2013年8月15日木曜日

終戦の日に考える 「自衛隊は鬼子なのか?」

 自衛隊はアメリカの要請によりまず「警察予備隊」として生まれ、その後「保安隊」と呼ばれた時期を経て「自衛隊」になりました。現在の「装備レベル」は世界で5位を下らないといわれています。
 日本国憲法の極めて特異なところは条の第2項であり、戦力を持たず交戦権を認めないという点で世界においてほぼ唯一です。それにもかかわらずなぜ自衛隊の存在は許されるのでしょうか。かつては革新勢力が厳しく憲法との整合性を追及してきました

 それが現在では改憲派から「自衛隊の存在は平和憲法のモラル・ハザード(倫理違反=和製英語)」と呼ばれて改憲の口実にされるに至っています。事実 高校生たちの真剣な討議の結果、自衛隊に市民権を与える意味で9条の改憲は必要、という意見が多数を占めるという事態も生まれました
     ※ 月8日付「ハイスクール国会は平和主義ですが」

 もしも護憲派のなかに自衛隊の問題については正面から取り上げたくないという気持ちがあるとしたら、とても明快に護憲論を展開するというわけには行きません。

 このことに関して内閣法制局はさすがに見事な理論武装をしています。9日付の朝日新聞に載った「阪田雅裕・元内閣法制局長官との一問一答」の中で、阪田元長官は次のように述べています。

 9条だけでなく全体をよく見れば、憲法は前文に国民の平和的生存権、13条に国民の幸福追求権を規定している。国民が平和的に暮らせるような環境を整備し、人間として幸福を精いっぱい追求できる状況を保つことが、国の責務として書かれている。
 外国から武力攻撃があれば直ちに国民の生命、財産が危機にひんする。これを主権国家が指をくわえて見ていろというのは憲法の要請かということだ。国民を守るために外国の攻撃を排除するだけの実力組織が必要。だから政府は自衛隊の存在は許されると理解してきた)」 と。

 自衛隊は決して平和憲法の鬼子ではないというものです。

 以下に9日付朝日新聞記事の抜粋を紹介します。
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阪田雅裕・元内閣法制局長官との一問一答
■朝日新聞 2013年8月9日
安倍晋三首相は8日、憲法解釈を担う内閣法制局の新長官に、元国際法局長の小松一郎駐仏大使を起用した。初の外務省出身の長官で、歴代内閣が違憲と解釈してきた集団的自衛権の行使を認める地ならしだ。こうした動きは、「法の番人」と呼ばれる内閣法制局の側からはどう見えるのか。元長官の阪田雅裕氏が朝日新聞のインタビューに応じ、平和主義や法治主義の観点から批判した。概要は次の通り。

Q:集団的自衛権は同盟国などへの攻撃に反撃する権利です。歴代内閣は、憲法9条の下で行使は認められないとの解釈を示してきました。首相や自民党はこの解釈を変え、行使できるようにしようとしています。こうした動きをどう思いますか
A:今の憲法解釈は自衛隊が発足してからこれまで、政府が一貫してとってきた立場だ。9条の文言だけでなく、憲法全体の趣旨など、いろんなことをふまえていまの解釈が導かれている。そのうえで、60年近くにわたって国会での論議が積み重ねられた。法論理としては、今までの政府の解釈は非常に優れている。
 これを変えることは、今までの理屈が間違っていたということだ。法律の理屈として別の正解を導き出さなければならないが、我々の頭では非常に考え出しにくい。取って代わる論理をどうやって見つけるのかなというのが、第一番の問題だ。
   (中 略) 
 いま中学校や高校の教科書には、日本国憲法には国民主権、基本的人権の尊重、そして世界に誇る平和主義を基本原理としていますとある。だからまず教科書を書き換えないといけない。そこはずいぶん国民の常識と違う。

Q:そもそも、どうして9条のもとでは集団的自衛権の行使が認められないのでしょうか
A:大前提として、9条で一番わかりにくいのは自衛隊が合憲だということだ。9条の1項(戦争放棄)は他国の憲法にも国際法にも例がある。パリ不戦条約やイタリア憲法に同じようなことが書かれている。1項だけなら侵略戦争禁止という意味で、98条2項の入念規定と言えなくもない。
 日本国憲法の非常に特異なところは2項だ。戦力を持たず、交戦権を認めないとある。にもかかわらずなぜ自衛隊の存在は許されるのかは9条の大きな一つの問題だった。55年体制下では圧倒的にその点について政府が追及を受けてきた。
 政府はどう考えてきたか。9条だけでなく全体をよく見れば、憲法は前文に国民の平和的生存権、13条に国民の幸福追求権を規定している。国民が平和的に暮らせるような環境を整備し、人間として幸福を精いっぱい追求できる状況を保つことが、国の責務として書かれている。
 外国から武力攻撃があれば直ちに国民の生命、財産が危機にひんする。これを主権国家が指をくわえて見ていろというのは憲法の要請かということだ。国民を守るために外国の攻撃を排除するだけの実力組織が必要だから自衛隊の存在は許されると理解してきた。
 他方で、自衛隊はそういうことのために存在が認められるのだから、それ以外の目的で海外に出かけて武力行使をするところまで9条が許容しているとは、憲法全体をどうひっくり返してみても読む余地がない。
 我が国への武力攻撃がないわけだから、国民の生命、身体、財産が脅かされたり、国土そのものが外国に侵略されたりしているわけではない。そんななかで日本の領土、領海、領空を離れ、戦闘に及ぶことになる。従って集団的自衛権の行使、集団安全保障措置、多国籍軍への参加はできないと考えてきた。

Q:首相は、日本を取り巻く安全保障環境の厳しさから、集団的自衛権の行使容認を検討すべきだという立場です
A:憲法が時代に合わなくなることはもちろんありうる。法律の場合、時代に合わなくなったらどうするか。政府が柔軟に解釈して、昨日まで適法だったことが今日から違法だなんてことはありえない。法律を新しく作り改正する。
 だからこそ法治国家なのだ。憲法がおよそ改正できないならば話は違うが、手続きがきちんと書いてある。今の9条がもし時代に合わないなら、国民に十分説明し、納得してもらって改正するのが正しい道だ。
   (中 略)

Q:自民党が直近の衆院選、参院選で勝ち、首相は民意を得ました。だから首相は持論の集団的自衛権の行使容認を実現するため、憲法解釈を変えてもいいという考え方があります
A:民意はトータルとして示されている。経済政策も非常に大きかったし、消費税、社会保障制度の問題もある。いろんな事柄をパッケージで衆院選、参院選は行われている。
 それと、民意を得たから法律を好きに解釈して執行していいなんてことにはならない。民意を得た政権は立法府で法律を作り政策を実現する。憲法改正はよりハードルが高いが、法治国家のルールにのっとる努力をするのが政治のあるべき姿でないか。解釈改憲でいいというのは邪道になっていないか。立法府として自殺行為的な色彩がないか。
   (後 略)