2021年11月17日水曜日

米軍 空爆で住民殺害を隠す かつてベトナムでは・・・

 ニューヨーク・タイムズは14日、米軍が19年3月にシリアで過激組織ISを掃討中、大規模な空爆で女性や子どもを合む64人の民間人を殺害したにもかかわらず、その事実を隠ぺいしていたと報じました。これは氷山の一角に過ぎず、米国はこれまで各国で空爆や無人機攻撃によって多数の民間人を殺害していますが、その殆どを隠蔽してきました。
 しんぶん赤旗が報じました。
 これに関連して櫻井ジャーナルは、米軍やCIAなどが組織した集団が非武装の民間人を殺すことは珍しくないとして、べトナム戦争における米軍の残虐行為を報じました。
 米軍は当時ソンミ村ミライ地区とミケ地区で農民504人殺害しました。れはCIAが企画した皆殺し作戦「フェニックス・プログラム」の一環で、ベトナム農民の共同体を破壊し、人びとに恐怖心を植えつけて米軍への抵抗を弱めることで、支配しやすくするのが目的でした。
 1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで殺害されたベトナム人2万0587名で、そのほかに2万8978名が投獄されました。ベトナム解放戦線の支持者と見なされて殺された住民は約6万人に達すると言われています。
 二つの記事を紹介します。
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
米軍空爆 住民殺害隠す シリアで女性・子どもら64入
                       しんぶん赤旗 2021年11月16日
 米紙ニューヨーク・タイムズは14日、米軍が2019年3月にシリアで過激組織ISを掃討中、大規模な空爆で女性や子どもを合む64の民間人を殺害したにもかかわらず、その事実を隠ぺいしていたと報じました。米軍内部で戦争犯罪の可能性が指摘されながら、徹底した調査はいまだに行われていないとしています。

米紙が報道
 空爆があったのは、シリア東部バグズ付近。同紙は、米特殊部隊の要請で行われたものとしています。ISの残党を監視する米無人機の撮影映像には、川岸に身を寄せていた女性や子どもの一団が映るなか、F15戦闘機が爆撃。砂煙が収まり、逃げ惑う人々の上に2度目の爆撃を行い、ほとんどを殺害したとしています。
 同紙は、同爆撃が対IS作戦の一環で、民間人が最も多く犠牲になったケースのつにもかかわらず、米軍はその事実を認めてこなかったとしています。米軍の通話記録では「50人の女性、子どもの上に爆弾を落とした」という記録が残っており、空軍弁護士は、戦争犯罪の可能性があるとして、調査を要求していました。

内部で〝戦争犯罪”指摘
 米軍はあらゆる段階で隠ぺいしたとしています。国防縮省監察官のスタッフが独立調査を開始しようとしたものの、調査は阻止され、別の報告書の作成過程のなかでも爆撃に言及された部分は削除されたといいます。
 空爆現場は米軍主体の有志連合によって整地され、上層部にはこの空爆の事実が知らされなかったとしています。
 央軍は紙に空爆で計80人が死亡したと認めました。その内訳はIS戦闘員が16人で民間人は4人とし、残る60人については、民間人かどうか不明と回答「われわれ独自の証拠に基づいて調査が行われた」と主張しています。
 バグズでの戦闘は、5年におよぷ対IS掃討作戦の最終盤のもので、当時のトランプ政権は掃討作戦の成功を誇っていました。


米軍機の空爆で殺された70名が非武装の民間人だったことが明らかにされた
                          櫻井ジャーナル 2021.11.16
 アメリカ軍のF-15が2019年3月18日にシリア東部にあるデリゾールで500ポンド爆弾と2000ポンド爆弾を投下したが、その時に殺された人びとは戦闘員でなく非武装の民間人だったことが判明した。殺されたのは女性や子どもを含む約70名。この事実をアメリカ政府はこれまで隠してきた。

 もっとも、アメリカの軍や情報機関が非武装の民間人を殺すことは珍しくない。ベトナム戦争の際、1968年3月に南ベトナムのカンガイ州にあるソンミ村ミライ地区とミケ地区で農民が虐殺されたことが有名だが、これはCIAが特殊部隊を使って実行していた皆殺し作戦「フェニックス・プログラム」の一環だった。
 この作戦は単に農民を殺すことだけが目的だったわけでなく、共同体を破壊し、人びとに恐怖心を植えつけてアメリカへの抵抗を弱め、支配しやすくしようとしていたと見られている。人びとの結束を弱めることは侵略の基本だ。
 アメリカ軍によると殺された人の数はミライ地区だけで347名ベトナム側の主張ではミライ地区とミケ地区を合わせて504名だという。実行したのはアメリカ陸軍第23歩兵師団の小隊。その小隊を率いていた人物がウィリアム・カリー中尉だ。
 この虐殺が発覚したのは、現場近くを通りかかったアメリカ軍ヘリコプターを操縦していたヒュー・トンプソン准尉が村民の殺害を止めたからである。トンプソンは同僚に対し、カリーの部隊が住民を傷つけるようなことがあったら、銃撃するように命令していたと言われている。こうした兵士が帰国後、議員に事件を告発するが、動きは鈍かった

 従軍記者や従軍カメラマンも虐殺をしっていたはずだが、報道していない。事件が表面化するのは、兵士の告発を知ったシーモア・ハーシュが取材を始めて記事を書き、それをAPが配信したからだ。
 後の国務長官、コリン・パウエルは1968年に第23歩兵師団の少佐として南ベトナムへ入っている。2004年5月にCNNのラリー・キング・ライブに出演した際、その師団がソンミ村で住民を虐殺、後で自分も現場へ入ったとパウエルは語っていた。戦争でそうしたことは珍しくないと弁明していたが、同じことを言っていた従軍カメラマンもいる。
 フェニックス・プログラムと名づけられた作戦の存在はウィリアム・コルビーがCIA長官として議会で証言、公的に確認された。彼自身、このプログラムを指揮していた時期があり、その期間にあたる「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と語っている。解放戦線の支持者と見なされて殺された住民は約6万人に達するともいう。

 パウエルはこの事件を知っていただけでなく、彼の役目は上官たちが聞きたくない情報をもみ消すことにあったと言われているが、ソンミ村での事件ではウィリアム・ピアーズ将軍がウィリアム・ウエストモーランド陸軍参謀総長の命令で指揮している。ピアーズは第2次世界大戦中、CIAの前身であるOSSに所属、1950年代の初頭にはCIAの台湾支局長を務めていた。

 アメリカ軍は2003年3月にイラクを侵略してサダム・フセイン体制を倒すことには成功したが、親イスラエル派の体制を築くことには失敗、占領が続く。
 そして2007年7月にバグダッドでロイターの特派員2名を含む非武装の十数名をアメリカ軍の軍用ヘリコプターAH-64アパッチから銃撃するという出来事が引き起こされた。この事実は射殺する様子を撮影した映像をウィキリークスが2010年の4月に公表して明るみに出た。
 この出来事が一端は漏れていた。殺害があった際、現場をパトロールのために通りかかったアメリカ軍の兵士、イーサン・マッコードが上空から下を撮影しているヘリコプターを目撃、その際に重傷を負った少女をマッコードは助け出している。2010年にはウィキリークスが公表した情報を裏づける証言をしたが、それが原因で脅迫を受けることになった。