といぶかしがる方もいるかもしれない。しかし、張り紙は憲法理解のための良い素材だ。
2 憲法って何ですか?
仕事柄、よく「憲法って何ですか?」と聞かれる。答えかたはいろいろあるが、私は、「国家権力がしでかした失敗への反省から作られた張り紙のようなものだ」と説明することにしている。
歴史を振り返れば、国家権力は、気に入らない人間を弾圧したり、独裁をしたり、あるいは無謀な戦争をしたりして、国内や国外の人々を困らせてきた。そうした失敗を繰り返さないようにするには、人権を保障しましょう、権力を分立しましょう、軍事権を行使するには慎重な手続きを経ましょう、などといったルールをあらかじめ定めておくのが有効だ。このような構想を立憲主義という。過去にトイレでの居眠りが多かったので、それを防ぐために張り紙をしよう、というのと同じ発想だ。
立憲主義に基づき制定された憲法が機能すれば、人権は保障され、権力は濫用されにくくなる。無謀な戦争も起きにくくなる。憲法は、国民からのそうした期待を一身に背負い、その活躍が待たれているはずだ。
3 憲法は待たれているのか?
憲法は、国家権力をコントロールするためのよりどころである。憲法知識がごく一部の専門家だけにしか知られていないのでは、憲法はうまく機能しないだろう。市民の間にも理解を深め、権力者がおかしなことをしそうになったら、「それはだめです」と押しとどめる力を持たねばならない。
しかし、専門誌の論文や最高裁の判例を離れ、一般メディアや論壇の議論を見ていると、憲法は本当に待たれているのだろうか、という気がしてくる。そこで流通している憲法論議は、専門の研究者が普段考えていることとあまりにもかけ離れていることが多い。知識人と呼ばれる人たちまでもが、誤った前提のもとに議論をしていたりする。
例えば、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」する、と定めた憲法二四条は、何を意味しているのか。戦前の旧民法では、婚姻に、親や親族の同意が必要であり、当事者の合意だけでは結婚できなかった。また、女性の地位が低く、選挙権もなければ、家庭内でも従属的な立場にあった。憲法二四条はこれを改め、当事者の合意「のみ」で婚姻できること、男性だけでなく女性の同意も必要であることを定めるために制定された。
こうした時代背景を学んでいれば、憲法二四条は、当事者の意思を尊重するために定められたのであって、同性婚を禁じる趣旨など全くないことは明らかだ。にもかかわらず、一般メディアや知識人とされる人が、「憲法二四条は同性婚を禁じている」と解説したりする。人々の幸せを本気で願うならば、このような誤った言説を修正し、建設的な議論のベースを作っていかねばならない。
しかしながら、「そんなことは不可能なのではないか」と無力感に襲われることがある。人々がきちんとした学問的知識を求めているなら、そして、そうした学問的知識に裏打ちされた社会の実現を求めているなら、とっくの昔に誤りは修正されているはずではないだろうか。社会は、憲法の求める理想とはかけ離れた世界、すなわち、立憲主義の成立以前の世界を求めているのではないだろうか。
「やってられないなあ、本当に、私は待たれているのだろうか」、という憲法のぼやきが聞こえてきそうだ。いとうせいこう氏の名作『ゴドーは待たれながら』は、ベケット『ゴドーを待ちながら』を裏側から描いている。『待たれながら』のゴドーは、本当に待たれているのだろうかと、延々、逡巡する。これはまさに今の憲法がおかれた状況のようではないか。
しかし、憲法自身は、「ぼやく」なんて態度からは程遠い。憲法一二条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と力強く宣言する。
立憲主義の実現に向けた努力が徒労のように感じることもあるかもしれない。しかし、立憲主義のために精一杯努力して、ようやく今の状態にとどまっている。このささやかな努力をやめてしまったら、もっとひどいことになる。
憲法がぼやいているように感じたのは、単なる私のぼやきに過ぎなかったのだ。
4 本当に困っている人たちのために
そう思って、もう一度、考えてみる。憲法を待っている人は本当にいるのだろうか。確かに、日々の生活に満足している人たちは、「憲法なんてあってもなくても一緒だ」と思っているかもしれない。しかし、本当に困っている人たちは違う。誰かに助けを、希望を求めている。本当に困っている人たちのために、憲法は何をできるか。それを検討したのが、『憲法という希望』※(講談社現代新書)という本だ。
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この本では、夫婦別姓訴訟と辺野古基地問題を考えた。民法七五〇条は、夫婦のどちらかが氏を変更しないと法律婚はさせない、と規定するため、多くの別姓希望カップルが、事実婚という不安定な状態にとどまることを余儀なくされている。辺野古基地の建設について、沖縄の人々は、本当に困り果て、心の底から怒っている。
困っている人たちのために、憲法にできることはないのか。実は、結構あるはずだ。憲法を国民がきちんと使いこなせるようになれば、憲法は社会をより良くする力になる。本当に困っている人たちの希望になる。『憲法という希望』では、憲法を神棚に祭り上げるのではなく、憲法を引きずり出そう、現実に役立てようと試みている。
5 憲法を伝えるには?
ただ、本の著者というのは、自分の中で当たり前になっていることがたくさんあり、説明すべきことを説明せず、読者をはてなマークの中に置いてきぼりにしがちだ。私もその例外ではない。例外でないどころか、どんぴしゃりの典型例である。
だから、私の本には、読者の視点から適切な質問を投げかけてくれる人が必要だ。なんと、『憲法という希望』では、国谷裕子さんがその役をやってくださった。皆さんもご存知の通り、国谷さんは、NHK「クローズアップ現代」のキャスターとして活躍した。「伝えるプロ」の国谷さんが投げかける質問は、視聴者が「まさにそこを聞いてほしかった」と思うものばかりだ。
私の一方的な語りを読んで、「いま一つよくわからない」と思った方も、きっと、最後の対談部分を読んだ後には、「なるほど」と感じるところが格段に増えているのではないかと思う。
6 お説教はそろそろ終わりに
憲法は大切だとか、立憲主義は人類普遍の原理だと抽象的に言っても、その大切さはなかなか伝わらない。偉そうなお説教に聞こえ、「憲法なんてうんざりだ」という反発を生むことすらあるだろう。
しかし、本当に困っている人を前に、「すべての人が尊重される社会を作るにはどうしたらいいのだろう」と考えをめぐらすと、憲法の潜在力に気づくはずだ。自ずと、建設的な提案が見えてくる。
異なる個性を持つ人々が共に生きようとする限り、憲法は間違いなく待たれている。憲法にどんな希望が見えるのか。ぜひ、体感してみてほしい。
木村 草太(きむら・そうた)
1980年神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業、同助手を経て、現在、首都大学東京法学系教授。専攻は憲法学。著書に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)、『憲法の急所』(羽鳥書店)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK出版新書)、『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)、『いま、〈日本)を考えるということ』(共著、河出書房新社)など。
読書人の雑誌「本」2016年10月号より