2014年2月20日木曜日

秘密保護法を懸念 横浜事件元被告の遺族

 東京新聞は19日の夕刊で、横浜事件の被告を父に持った、金沢大名誉教授の平館道子さんを取り上げました。
 平館さんは、父と家族を苦しめたのは際限のない拡大解釈で表現活動を縛った治安維持法であったと述べ、年末に成立した特定秘密保護法が、その再来ではないかと恐れています。
 
 彼女が九歳の時に、学校から帰ると家中が荒らされていて、父は特高警察に逮捕されていました。のちに差し入れを運んだ平館さんは、警察の廊下で、父だとはすぐに分からないほどやつれ、薄汚れた和服の父を見かけて、言いようのないほどのショックを受けました。
 
 横浜事件は、第二次世界大戦中の1942年、雑誌『改造』に掲載された細川嘉六氏の論文「世界史の動向と日本」が、「共産主義的で政府のアジア政策を批判するもの」などとして問題にされ、新聞紙法違反の容疑で逮捕されました。
 そして捜査中に、細川氏が富山県泊町の旅館で開いた出版記念宴会の写真が見つかると、特高はなんとそれを共産党再結成の謀議を行った証拠写真だとして、朝日新聞社、岩波書店、満鉄調査部などの関係者約60人を治安維持法違反容疑で逮捕しました。
 
 当時非合法であった共産党の再結成会が仮にあったとしても、秘密を要する会の写真を撮って残すなどをする筈はなく、特高の荒唐無稽な妄想というしかありません。
 しかし現実にその妄想に基いて約60人が逮捕され、凄惨な拷問を受け4人が獄死(もう一人は保釈後に死亡)するなどしました。平館さんの父も、拷問で左手に負った傷が生涯消えなかったということです。
 
 治安維持法がそうであったように、特定秘密保護法もまた、いくらでも拡大解釈が可能な構造になっています。
 禁止内容を表示する条文には、実に37個の「その他」が用いられているので、たとえ条文に明記されていない事柄で逮捕・起訴されたとしても、「『その他』に該当する違反だ」と言われてしまえばそれまでです。これほど滅茶苦茶な法律もありません。
 
 安倍首相は、国会や記者会見で「特定秘密保護法が一般の国民に被害を与えるようなことは絶対にありません」と繰り返し強調しますが、そうした絶叫には何の意味もありません。
 首相がいくら自分が最高権力者だといったところで、警察や検察にとっては何ほどの価値もありません。
 彼らはそんな雑音には耳も貸さず、自分たちの自由を最大限に保障した条文に沿って、粛々とその権限を行使するだけのことです。
 
(追記) 戦時下最大の言論弾圧とされる横浜事件の第四次再審請求でも、治安維持法違反罪で有罪が確定した元被告への再審判決公判で、横浜地裁は有罪、無罪を判断せずに裁判を打ち切る免訴を言い渡しました。
 そこで2009年4月に元被告遺族が横浜地裁に刑事補償の請求手続きを行ったのに対して、2010年2月、同地裁は元被告5人に対し、請求通り約4700万円を交付する決定を行いました。
 その決定の中で、特高警察による拷問を認定し、共産党再建準備とされた会合は事実と認定できないとし、事件は特高による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者がそれを追認したものであり、「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と結論づけました。
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横浜事件元被告の遺族 秘密保護法を懸念 拡大解釈で庶民も弾圧
東京新聞 2014年2月19日
 昨年十二月に成立した特定秘密保護法を危ぶむ一人に、金沢大名誉教授の平館(ひらだて)道子さん(80)=金沢市=がいる。父の利雄さん(故人)は戦時下最大の言論弾圧事件とされる横浜事件の元被告。父と家族を苦しめたのは、際限のない拡大解釈で表現活動を縛った治安維持法だった。その再来を恐れる。 (中山洋子)
 
 「当時の庶民が直面した悲惨な現実を、全力で想像してほしい。絵空事ではないんです」。大病を患ったばかりの平館さんは振り絞るような声で切り出した。
 父が逮捕されたのは九歳の時。学校から帰ると家中が荒らされ、父の蔵書は野口英世の伝記までごっそり押収された。
 家族の生活は一変した。母も毎日警察に呼ばれ、生まれて間もない妹をおぶって聴取を受けた。心労で母乳が出なくなり、妹は栄養失調で生死の境をさまよった。差し入れを運んだ平館さんは、警察の廊下で別人のようにやつれ、薄汚れた和服の父を見かけた。
 「父だとはすぐに分からなかった。ショックで体も動かせなかった」。拷問で受けた父の左手の傷痕は生涯消えなかった。
 
 逮捕の事情はよく分からなかった。何が罪かは当局が決めることで、条文の拡大解釈で「何でもかんでも犯罪にされた」からだ。
 生前、利雄さんは事件を振り返った手記で「横浜事件の関係者五十余名は大なり小なりの反戦思想を持っていたようだが、一言も口に出さなかった。いわんや日本共産党再建準備会結成などは夢のような話である」と吐露している。子どもたちには事件についてほとんど話さなかった。平館さんは「心の中を土足で踏みにじられ、屈服させられた。どれほどの屈辱だったか」とおもんぱかる。
 
◆旅行写真からでっち上げ
 横浜事件は、一九四二~四五年に神奈川県警特高課(当時)が、編集者や学者ら六十人以上を芋づる式に逮捕した事件。拷問で四人が獄死、一人が保釈まもなく亡くなった。
 複数の事件がでっち上げられたが、その端緒が、富山県朝日町(旧泊町)の旅館で撮影された一枚の写真だった。泊町出身の国際政治学者細川嘉六氏が、交流のあった研究者や中央公論の編集者らを招待した宴席の写真が「共産党再建準備会議」の証拠にされた。
 
 平館さんの父利雄さんも浴衣姿でくつろぐ写真の一人だった。国策会社だった南満州鉄道(満鉄)の調査部で、ソ連の社会経済を調査していた。「憲兵や将校にレクチャーすることもあり、『ソ連はいつドイツに負けるのか』の問いに『ドイツの方が危ない』と説明したらしい」(平館さん)
 経済学者として、ソ連とドイツの国力を比べた分析を口にしたにすぎなかったが、当局に目を付けられるには十分だった。後に平館さんが読んだ特高の調書では「ソ連の経済力や軍事力を誇大に言い立てて、共産主義の宣伝を行った」と記されていた。
 
 事件の根拠となった治安維持法は、共産主義運動を抑える目的で二五(大正十四)年に制定されたが、言論や報道、市井の人々の日常が統制されるようになるまでそう時間はかからなかった。あらゆる人々が「共産主義者」のレッテルを貼られて弾圧された。
 
 元被告らの請求で再審が行われたが、二〇〇九年までに有罪か無罪かを判断しない審理打ち切りの免訴判決が確定した。
 平館さんら遺族二人は国家賠償を求めて提訴している。