2013年5月20日月曜日

元韓国人従軍慰安婦が実態を証言

 
 旧日本軍の関与する従軍慰安婦施設に14歳のときに「軍服を作るため」という口実で連行され、8年間「慰安婦」を強いられた韓国の金福童さん(87)がいま来日しています。

 15日に沖縄県宜野湾海浜公園で行われた「5・15平和とくらしを守る県民大会」で、金さんは「日本政府は民間人が慰安所をつくったとしているが、(戦時下の)民間人があのような(大規模な)慰安所を準備できただろうか」と軍の関与を指摘し、「日本政府はうそをつかず、公式に謝罪してほしい」と訴えました。
 そして橋下氏が強制連行の証拠はないと繰り返していることに対して、「血の涙がにじむ経験をした本人がいるのに、どうして証拠がないと言えるのか。私がここに生きている。それ以上の証拠がいったいどこにあるのか」と批判しました

 1993年の河野談話では、大戦中 慰安所設置に「旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」と認め、「生活は強制的な状況の下での痛ましい」ものとして全体としての強制性を認め、心からおわびと反省の気持ちを申し上げるとしました。
 当時河野氏自ら政府が発見した資料の中には国によるいわゆる強制連行を直接示す資料は見当たらなかったが、そもそも国がそういう資料を残すものだろうか、元慰安婦が逃亡不可能な環境の中で筆舌に尽くしがたい苦難を味わってきた事実から、強制性があったと判断したことを語りました。
 以後歴代の内閣は河野談話を閣議決定と同等のものとしてその内容と精神を踏襲して来ましたが、200に誕生した第1次安倍内閣は翌年突然に、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定しました。
 橋下氏の強制連行はなかったとの主張はまさにそのことに異様に拘ったものであって、元慰安婦の証言に対しては「証拠価値がない」などとあたかも狂言であるかのごとくに扱っています。

 橋下氏はいま四面楚歌のなかで13日の自らの発言に対して修正に次ぐ修正を重ねており、ではあのとき一体何を言いたかったのかすら不明になっています。
 24日に元慰安婦たちと会うということですが、一体どういう対応をするのか興味のあるところです。
 
 以下に沖縄タイムスの記事と社説を紹介します。
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金さん、慰安所の実態証言 5・15大会
沖縄タイムス 2013年5月20日
 「国家による性暴力に遭い、人権を踏みにじられた少女のことを知ってますか」。韓国人の元「従軍慰安婦」、金福童(キムボクトン)さん(87)が、舞台の上から「慰安所」での生活を語り始めると、会場は静まり、地をたたく雨の音が響いた。
 金さんが14歳のころ旧日本軍に連行された場所には、複数の部屋を備えた慰安所があったという。金さんは「日本政府は民間人が慰安所をつくったとしているが、(戦時下の)民間人があのような慰安所を準備できただろうか」と軍の関与を指摘。「日本政府はうそをつかず、公式に謝罪してほしい」と訴えた。
 「台湾、中国などの慰安所を回り、1日に数十人の相手をさせられた」という金さん。日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が「慰安婦は必要だった」と発言したことに「政治家が暴言を吐くことができないよう、皆さんが力を合わせてください」と参加者に求めた。
 大会後の取材に対し、24日予定の橋下市長との面談について「何を言うか、相手がどう答えるかは会ってみないと分からないが、私と彼との気持ちが合わなければ、闘いが始まる」と語った。
 沖縄での米兵による性犯罪には「軍事基地があるから、性暴力の危険性が高まることは歴史が物語っている」とし、基地撤去の必要性を強調した。

社説 [元「慰安婦」証言] 「私の存在が証拠です」
沖縄タイムス 2013年5月20日
 尊厳が傷つけられた過酷な体験を当事者自らが証言する言葉の意味は重い。
 旧日本軍「慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。
 金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。
 橋下氏が強制連行の証拠はない、と繰り返していることに「血の涙がにじむ経験をした本人がいるのに、どうして証拠がないと言えるのか。私がここに生きている。それ以上の証拠がいったいどこにあるのか」と批判した。
 日本政府は1993年の河野洋平官房長官談話で「お詫びと反省」を表明。「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと旧日本軍の関与と強制性を認めている。
 だが、第1次安倍内閣は2007年、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定している。橋下氏の強制連行はなかったとの発言はこれに基づくものだ。
 そもそも強制かどうかに関係なく、公党の代表が現在の時点に立って「当時は必要だった」と公言すること自体許されないことだ。
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 当事者の証言は証拠である。史資料と比べ価値が低いわけではない。オーラル・ヒストリー(口述史資料)を重要視する学会の動向を見れば明らかだ。
 沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」訴訟で、司法側が住民のオーラル・ヒストリーを証拠として採用したことともつながる。
 慰安婦問題が沈黙から告発へと大転換したのは1991年だった。故金学順(キムハクスン)さんら韓国人元「慰安婦」3人が初めて、日本政府を相手に謝罪と個人補償を求める裁判を東京地裁に起こしてからである。戦時の性暴力が問われることになった。
 橋下氏のような発言は、国際社会から見れば、日本は、正面から慰安婦問題に取り組んでこなかった、と受け止められるに違いない。
 維新の会の西村真悟衆院議員は17日の党代議士会で「日本には韓国人の売春婦がうようよいる」と発言した。有権者から選ばれた政治家がこのような低劣な発言をしたことに驚きを禁じ得ない。除名処分にするのは当然である。
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 慰安婦問題の真実を伝えようと、韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会は来月初めまで各地で証言集会を開く。金さんはその一環として来沖した。同じく韓国人元「慰安婦」の吉元玉(キルウォンオク)さん(84)も来日しており、2人は24日に橋下氏と面会する。
 慰安婦問題は決して過去の話ではない。私たちが向き合い、克服しなければならない現在の問題である。