松江市教育委が市内の小中学校に「はだしのゲン」の閲覧制限を要請した問題は、その後、前教育委員長(女性)が昨年12月に委員会に諮ることなく独断で決めて通達を出し、その後今年1月には教育委事務局が再度閉架措置の徹底を要請していたものであることが分かりました。
一方、在特会(在日特権を許さない市民の会)系のメンバーが松江市教育委に、「はだしのゲン」の閲覧制限を要求しているシーンの動画が、インターネット上に流れていることも分かりました。
こうした不明朗な経緯にもかかわらず、その後松江市では小学校1校をのぞきほぼ全てで閲覧を制限するに至っています。市教育委は22日の定例会議で閲覧制限の撤回について検討しましたが結論が出ず、26日にもう一度臨時会で検討することになりました。
これまで「はだしのゲン」をロシア語や英語などに翻訳して、世界に広島の被爆体験を伝えてきたNPO代表の浅妻さんは、「行政の判断に唯々諾々と従う学校現場の姿は、戦前と同じ」、「怖ければ読み飛ばせばいい。ゲンには学ぶところはいっぱいある。海外からも大きな反響がある。戦争は怖いという気持ちが心に残ることこそが大切ではないか」と批判しました。
そして戦前「子どもたちを戦争に送り出したのは、ものを言わぬ教師たちだった。教育者はその責任を感じてほしい」とも訴えました。
閲覧制限が当初言われたように残虐なシーンがあるからという理由で行われた、というような単純な問題でないことだけは明らかになりました。これは勿論重大なことです。
何よりもまず教育の現場で反戦のともし火が消されないことを望みたいものです。
以下に、中日新聞の記事と愛媛新聞の社説を紹介します。
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官に盲従 戦前と同じ はだしのゲン閲覧制限問題
中日新聞 2013年8月24日
学校現場の思考停止憂う
漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を松江市教委に求められた小中学校で、ほとんどの校長が要請に従っていた。自由に読める学校はわずか一校のみ。作品を海外に広めてきたグループの代表で、金沢市長坂の浅妻南海江さん(71)は「行政の判断に唯々諾々と従う学校現場の姿は、戦前と同じ」と危ぶむ。“ゲン”を排除したものは何だったのか。(中山洋子)
「大人も子どももゲンを通して被爆を追体験し、戦争の愚かさを学んできた。大きな役割を果たしているゲンをなぜ学校図書館から締め出すのか」
市内の自宅で浅妻さんが憤った。
浅妻さんらのグループは、一九九四年からゲンをロシア語や英語などに翻訳し、広島の被爆体験を伝えてきた。このグループを母体にNPO法人「『はだしのゲン』をひろめる会」を結成、理事長に就任した。「ゲンによって初めて多くの外国人が被爆の実相に触れている。米国からは『きのこ雲の下にどれだけの人がいたかを想像していなかった』という感想も多い。ロシアでは科学者さえ『核兵器は恐ろしい。二度と使用してはならない』という手紙をくれた」
作品の力を知るだけに、今回の松江市教委の閲覧制限には耳を疑った。市教委側は残虐な場面があることを子どもたちへの閲覧制限の理由にするが、浅妻さんは「怖ければ読み飛ばせばいい。ゲンには学ぶところはいっぱいある。戦争は怖いという気持ちが心に残ることこそが大切ではないか」と批判する。昨年末に亡くなった作者の中沢啓治さんとも親しく、生前に中沢さんが「戦争や原爆を(飲みやすくする)甘い被膜で包めば、子どもは戦争や原爆を甘く考える」と懸念していたと振り返る。
NPOとして松江市教委にも抗議文を送り、閲覧制限の再考を訴えた。その中でも、浅妻さんは学校現場の思考停止を憂いた。「子どもたちを戦争に送り出したのは、ものを言わぬ教師たちだった。ゲンを自由に読めなくした経緯のあいまいさこそ危うい。教育者はその責任を感じてほしい」と訴えた。
(社説)「はだしのゲン」 公による閲覧制限許されない
愛媛新聞v2013年08月24日
「図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく…国民の利用に供する」。現在約2300の公立や学校の図書館が加盟する日本図書館協会が、過去の「思想善導」の反省から、1954年に採択した「図書館の自由に関する宣言」だ。
国民の知る自由を保障するこの理念を、ないがしろにしたと言わざるを得ない事態が起きている。松江市教育委員会が漫画「はだしのゲン」の閲覧制限を市立小中学校に求めた問題である。公権力による、知る権利や表現の自由への干渉は断じて許されない。憲法違反の疑いも拭えない。松江市教委に要請の撤回を求めたい。
「はだしのゲン」は実体験を基に、原爆や戦争の悲惨さと、たくましく生き抜く少年を描く。40年前に連載が始まり、約20カ国語に翻訳され世界で読み継がれている「平和の語り部」だ。
それがなぜ、いま突然に閲覧制限なのか。不可解だ。
昨年、作品の歴史認識を問題視する市民が学校図書館からの作品撤去を求める陳情をし、市議会は不採択とした。その時、ある市議が「過激な文章や絵が占める不良図書」と発言。市教委が図書の扱いを検討したという。
市教委は全校長を対象にアンケートを実施。大半が作品を高評価したにもかかわらず市教委は学校に閲覧制限を求めた。しかも、教育長ら事務局が、重要事項に当たらないとして教育委員に諮らず独自判断した。この経緯は不透明で、到底納得できない。
終戦の日に「不戦の誓い」を口にしなかった安倍晋三首相。右傾化が指摘され、戦後処理をめぐり日中、日韓関係がぎくしゃくしているいま。だからこそ、この時期の要請の背景を解明する必要がある。市教委に明確な説明を求めたい。
教育現場の問題も根深い。同市内で「はだしのゲン」を所有する全ての小中学校が市教委の要請に従い、閲覧に教員の許可が必要として貸し出し禁止にも踏み切った。これまで平和の学習教材として子どもたちに薦め、自由に手に取れるようにしていた本を、突然棚から消したのだ。
公権力が校長権限の学校運営に介入しても「上意下達」がまかり通る体質を根本から変えなければならない。
今回、市教委は過激な描写を問題とするが、むごい戦争の真実としっかり向き合い、考えることが必要だ。
愛媛でも「はだしのゲン」をきっかけに戦争経験者や被爆者らと対話し、平和の尊さを学ぶ子どもたちがいる。ゲンと同じ目線の子どもだからこそ見えるものがある。戦争を知る人たちが少なくなった現代、平和を築く大事な機会を奪ってはならない。