2013年8月22日木曜日

「はだしのゲン」に平和を教わった人は多い

 島根県松江市の市立小中学校に教育委員会が漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を求め、一部で閉架の処置を取っていたことが多くの人たちの憤激を買っています。
 
 その後の調査で、教育委が「はだしのゲン」の閲覧制限を求めたのは前任の教育長教育委員に諮らず独断で決めた結果であったことが分かりました
 市や教育委には19日夕までに全国からメールで979件、電話で205件などの意見が寄せられ、その9割は子供の知る権利や表現の自由などを求める苦情や抗議だったといいます。(20日付毎日新聞
 同教育委では22日に開かれる定例の会議で、教育委員に各学校の現状についてアンケート結果を説明し、制限を続けるか協議することにしています。

 また、鳥取市立中央図書館でも小学生の保護者のクレームをきっかけに2年前からはだしのゲンを児童書コーナーから事務室内に移し、別置きしたままにしていたことが分かりました同館は、「どのような形で閲覧してもらうのがよいのか職員で議論するのをつい怠っていた。図書館として閲覧を制限したつもりは全くなく、今後は一般書のコーナーに移して手にとって読めるようにしたい」と話しています。

 この問題について広島県の湯崎知事は20日の記者会見で「『はだしのゲン』は広島の被爆の実相を伝える資料として、長年たくさんの人が読み継いできたもの。児童や生徒被爆の実相を理解し、世界の平和と人類の幸福に貢献できる人に育ってもらうことが大事。自由に読んでもらっていいと思う」と述べました。

 ところで在特会(在日特権を許さない市民の会)系のメンバー松江市教育委員会に「はだしのゲン」を撤去するよう抗議している動画ネット上で流れているということです。
 「はだしのゲン」の閲覧制限が、そうしたグループによる反戦・反核兵器文学の排除を目的とした要求によるものであれば許されないことです。
 
 ここにきて広範な良識派の抗議行動で閲覧制限が解除される方向であるのは嬉しいことです。

 以下に21日付の東京新聞の社説を紹介します。
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(社説) はだしのゲン 彼に平和を教わった
東京新聞 2013年8月21日
 原爆の焦土をたくましく生き抜く少年を描いた漫画「はだしのゲン」。世界中の子どもたちが彼に平和を学んでいる。それを図書館で自由に読めないようにした大人。ちょっと情けなくないか。
 「はだしのゲン」は、英語、ロシア語、クロアチア語など世界約二十カ国語に翻訳されている。
 書物を出すのに政府の許可が必要なイランでも、ことし五月にペルシャ語訳が出版された。
 原爆を投下した米国でも、全米約三千の図書館に所蔵され、韓国では全十巻三万セットを売り上げるベストセラーになっている。
 一九七三年に連載がスタートし、八五年に完結した。誕生から、ことし四十年になる。
 「はだしのゲン」は、漫画やアニメが日本文化の代表として、世界でもてはやされる以前から学級文庫に並んでいた。
 今月五日、広島原爆忌の前夜には、市民グループの手によって、原爆ドームの足元を流れる元安川の川面に、作者の中沢啓治さんとゲンの姿が映し出された。
 なぜゲンが選ばれ、読み継がれているのだろうか。
 単行本一巻目の表紙には、青麦を握り締めてほほ笑むゲンの横顔が描かれている。踏まれても踏まれても、たくましく穂を実らせる、青麦は成長のシンボルだ。
 <私は「はだしのゲン」を読んで、原子爆弾が投下された日の広島のことを知った気になっていました。しかし、(被爆体験者の)お二人の話を聞いて、たくさんのことが分かりました>
 愛媛県の少女が地元紙に寄せた投書の一節だ。
 松江市教委が問題視したような残虐とも思える描写も確かにある。しかし、子どもたちは、それも踏まえて物語を貫く平和への願いや希望を感じ取り、自分の頭で考えながら、ゲンと一緒にたくましく成長を遂げている。
 表現の自由や図書館の自由宣言をわざわざ持ち出すまでもない。
 大人たちがやるべきなのは、目隠しをすることではない。子どもたちに機会を与え、ともに考えたり、話し合ったりしながら、その成長を見守ることではないか。
 昨年末に亡くなった中沢さんは「これからも読みつがれていって、何かを感じてほしい。それだけが、わたしの願いです」と、「わたしの遺書」の末尾に書いた。子どもたちよ、もっとゲンに触れ、そして自分で感じてほしい。