シリーズ「岸田大軍拡異議あり」に樋口恵子さんが登場しました。
日本が長寿社会になれたのは平和憲法と「専守防衛」のお蔭で、1世代上は多くの方が戦争で亡くなっているので、生き延びた責任を果たさねばならないと決意を述べ、政府が「専守防衛」を投げ捨て、防衛費を2倍にし5年で43兆円をつぎ込むあおりで、介護保険の給付が削られることなどあってはならないと述べています。そもそも戦争は究極のケア放棄とも。
そして男女雇用機会の均等化や職場での男女差別の撤廃は非常に重要なことで、その獲得に向けて裁判闘争に持ち込んだ方の多くは共産党の女性たちだったと高く評価しました。
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岸田大軍拡異議あり 長寿社会になれたのは
NPO法人高齢化社会をよくする女性の会理事長 樋口恵子さん
しんぶん赤旗 2023年4月22日
戦後日本が経済成長を遂げ、社会保障などの支えもできて世界一の長寿社会を実現したのは平和憲法と「専守防衛」のおかげです。ところが岸田政権は、ほとんど議論せず安保3文書を閣議決定し、「専守防衛」を投げ捨てました。強い危機感を持っています。
憲法が施行された1947年、私は結核を患い休学した後、中学校に復学しました。おずおずと入っていった教室は新憲法で沸き立っていました。先生が何時間も憲法の講義をし、放課後も「何条が好き?」と話題にしました。やはり一番人気は9条、戦争放棄でした。
私が90歳まで生き延びることができたのは平和憲法、「専守防衛」があったからです。1世代上は多くの方が戦争で亡くなっています。生き延びた責任を果たさねばなりません。
介護保険制度の創設に政府の審議会委員として携わりました。「介護が必要になったらサービスが給付される」のは国家と国民との契約です。それができなければ国が国民を大ペテンにかけたと言わざるを得ません。防衛費を2倍にし、5年で43兆円をつぎ込む。けしからんですね。そのあおりで介護保険の給付が削られることなどあってはなりません。そもそも戦争は究極のケア放棄です。
中学生の私が好きだった憲法の条文は27条、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」でした。男も女もない。勉学して職業能力を身に付け働こうと希望に燃えました。ところが東大卒業時に就職差別にぶつかり挫折しました。
85年に男女雇用機会均等法ができるまで、雇用の場にはあからさまな差別がありました。民間企業には女性は結婚や出産をしたら退職など、定年の差別もあったのです。
その撤廃を求め、裁判闘争に持ち込んだ方の多くは共産党の女性たちだったと思います。そのあたりは共産党の人たちを心から尊敬します。81年には「男女別定年制は無効」の最高裁判決が出ました。私は、戦後働く女性の地位向上に尽くした人といったら、党派を別にして真っ先にその方々をあげますね。 (聞き手 内藤真己子)
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。