安倍首相には、憲法第99条が国務大臣に課している憲法尊重擁護義務の認識や憲法第96条に規定されている硬性憲法の意義についての認識が欠如していることは明らかで、それ自体許されることでなく、首相として大いに恥ずべきことです。
ところがここにきて、「立憲主義」を「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」などとする珍論を国会で述べたり、憲法解釈に責任を持つのは内閣法制局ではなくて首相であると主張して、これまで常識とされてきた内閣法制局の位置づけを勝手に否定するなど、その無知・無軌道ぶりは留まるところを知りません。
首相への批判は与党からも出ていて、13日の自民党総務会では、解釈変更について「政府の最高責任者は私だ。政府の答弁について私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と強調したことを、村上誠一郎氏は「首相の発言は選挙で勝てば憲法を拡大解釈できると理解できる。それではその時々の政権が解釈を変更できることになる」と指摘したことを、野田毅氏が「正面から受け止めるべきだ」と支持し、船田元氏も「憲法の拡大解釈を自由にやるなら憲法改正は必要ないと言われてしまう」と述べたということです。
公明党の井上幹事長は、「内閣法制局は事実上『憲法の番人』で、政府が法案提出する際、憲法との整合性をチェックしてきた。権力を抑制的に行使するという意味で大変重い」とし、内閣法制局の解釈を踏襲するよう安倍首相に求めました。
民主党の枝野幸男氏は「立憲主義」を「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」と説明したことについて、「世界のほとんどの国が立憲主義に基づいて国家統治を行っている。こうした発言が外国に出て行くことは国辱的だ」と述べました。
結(ゆ)いの党の小野次郎幹事長、生活の党の鈴木克昌幹事長、共産党の志位和夫委員長、社民党の又市征治幹事長も首相発言をそれぞれ厳しく批判しています。
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「憲法分かってない」 首相解釈変更発言 与野党やまぬ批判
東京新聞 2014年2月15日
安倍晋三首相が集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更について「私が責任を持っている」とした国会答弁に、与野党から批判が相次いでいる。野党は、憲法が国家権力の行動を厳格に制約する「立憲主義」の理念や、内閣法制局が担ってきた憲法解釈を否定する発言だとして今後の国会で追及する構え。政府内からも、くぎを刺す動きが出た。
首相は十二日の衆院予算委員会で、憲法解釈の変更をめぐり自らが「政府の最高責任者」と主張。「政府の答弁に(内閣法制局長官ではなく)私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と強調した。
この答弁に関して、公明党の井上義久幹事長は十四日の記者会見で、内閣法制局の役割について「事実上『憲法の番人』で、政府が法案提出する際、憲法との整合性をチェックしてきた。権力を抑制的に行使するという意味で大変重い」と指摘。歴代内閣と同様、内閣法制局の解釈を踏襲するよう安倍首相に求めた。
民主党の枝野幸男憲法総合調査会長は十四日、会合で「権力者でも変えてはいけないのが憲法という、憲法の『いろはのい』が分かっていない」と首相を批判した。
首相は国会答弁で「立憲主義」の考え方を「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だ」と説明。枝野氏はこれについても「世界のほとんどの国が立憲主義に基づいて国家統治を行っている。こうした発言が外国に出て行くことは非常に恥ずかしく、国辱的だ」と反発した。
結(ゆ)いの党の小野次郎幹事長は「行政の最終責任者であることは分かるが、憲法解釈でそういう言い方をするのは違う」と指摘。生活の党の鈴木克昌幹事長も「二〇一四年度予算案成立した後、一気呵成(かせい)に(解釈改憲の)流れが進む」と危機感を示した。共産党の志位和夫委員長、社民党の又市征治幹事長も首相発言を厳しく批判している。
自民党の石破茂幹事長は「首相は立憲主義をないがしろにしたのではなく、自分が言えば何でもできると言ったわけではない」と擁護。だが、自民党内でも「三権分立を崩す」などと首相を批判する声が多くある。谷垣禎一法相も十四日の記者会見で「憲法解釈は時代で変遷する可能性も否定できないが、安定性もないといけない」と語った。
歴代政権にも背く安倍改憲暴走 立憲主義否定 「最高責任者は私だ」
しんぶん赤旗 2014年2月15日
日本が海外でアメリカと肩を並べて戦争できるようにする集団的自衛権の行使容認に向け、安倍晋三首相が暴走を強めています。国会答弁で歴代政権の憲法解釈を真っ向から否定。“憲法とは権力を縛るもの”という原則さえ否定する露骨な解釈改憲の姿勢に、自民党内からも批判がおきています。
「時々の政権が解釈変更可能に」
「(政府の)最高の責任者は私だ。政府の答弁に私が責任をもって、そのうえで選挙で審判を受ける」。安倍首相は12日の衆院予算委員会で、現行憲法下で禁止されてきた集団的自衛権行使の憲法解釈を自らの一存で変更できるとの立場を示しました。
集団的自衛権とは、自国が攻撃を受けていなくても、同盟国などが攻撃を受けた場合反撃するというもの。政府は1972年の参院決算委員会に提出した資料で「我が憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られる」「他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と明記。81年答弁書などで繰り返してきました。
ところが安倍首相は、「今までの(憲法解釈の)積み上げでいくのであれば、そもそも安保法制懇を作る必要はない」とも述べ、解釈改憲先にありきの姿勢を鮮明にしました。
この発言には自民党内でさえ、「その時々の政権が解釈を変更できることになる」(村上誠一郎元行革担当相)、「拡大解釈を自由にやれるなら憲法改正は必要ないと言われてしまう」(船田元・憲法改正推進本部長)と批判が続出。安倍首相答弁の異常さを示しています。
安倍首相はこれまでも「政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能だ」(5日の参院予算委)、「解釈をどうするかは政府一体となって内閣法制局を中心に判断していく」(10日の衆院予算委)と答弁。解釈改憲で集団的自衛権行使は認められ、解釈変更にあたっては国会審議は不要との立場を示しています。
国会との関係を無視して一方的に解釈変更できるというのは「多数独裁」の発想です。
「便宜的変更は憲法の信頼損なう」
そもそも憲法は、首相をはじめ国家権力を厳格に拘束するもの。政権が変わるたびに多数派が憲法の解釈を自由に変えることができるなら、憲法が憲法でなくなってしまいます。内閣に憲法の内容を勝手に変える権限はありません。
それを勝手に変更できるとする安倍首相の発言は、戦後保守政権がまがりなりにも掲げてきた諸原則すらことごとく否定するものです。
「憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねない」。自衛隊のイラク派兵を強行した小泉内閣は2004年6月18日、政府による憲法の解釈についてこのような立場を示した閣議決定を行いました。
憲法をはじめとする法令の解釈について「法令の規定の文言、趣旨等に即しつつ、立案者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、また、議論の積み重ねのあるものについては全体の整合性を保つことにも留意して論理的に確定されるべきもの」と指摘。このような考え方を離れて「政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではない」と断定しています。
また小泉純一郎首相自身、同年2月27日の参院本会議で「憲法について見解が対立する問題があれば、便宜的な解釈の変更によるものではなく、正面から憲法改正の議論をすることにより解決を図ろうとするのが筋だ」と述べています。明文改憲を認めるわけにはいきませんが、安倍首相の発言は、歴代政権が「論理的な追求」の結果として示してきた“筋論”を真っ向から踏みにじるもので、まったく道理がありません。
国民主権に対するクーデター
安倍首相の発言は「最高法規としての憲法のあり方を否定し、立憲主義を否定する、きわめて危険なもの」(日本共産党の志位和夫委員長)です。
国民主権の立場で国家権力を制限し、国民の人権を守るのが憲法の本質的役割であり、立憲主義の原理です。
このような憲法の本質に照らして、憲法の解釈は権力者の恣意(しい)に任せられることがあってはなりません。
「論理的な追求の結果」として示してきた憲法解釈を、安倍首相がいうように選挙で多数を取った勢力が都合よく変更できるというのは、こうした閣議決定にも反し、立憲主義を乱暴に否定するものにほかなりません。
同時に憲法の改定は、国民主権の下、厳格な要件のもとでの国会発議に基づき国民投票にかけられて初めて可能(憲法96条)です。実質的な憲法の改定を「解釈変更」の閣議決定だけで強行するのは、国民主権を踏みにじるクーデターです。
昨年来、96条の要件緩和の狙いに対して「立憲主義破壊」と厳しい批判を受けた安倍首相が、「明文改憲は難しい」として解釈改憲へとひた走る姿は、邪道の中の邪道を行くものです。
危ない安倍首相語録
「集団的自衛権の行使が認められるという判断も政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は必ずしも当たらない」(5日、参院予算委)
国会で議論すべきとの指摘に―「(安保法制懇の)結論を得たところで、与党においてしっかりと議論させていただく。この上において、解釈をどう判断するかについて、政府一体となって、法制局を中心に判断をしていく」(10日、衆院予算委)
「今までの(憲法解釈の)積み上げのままでいくというのであれば、そもそも安保法制懇をつくる必要はない」(12日、衆院予算委)
「(政府答弁の)最高の責任者は私だ。私が責任者であって、私たちは選挙で国民から審判を受けるんですよ。審判を受けるのは、法制局長官ではない」(12日、衆院予算委)