2023年4月26日水曜日

改憲案事実上すり合わせ 9条めぐる危険な動き 憲法審で自公維

 立民党の小西博之3月29、記者団に対して、衆院憲法審の週1回開催について「毎週開催はサルのやること。蛮族の行為、野蛮だ」と批判したため、与野党一斉に反発しました確かにサルにたとえるのは穏当でなかったかも知れませんが、憲法を遵守すべき国会議員が、憲法を「戦争が可能である」ように変え且つ「非常事態条項を盛り込む」ために毎週憲法審査会を開くというのは異常であり、サルの「ように」愚かなことです。

 この件で驚いたのは、小西氏が陳謝して取り消した「サル」発言について、立民党の泉代表が「維新の会」と一緒にその後も繰り返し小西氏批判を続けていることです。
 前任者の枝野氏もそうでしたが、立民党の代表は一体何を考えているのでしょうか。こうした存在自体の不可解さが選挙で毎回国民の支持を失い続けている所以です。

 しんぶん赤旗に20日の衆院憲法審査会についての記事「改憲案事実上すり合わせ 9条めぐる危険な動き 憲法審で自公維」が載りました。あまり報道されない中で、改憲勢力であるに自公維が毎週改憲草案のすり合わせを行っている様子が分かります。
 それとは別に藤崎剛人氏がNEWSWEEKに「小西議員の言う通り、参議院の憲法審査会は毎週開く価値がない」とする短い記事を載せました。これは第208回国会~第210国会までの議事録を全て読んだ上での記事(労作です)で、それを読むと衆院憲法審毎週開く価値など全くないことが良く分かります。
 民主政治の根幹である国会の在り方がこれでは救いようがありません。
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改憲案事実上すり合わせ 9条めぐる危険な動き 憲法審で自公維
                       しんぶん赤旗 2023年4月24日
 4月13日の衆院憲法審査会に続き、20日の審査会でも自民、公明、維新、国民の各党らによる9条改懸案の事実上のすり合わせの議論がおこなわれました。
 警戒すべき危険な動きです。  (中祖寅一)

 20日の同審査会で公明党の北側一雄副代表は、自民党の「9条の、2項を残し自衛隊を明記する」案について、「必要な自衛の措置をとることを妨げず」としており『賛成できない」と述べました。「妨げず」の表現は「9条2項の例外規定と読まれる余地を残す」としました。公明党が自民党の案に反対を表明するのは初めてです。

各党の明記案
 北側氏は昨年5月19日の同審査会で、憲法72条か73条に自衛隊を明記する案を提示。公明党としての独自の自衛隊明記案の提起となりました。そのあと公明党は昨年7月の参院選公約で憲法への自衛隊明記について、従来の慎重姿勢から「検討を進める」と前向きに踏み込みました
 13日の審査会では公明党の浜地雅一議員が「北側案」を提起していました。これを受けて20日の審査会で自民党の新藤義孝議員・与党筆頭幹事は、「国防という機能的な側面と民主的統制という組織的側面は密接不可分であり、同じ条文に位置付けるのが自然」などと論評。自衛隊を9条に明記する自民党案について「日本国憲法制定以来の欠落部分を補うことにより、憲法を頂点とする我が国の法体系を完成させる」などと主張しました。
 日本斬新の会の小野泰輔議員も、公明党の主張に対し「自衛隊を9条に書き加える自民党や我が党の案の方が適切」と述べました。維新は昨年5月に「1条の2」として「行政各部のーつとして、自衛のための実力組織としての自衛隊を保持する」という条文案を提示しています。

 改憲原案の審査権限を持つ憲法審査会の場で、改憲勢力がそれぞれの自衛隊明記案を持ち寄り、格的な条文案のすり合わせをなしくずしに始めることは重大です
 20日の審査会ではこうした議論を前に、国民民主党の玉木雄一郎代表は、「大変いい議論」「こういった議論ができること本当に価値あること」と絶賛し、9条改定論について「情緒論は置いておくとして論理的帰着としては9条2項の削除は議すべきだ」と発言しました。

批判広げ
 安倍政権のもとでの集団的自衛権行使容認続き、岸田自公政権が敵基地攻撃能力の保有で専守防衛を投げ捨てようとしている中で、自公とその補完勢力が改憲を論ずる資格などありません。草の根から厳しい批判を広げる時です。


藤崎剛人 現代ニホン主義の精神史的状況
小西議員の言う通り、参議院の憲法審査会は毎週開く価値がない
                      NEWSWEEK 2023年04月10日
<「サルがやること」という言い方に問題はあったとしても、毎週開くことの妥当性は実際の議論の内容から改めて検証されるべきだ>
立憲民主党の小西裕之参議院議員が、憲法審査会の毎週開催は「サルがやること」と述べたことで波紋を呼んでいる。言葉の妥当性に関心が向くばかりで、肝心の参議院の憲法審査会の毎週開催についてはほとんど議論がなされていない。そこで筆者は、参議院の憲法審査会に関して、昨年行われた第208回国会~第210国会までの議事録を全て読んでみた。結論としては、参議院の憲法審査会は毎週開催する必要がない、全く内容がない会議だった。

憲法審査会の議論
憲法審査会は、「(1)日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制についての広範かつ総合的な調査、(2)憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等の審査を行う機関」と位置づけられている。しかし、議事録からみられるのは、殆どの委員は、憲法学の基本的な知見を持っておらず、これまで積み上がってきた憲法をめぐる議論に基づいて法律を論じる能力はないということだ。
たとえば昨年の主な議題のひとつは参議院の選挙制度をめぐる問題だった。参議院は都道府県別に選挙区を設置していたが、一票の格差を解消する目的で、2015年から一部の都道府県を「合区」として選挙を行っている。しかし、参議院議員は地方代表としての性格があり、一都道府県に最低一人の議員を保障すべきであり、これを憲法に書き込むべきだ、とする議論がある。
憲法審査会でもこの議題が論じられるのだが、各々が言いたいことを主張しているだけで、さっぱり議論が進んでいないのだ。たとえば、参議院の選挙制度を一票の格差問題の例外とする改憲に賛成する委員は、日本の地方の惨状を解説し、「合区」は解消しなければならないと述べる。しかしこれは憲法論とは呼べない。
12月7日の会議では、小西洋之委員が、6月8日に行われた会議での参考人の意見を踏まえ、憲法に平等権が原則として書き込まれている以上、一票の格差を無視する制度を憲法に書き込むのは憲法の改正限界の問題があり、「合区」解消は国会改革によって行われるべきではないかという指摘をしているが、そのような憲法上の問題を克服するための具体的な議論は改憲派委員からは全く出てこないし、参考人の意見などなかったかのようにゼロから議論がスタートしてしまう
それどころか、同じ12月7日の会議で山谷えり子委員は、参議院の選挙制度改革がテーマの会議にも拘らず、ウクライナ戦争に触れながら憲法九条の問題について演説し、主題である選挙制度の話題には全く触れなかった。これには同僚の自民党議員からも苦言を呈されたが、憲法審査会を自分の独演会の場と勘違いしている議員もいるようなのだ。

具体的な憲法論が行われない
そのような独演会の場と化しているのが、第208回国会と第210回国会でそれぞれ一回ずつ行われた「憲法に対する考え方について意見の交換」だ。この会議では文字通りそれぞれの委員がそれぞれの「考え方」を述べるばかりで、議論の場にはなっていない。それぞれの委員が語っている内容も、先述の「合区」問題を初め、自衛隊、緊急事態、デジタル化、憲法裁判所、道州制など、自分が思いついたこと、あるいは自分の党の政策をただアピールしているだけ、といった様相となっている。中には憲法に日本の伝統を書き込もうとする西田昌司委員のように、近代憲法の根本を理解していない意見を述べる委員もいる。
また、「日本国憲法は制定以来改正されていないのだから改正されなければならない」「憲法の時代に合わせたアップデートを行わなければならない」など、憲法審査会という専門的な機関で述べるにそぐわない抽象的な意見を述べる委員も多い。これが、憲法審査会が設置された初めての会議で出てくる意見なら、まだ理解することはできる。しかし各国会の会期ごとに、これまでの議論がリセットされたかのような意見交換を繰り返す意味はあるのだろうか。
これに対して、護憲派あるいは改憲に慎重な立場からは、「憲法を活かす」(吉田忠智委員など)ような審査会にすることが繰り返し要求されている。
たとえば福島みずほ委員は、「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制についての広範かつ総合的な調査」という審査会の役割はいまだ行われたことがないと指摘し、違憲が疑われるような法制について審議することを要求している。確かに、建設的な改憲論を始めたいのであれば、まずはそのような現行法制についての具体的な調査から始めるしかないと思うが、このような要請は棄却され続けているようだ。
憲法審査会の議論が進まない原因は、山添拓委員が繰り返し述べているように、国民の間に憲法を改正する機運が醸成されていないからだろう。だとすれば、小西議員が主張するように、毎週開催するのは無駄ということになるだろう。