1ヶ月間検査入院をしていた小松内閣法制局長官は、26日の衆院予算委で、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認することができるか、内部で検討を進めていることを明らかにしました。
また、「まず閣議決定を行い、その後立法措置を国会に求めるのに先立って、国会で議論する」という、安倍総理大臣の考えを「理解している」とも述べました。
小松氏は首相が異例の手法で内閣法制局長官に任命した人で、集団的自衛権の行使容認派として知られています。同氏は今後も週1回通院治療を続けるということですが、入院中には安倍首相がわざわざ見舞いに行ってるほどで、さすがに息はぴったりと合っています。
予算委では、「憲法9条に関する政府の立場は1つの体系をなしており、変更することができるのか、できないのかを現在、内々に検討、議論している」ことを明らかにしました。
また「総理大臣が変わるたびに憲法解釈を変えることはできるのか」という質問に対しては、「厳しい制約の中でそれはあり得る」、「法制局は組織として議論を積み重ねているが、最終的には私の責任において判断する」と述べました。
入り組んだ言い方をしていますが、結論の部分で真意を述べていると受け取れます。
万が一、内閣法制局内の結論と解離した長官の判断が下されるようなことがあれば、大変なことです。
NHKのニュースと併せて田中秀征氏の27日付の「政権ウォッチ」を紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
集団的自衛権行使 憲法解釈変更で容認可能か検討
NHK NEWS WEB 2014年2月27日
国会答弁で政府の憲法解釈などを示す役割を担う小松内閣法制局長官は、26日開かれた衆議院予算委員会の分科会で、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認することができるか、内部で検討を進めていることを明らかにしました。
この中で小松内閣法制局長官は、集団的自衛権の行使容認に関連して、「まず閣議決定を行い、政府としての考え方を確定したうえで、具体的に立法措置を国会に求めるのに先立って、国会でご議論いただくという安倍総理大臣の考えは、なるべく丁寧なやり方で物事を進めたいという考え方に基づくものと理解している」と述べました。
そのうえで小松長官は、「従来の憲法9条に関する政府の立場は1つの体系をなしており、解釈の変更に限界があるなかで、変更することができるのか、できないのか検討する必要がある。現在、内々に検討、議論している」と述べ、憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認することができるか、内閣法制局の内部で検討を進めていることを明らかにしました。
そして小松長官は「憲法解釈の変更は、『真に変更することが至当である』という結論にならなければできない。あらゆる角度から検討しているところであり、結果を予断するわけにはいかない」と述べました。
また小松長官は、「総理大臣が変わるたびに憲法解釈を変えることはできるのか」という質問に対し、「厳しい制約の中でそれはあり得る」と述べました。
さらに小松長官は、内閣法制局の判断は誰が最終的に下すのか質問されたのに対し、「法制局は組織として動いていて、局内で議論を積み重ねているが、最終的には私の責任において判断するということだ」と述べました。
安倍首相は憲法改正の王道に戻るべき
田中秀征 ダイヤモンドオンライン 2014年2月27日
安倍晋三首相は、このところ前のめりになって、集団的自衛権行使のための憲法解釈の変更に突き進んでいる。
12日の国会で憲法解釈の「最高責任者は私だ」と強調。あたかも首相が自由に憲法の解釈を変更できるかのような印象を与えた。
さすがにこの発言には自民党内も黙ってはいない。
13日の総務会では、村上誠一郎元行革相が「首相の発言は選挙で勝てば憲法を拡大解釈できると理解できる。その時々の政権が解釈を変更できることになる」と強く批判。自民党の憲法改正推進本部の船田元氏も「拡大解釈を自由にやるなら憲法改正は必要ないと言われてしまう」と戸惑いを隠さない。
連立与党の公明党も井上義久幹事長が記者会見(14日)で強くけん制した。
「憲法の整合性を内閣法制局がチェックし、歴代内閣が尊重してきた経緯は重い。それを踏まえて発言してほしい」
この問題はとりわけ公明党にとって生命線とも言えるもの。解釈改憲に断固として立ちはだかることが公明党に対する世論の大きな期待である。消費税増税でも、特定秘密保護法でも公明党は一定のブレーキ役を果たしたものの最終的に自民党に押し切られた感は否めない。ここは党の運命に関わる正念場だ。
国民無視の解釈改憲は邪道
さて、この問題には、異質な2つのポイントがある。
①まずは「解釈改憲の是非」が1つの重要なポイントだ。
そもそも政府が恣意的に憲法の解釈を変更することができるのかという重大問題。
しかも、それが並みの条文ではなく、憲法の根本規範とも言える条文に関することである。
もしもそれが許されるなら、憲法は政権の勝手な解釈変更によってどのようなものにも変えることができる。それではもう憲法とは言えないし、国際社会の失笑を買いかねない。
特に、今回のように安全保障に関するものであれば、一層勝手な解釈改憲はあってはならない。なぜなら、国の防衛には国民的理解と協力が不可欠だからだ。憲法改正手続きを踏み、丹念に国民的合意を形成して明文改正の王道を経なければ、危機に臨んでの国民的協力は得られない。
首相は思いがけない与党内からの異論の噴出を受け、「政治の場で私が決めればいいということではない。安保法制懇で慎重に深い議論をして頂いている」と反論している。しかし、このような“有識者”による私的諮問機関には何の権限もない。一般世論はもちろん、国会からの認知も受けてはいない。それにこの期に及んで“非公開”の議論では、メンバー一人ひとりの発言責任を追及できない。
首相は法制懇の報告を受けて解釈改憲の政府見解を固め、国会での議論も経ずに閣議決定を強行するらしい。これに対して国権の最高機関である国会はそれを許すのか。議員一人ひとりの明確な対応が示されなければならない。
そもそも「集団的自衛権を行使しない」という従来の憲法解釈は、1つの内閣が決めたものではない。いわんや内閣法制局が決めたものでもない。
憲法制定以来、その理念と条文に沿ってすべての歴代内閣が尊重し、国民によって辛抱強く支えられてきたものだ。内閣法制局はその長い歴史的蓄積を経た解釈を守るため、そのときどきの内閣との緊張関係もいとわずに役割を果たそうとしてきた。
内閣法制局は、憲法の解釈を決めるのではなく、歴史的に決められてきた解釈を守るのが務めなのである。
②は、言うまでもなく「集団的自衛権行使の是非」である。
ところが、現時点の問題はこの②の段階には至っていない。首相が解釈改憲の邪道ではなく、かつてのように堂々と憲法改正手続きを踏んで王道を進むのであれば、有意義な国民的議論が展開されるだろう。
早期に集団的自衛権の行使が必要だから、憲法の改正は止めて、憲法の解釈を変更する――そんな不見識な論理は通らない。政権が緊急の必要性を感じたら、いつでも、どうにでも解釈を変更できることになる。安倍首相はまずかつての王道に戻るべきである。