2023年4月19日水曜日

学術会議法の改悪案を政府が総会に提示 「政府の介入」と批判が集中

 17日に提示された政府の日本学術会議の改悪案では、新規会員の選定に関わる「選考諮問委員会」の委員は5人とし、首相が議長を務める総合科学技術・イノベーション会議の議員と日本学士院の院長協議したうえで、日本学術会議会長が任命するとなっています。
 要するに第3者が選定した5人を形式的に学術会議会長が任命するということで、第3者が会員候補を決めることに変わりはありません。これでは学術会議の独立性は望めそうもありません。
 そのうえ説明に当たった内閣府の担当者は、同案に示した制度的改革を進めなければ「国の機関であり続けるのは難しい」と発言したということです語るに落ちた話です。
 学術会議関係費として10億円近くを支出していますが、その大半はそれに関与する官僚の給与であり内閣官房の機密費にも足りないそんな額でおためごかしの脅しをかけるとは滑稽以外のものではありません。
 米政府は280億円、英政府は130億円(20年当時の円レートで)を学術組織に支出しているというのに 文字通り桁違いの少なさです。
 政府は二言目には予算をゼロにしていいのかと脅しをかけますが、学術会議が「国から切り離され」国の機関でなくなった場合(=政府直のナショナルアカデミーが存在しなくなった場合)、国際的にどのようなことが起きるのかについての認識を持っているのでしょうか
 この件に関して 学術会議の元幹事でアジア学術会議元事務局長の白田佳子教授が、もしもそうなれば「国際学術会議やアジア学術会議への参加が困難になり、日本社会の未来にとっても大きな危機になる」との懸念を示す論文を東京新聞に寄稿しています。
  ⇒(20.12.2)学術会議「民営化したら日本の未来に大きな危機」(白田佳子教授)
 米英においては前記のように280億円~130億円を支出しながらも、全米科学アカデミーや英国王立協会などは組織的に政府から独立しているため国際学術会議などには加盟できなかったのですが、両国ともこれらのアカデミーとは別に政府直轄の機関を作って参加が可能なように対応しているほどです。
 いずれにしても政府の改悪案は、学術会議を政府に従属する組織に変えることであり、いずれは学術の衰亡をもたらすものです。
 併せてしんぶん赤旗の記事:「学問の自由壊し国家が学説「公定」 思想弾圧滝川事件と日本学術会議問題」を紹介します。
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   (20.11.24学術会議に10億円と攻撃する菅氏は機密費から毎年11億円超を使う
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学術会議法の改悪案提示 総会に政府 「介入」と批判集中
                       しんぶん赤旗 2023年4月18日
 政府は17日、都内で開かれた日本学術会議の総会に対し、今国会提出をめざす日本学術会議法改悪案の条文を示しました。会員・連携会員以外の第三者が会員選考に関与するために新設する「選考諮問委員会」の委員は5人とし、首相が議長を務める総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の議員と、日本学士院の院長と協議の上、学術会議会長が任命するとしています。

 さらに、法改正後3年と6年をめどに、会員に関する制度や、会長の権限・選任方法などを含め組織のあり方を総合的に見直し、法改正などの必要な措置を講じると明記。改正法に基づいて会員の次期改選を行うため、本来予定されている10月の改選は来年4月に延長し、現会員の任期も半年延長するとしています。

 説明に当たった内閣府の担当者は、同案に示した制度的改革を進めなければ「国の機関であり続けるのは難しい」と発言。学術会議の梶田隆章会長は「学術会議と日本の学術の将来にとって極めて重要な問題だ」と危惧を表明しました。
 会員からは、CSTIの議員の選考への関与などに対し、「政府からの介入そのものだ」「民主主義を危うくするもので受け入れがたい。法制化されれば歴史の汚点になる」などの批判が集中しました。法案の国会提出断念を求める決議を総会であげるなど対応を協議。18日の総会で意思を表明する見通しです。
 学術会議前では、軍学共同反対連絡会の呼びかけで市民らが政府方針に抗議し宣伝。「(学術会議法改悪は)私たちの暮らしが戦争にのみこまれていく重大な攻撃だ」と訴え、学術会議と連帯して反対の声をあげようと呼びかけました。


学問の自由壊し国家が学説「公定」 思想弾圧滝川事件と日本学術会議問題
    
                 広川禎秀 しんぶん赤旗 2023年4月18日
             (ひろかわ・ただひで 1941年生まれ。大阪市立大学 名誉
                       教授。『恒藤恭の思想史的研究』ほか
 岸田政権は、日本学術会議の会員選考に関与する選考諮問委員会の設置を盛りこんだ日本学術会議法改悪案の今国会提出をめざしている。菅政権による任命拒否問題も決着しておらず、学術会議の独立性を毀損する一段と由々しい事態が起きている。梶田隆章会長は、「歴史の転換点となり得る大きな問題だ」と懸念を強めている。学問の自由を脅かす暴挙といわなければならない。
 今年は、「大学の自治」の慣行が壊された滝川事件から90周年にあたる。滝川事件は、1931(昭和6)年に満州事変が勃発し、翌年、青年将校が首相官邸に乱入し犬養毅首相を殺害した五・一五事件で『非常時」が叫ばれる時代背景のもとで起こった。
 帝国議会では東大の牧野英ー、末弘厳太郎、有沢広巳の各教授と京大の滝川幸辰教授が「赤化教授」として問題にされ、東大の美濃部違吉教授の名もあがった。これをうけ、内務省は滝川の著書を発禁処分にし、鳩山一郎文相は、1933年4月99一日、京大に滝川教授の休職または免職を要求し、京大は「大学の自治」の慣行を盾に強く反対したが、政府は5月26日に滝川の休職処分を発令した。理由は、マルクス主義とは言えない滝川の刑法学説を「マルクス主義的」と断じ大学令の「国家思想ノ涵養」に違反するというものであった。

自由主義者にも拡大した弾圧
 なぜ、滝川が狙い撃ちにされたのか。「大学の自治の慣行は、滝川事件の20年前の沢柳事件で成立した。1913(大正2)年、京大総長・沢政太郎が「教学刷新』と称し7教授を辞職させたことに対し、法科大学(現・法学部)は教授の人事権は教授会にありとして文部省と争い、東大法科の教官もこれを支持し、教授会が人事権を持つ慣行が成立した。これ以後、京大法学部は「大学自治の元祖」と目されだ。
 文部省は、大学の人事権を文部省が握ため、ここで京大法学部を「落城させてしまえば、全国の大への波及効果は大きい」と考え、滝川処分を実行したのである(松尾嘉ヨシ『滝川事件』)滝川への弾圧は、思想弾圧がマルクス主義者から自由主義者にまで拡大したことを意味した。
 法学部は、1933年5月26日、法学部の全教官が小西重直総長に辞表を提出し、徹底抗戦を試みた。教授たちは、「非常時」においてこそ、「政府者の不理なる要求に盲従」するべきでないとして、あえて「死して生きる途」を選んだのである(恒藤恭「死して生きる途」『改造』7月号)。
 学生の抗議運動が全国に波及し、多くのジャーナリズムは京大側に立って事件を報道した。滝川事件のたたかいは、「学問の自由」のための歴史的なたたかいであった。それは戦後、日本国憲法の学問の自由の規定にも反映されている。

多くの市民らが声あげる重要性
 しかし、当時、京大他学部は法学部支持を表明せず、動向が注目された東大法学部は、沢柳事件の時とは異なり、一片の声明も出さなかった。かくして、京大の敗北により,「大学の自治」の慣行は破壊された。滝川事件は「大学の自治」の歴史の転換点となったのである。
 滝川事件の翌々年には天皇機関前事件が起こった。美濃部吉(東大名誉教授=当時)の天皇機関前が、右翼や軍部から「国体」に反すると攻撃され、岡田啓介内閣は国体明徴を声明し、国家機関が「国体」を振りかさして学説を「公定」するに至った。東大法学部も、学問の自由と美濃部擁護の声をあげることはもはやできなかった。
 滝川事件や天童機関事件は、全体主義国家と戦争への総動員への流れを加速レだ。日本が、いま、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起る」(日本国憲法前文)方向に進んでいる時、歴史の教訓に学び、科学者、知識人はもとより、多くの市民が声をあげ、大学の自治、学問の自由を守るため、日本学術会議法改悪の暴挙を阻止しなければならない。