1946~58年 米国の核実験が繰り返されたマーシャル諸島で、終戦間際に「模擬原爆」が投下された新潟県長岡市を舞台にした映画の、上映会開催に奔走する日本人女性がいるということです。
その女性は神奈川県出身の大川さんで、高校3年の時には「高校生平和大使」の1人に選ばれて、国連欧州本部などを訪ねてスピーチをしました。
大学では被曝の島:マーシャル諸島を研究し、3年前からは現地の建設資材会社で働きながら、歴史を中心に聞き取り活動などをしています。
新潟市は原爆投下の候補地の一つでしたが、終戦の年の8月初めに大空襲を受けた長岡市は、7月にも「模擬原爆」(パンプキン爆弾)が投下されていたのでした。
朝日新聞の記事を紹介します。
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(ビキニ60年) 平和願う映画、マーシャルで
朝日新聞 2014年2月27日
米国の核実験が繰り返されたマーシャル諸島で、終戦間際に「模擬原爆」が投下された新潟県長岡市を舞台にした映画の上映会開催に奔走する日本人女性がいる。核なき世界の実現へ、共に歩めれば――。平和への思いを込め、4千キロ離れた二つの国をつなごうとしている。
女性は神奈川県出身の大川史織さん(25)。戦時中に10代前半だった祖父の体験を聞いて育ち、戦争や平和に強い関心を持つようになった。
都立国際高校3年の時、「高校生平和大使」の1人として国連欧州本部などを訪ね、「世界の国々の不安や恐怖心が軍事力を高めてしまっている」とスピーチした。大学へ進んだ後、1946~58年に米国による核実験が続いたマーシャル諸島を研究。3年前からは現地の建設資材会社で働きながら、歴史を中心に聞き取り活動をしてきた。
2年前。大川さんはマーシャル諸島の首都マジュロの銀行で、手続きの合間に手にしたスマートフォンの画面を見た。「花火も爆弾も作れるけど、花火の方がいいよね、っていう人間の正気を伝えていくのが、芸術の仕事」。映画監督の大林宣彦さんが語ったインタビュー記事だった。
《爆弾じゃなくて、きれいな花火ばっかりつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかった》。大林監督は2011年、画家・山下清の言葉をモチーフにした映画「この空の花―長岡花火物語」を手がけていた。広島と長崎に原爆が投下される直前の45年7月、米軍が模擬原爆(パンプキン爆弾)を落とした新潟県長岡市が舞台だった。