2024年10月21日月曜日

21- ベールを脱いだ中国(賀茂川耕助氏)

 海外記事を紹介する「耕助のブログ」に掲題の記事が載りました。
 「逆転の発想」という言葉がありますが、発想を転換することで新しく見えてくるものがあるのは明白な事実です。「思考実験」といういい方も出来ると思います。
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ベールを脱いだ中国
                 耕助のブログNo. 2305  2024年10月20日
   China unveiled:
    東への移住で打ち砕かれた私の西洋の幻想   by James Wood
中国に移住したことで、予想もしなかった形で私の目が開かれた。私が育った環境で耳にし、深く考えずに受け入れていた話が次第に解かれていった。私が直面しなければならなかった最も困難なことのひとつは、私が人生の大半を過ごしてきた西洋が、私が思っていたような「善人」とは限らないかもしれないと気づいたことだ。これは受け入れがたい事実だった。

最近のAUKUS協定を例にとろう。オーストラリアは、最大の貿易相手国である中国から自国を守るためだとして、米国と英国から何千億ドルもの原子力潜水艦を購入している。中国がオーストラリアを侵略する計画などない。中国がオーストラリアにどのような脅威をもたらすというのか? むしろこれは米国の計画にオーストラリアが加担しているように聞こえる。直感的にも、自国の利益に反する。さらに悪いことに、英国は動機のひとつがフランスに対する「復讐」であることを認めている。真の国益よりも、些細な争いに影響されたこのような重要な決定には幻滅する。

中国に住んでいると、欧米でよく見られる物語と現実がどれほどかけ離れているかを身をもって知る。「チャイナ・ショック」のような言葉が恐怖心を煽り、攻撃的な政策を正当化するために使われているのを目の当たりにしてきた。このようなレトリックは「我々vs彼ら」というメンタリティを助長し、制裁を課したり、無知な人々を中国に対して結集させたりすることを容易にする。無知は幸せだが、非常に危険な行動でもある。

また、いかにメディアが世論を微妙に形成していることにも気がついた。例えば、見出しにはセンセーショナルな表現や感情を煽るような言葉が使われることが多く、読者は記事の真の性質について誤解してしまう可能性がある。事件は、その背景を十分に説明することなく、否定的な側面を強調するような形で報道されることがあり、見出ししか読まない人々は偏った認識を持つことになる。これらは、人々が他国、特に中国をどう見るかに影響を与える微妙な戦術の例である。

中国に行ったこともなければ、住んだこともないのに、中国について実際ここに住んでいる私たちよりも自分の方が詳しいと主張する人が非常に多いのは驚くべきことだ。彼らは二次的な情報のみに基づいて強い意見を形成しており、中国全土を旅行したり、長期間滞在したりした中国人や外国人の実体験と一致しないことが多い。欧米メディアで報道される内容と現地の現実との直接的な矛盾を目撃してきた私には、個人的な経験がまったく異なるイメージを描き出すことは明らかである。しかし、こうした人々は依然として自らの見解に確信を持ち続けており、メディアの影響力がいかに強力で広範囲に及ぶかを浮き彫りにしている。

メディアは人々の信念や認識を形成する上で大きな影響力を持ち、時に一種の押し付けや「洗脳」につながることもある。偏った情報や一方的な情報に繰り返しさらされることで、個人は提示された物語に沿った根深い考え方を身につける可能性がある。確証バイアスや逆効果のような心理現象は、人々が既存の信念を裏付ける情報を好み、矛盾する証拠を無視したり否定的に反応したりする傾向を説明するものである。特に、実体験に基づかない先入観に挑戦する真実を突きつけられた場合、人は防衛的に反発する可能性がある。この反応は、世界観を維持し、認知的不協和による不快感を回避するための防衛メカニズムとして機能する。今回取り上げた文脈では、メディアの影響力がいかに強力であるか、そして、根強い物語によって永続化された誤解に対処する難しさが浮き彫りになっている。

中国で過ごす時間が長くなるほど、対立よりも協調の方がより良い結果をもたらすことに気づく。中国のテクノロジーの進歩、クリーンエネルギーへの取り組み、グローバル市場への貢献は重要であるが、支配的地位を失うことへの欧米諸国の不安によって覆い隠されてしまうことが多い。こうしたポジティブな側面を認める代わりに、いじめのような戦術や制裁、誤った情報の拡散に頼りがちである。

こうした見解と、私が長い間抱いてきた信念との折り合いをつけるのは、困難な道のりだった。世界は白黒で割り切れるものではなく、西洋がすべてに答えを持っているわけではないという考えを受け入れるのは、辛いことでもあり、解放的なことでもあった。私は、人から教えられたことを鵜呑みにせず、自分の目で見て経験したことを基に、自分の意見を形成することの重要性を学んだ。

中国に移り住んでから、私はどれほど素晴らしいものがあるかを知った。人々は歓迎的で、文化は豊かであり、進歩していることが感じられる。かつて私が抱いていた抑圧的なイメージとはかけ離れている。多くの誤解は、理解や経験の不足から生まれるものだと気づいた。

多くの国々がビザなし渡航や入国手続きの簡素化が実施されて、中国は今、かつてないほど簡単に行ける国となった。根拠のない不安は捨てて、自分の目で確かめる時が来たのかもしれない。中国を訪れることは、これまでにないほど目を見張るような体験となり、あなたが抱いている先入観を覆すような挑戦となるかもしれない。現地の現実があなたの期待を覆すことを覚悟しておこう。中国についてより深く理解したいと心から思っているなら、実際に体験してみることに勝るものはない。しかし、これまで語られてきた物語を疑うことを望まないのであれば、あなたはそれを検討すらしないだろう。新しい発見を受け入れる人々に対しては、中国はあなたの視点が完全に変わるような驚きをもって待ち構えている