81年前の2月20日、小林多喜二は特高警察によって築地警察署に拉致されて、その日のうちに拷問によって虐殺されました。特高が多喜二を警察署に拉致した根拠は治安維持法でした。
治安維持法、特高警察、拷問・・・これらは二度とたどってはならない道であると決意して、戦後、日本は平和と民主主義の憲法を制定しました。
そして治安維持法や小林多喜二事件はある程度遠い時代のことになっていました。安倍内閣が登場するまでは・・・
「戦後レジームからの脱却」を叫び「戦前への回帰」を志向する安倍首相は、昨年末には治安維持法に比肩される「特定秘密保護法」を制定し、その直後に靖国参拝を強行しました。今年に入ってからは集団的自衛権の行使に関連する解釈改憲や憲法の改定を一層声高に叫び出しています。
そして首相の側近である衛藤首相補佐官や萩生田総裁特別補佐は、あたかも首相の意を汲んだかのようにして、靖国参拝に失望を表明したアメリカを盛んに非難し、本田内閣官房参与は、米紙ウォールストリート・ジャーナルのインタビューで「日本はより強力な軍隊を持って中国に対峙できるようにする」と語ったと報じられました※。
※ 2014年2月20日 「衛藤首相補佐官らが米国を批判 靖国問題などで+」
本田参与はその後TVで、「『パワーバランスを目指す』と言っただけで、そのようなことは言っていない」(要旨)と弁明していますが、尖閣諸島を自国の領土と主張する中国とのパワーバランスを目指すと言えば、10人中10人が「パワーバランス=軍事力の均衡」と理解する筈で、まさか「文化力」などのアップで対抗すると理解する人はいないでしょう。とても菅官房長官が言うように、米紙の誤報というようなことで処理できるものではありません。
ところで「靖国参拝への失望」を掲示したアメリカ大使館のホームページが、それに対して抗議するメールで炎上したということです。アメリカ大使館が日中・日韓関係を阻害する首相の行為に失望を表明するのは極く当然の行為であって、表現の自由でもあります。
それに対していわゆる炎上するほどの大量の抗議が集中したということは、都知事選で田母神候補に60万票が集まったこととともに、注目されることです。安倍政権の影響は陰に陽に広がりつつあると見る必要があります。
弁護士の澤藤統一郎氏が、20日付のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」に「多喜二虐殺から81年」を載せました。澤藤氏は、「今、多喜二と治安維持法を語るには、自民党改憲草案に触れざるをえない」として、自民党案が、現行の21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する」に、次の第2項「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」を付け加えていることや、拷問の禁止に触れた現行の第36条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」となっているのを、この「絶対に」の3文字を取ってしまっていることを厳しく批判しています。
以下にブログの抜粋文を紹介します。
全文は下記のアドレスにアクセスすればご覧になれます。
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多喜二虐殺から81年
2014年2月20日
今日、2月20日は小林多喜二の命日。命日という言葉は穏やかに過ぎる。天皇制の手先である思想警察によって虐殺された日である。1933年の今日、多喜二は、スパイの手引きで特高警察に街頭で格闘の末に身体を拘束され、拉致された築地警察署内で、その日のうちに拷問によって虐殺された。
スパイの名は三船留吉。多喜二殺害の責任者は特高警察部長安倍源基。その手を虐殺の血で染めたのは、特高課長毛利基、特高係長中川成夫、警部山県為三らである。多喜二は満29歳と4か月であった。
以下は赤旗の記事
『戦前でも、拷問は禁止されており、虐殺に関与した特高警察官は殺人罪により「死刑又は無期懲役」で罰せられて当然でした。しかし、警察も検察も報道もグルになってこれを隠し、逆に、天皇は、虐殺の主犯格である安倍警視庁特高部長、配下で直接の下手人である毛利特高課長、中川、山県両警部らに叙勲を与え、新聞は「赤禍撲滅の勇士へ叙勲・賜杯の御沙汰」と報じたのです。
1976年1月30日に不破書記局長(当時)が国会で追及しましたが、拷問の事実を認めず、「答弁いたしたくない」(稲葉法相)と答弁しており、これはいまの政府に引き継がれています。』
共産党員であること自体を犯罪としたのは、悪名高い治安維持法である。治安維持法が、どのように思想弾圧に猛威を振るったか。
(中 略)
よく知られているとおり、1925年治安維持法第1条は、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」というもの。
天皇制打倒、資本主義否定という「悪い思想」で結社をつくってはならないという弾圧法規。これが後に「改正」されて、最高刑は死刑となる。のみならず、「結社の目的遂行の為にする行為」までが処罰されるようになって猛威を振るった。党の活動に少しでも協力すれば犯罪とされ、共産党員に少しでも関わればしょっぴかれるという、現実的な危険が生じたのだ。共産党員と親しいと思われることは恐いこと。触らぬ神に祟りなし。共産党には近づかないに限る。こういう庶民の「知恵」が、「お上に逆らう共産党は恐い」と固まっていく。宗教者や自由主義者も、そして反戦の思想も、民主主義も弾圧の対象とされた。多喜二虐殺はその象徴。
(中 略)
今、多喜二と治安維持法を語るには、自民党改憲草案に触れざるをえない。
自民党案は、表現の自由を保障した、21条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。」に次の第2項を付け加えようという。
「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」
これは、恐るべき暴挙だ。「公益及び公の秩序」に何を盛り込むか次第で、現代に治安維持法をよみがえらせることが可能となる。
さらに、拷問の禁止に触れた現行の第36条は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」となっている。自民党改憲草案は、この「絶対に」の3文字を取ってしまおうというのだ。
36条を起案した人の脳裏には、多喜二虐殺のことがあったに違いない。「絶対に」の3文字に力が込められている。自民党案は、今わざわざ、「絶対に」を抜いてしまおうというのだ。多喜二の命日に、虐殺された多喜二に代わって叫ぼう。そんなことは許さない。絶対に。