れいわの山本太郎代表が10日、国会内で会見をおこなった際、自民党の麻生太郎氏について「はっきり言って、副総裁辞任とかじゃなくて、もうすでに万死に値する人間であると。万死に値する存在であるとしか言いようがないです」と述べたことについて、早速ネット上で批判が殺到したそうです。
曰く、
〈山本氏の発言は生存権を侵害する憲法25条違反〉
〈国会議員は、すぐにでも山本太郎議員に対する辞職勧告決議案を提出して下さい〉
〈 ~ 、政治家として進退かけて言ってるんだろうな? 死ねって言ってるんだぞ? 言い過ぎましたじゃ済まねーぞ?〉 等々
「『万死に値する』という表現は『何度も死ぬべきほどに罪が重い』という意味であり、論壇誌の記事タイトルなどにもよく使われ、とりわけ政治家に対する批判としてはごく当たり前のもの」(LITERA)です。いわば文学的強調を伴う古典的な表現であって、当人に自殺を勧めるものでもないし、「死ぬべきだ」と脅迫したものでもありません。それをこんな風に騒いでいるのは異常な反応というしかありません。
そもそもLITERAによれば、張本人である麻生太郎氏も2012年の『報道2001』(フジテレビ)に出演した際、「問題を混乱させたもとは鳩山元首相だ。万死に値する」と発言しているし、昨年11月には自民党議員が麻生氏に対し「万死に値する」と批判をしているということです。
司法も「政治家でしかも内閣総理大臣であれば、その資質、能力、品格が政治的・社会的に厳しい批判に、時には揶揄にさらされることは避け難い立場にある」と認めているということです。この件で山本氏を批判している人たちはもっと「理性的」になるべきです。
LITERAの記事を紹介します。
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山本太郎の「麻生太郎は万死に値する」は何の問題もない! 過去には当の麻生太郎も自民党議員も「万死に値する」発言
LITERA 2021.11.11
れいわ新選組の山本太郎代表が“炎上”している。きっかけは昨日10日、国会内で会見をおこなった際、自民党の麻生太郎副総裁について、このように批判したことだった。
「はっきり言って、副総裁辞任とかじゃなくて、もうすでに万死に値する人間であると。万死に値する存在であるとしか言いようがないです」
ところが、この発言がメディアで取り上げられると、ネット上では以下のような批判が殺到したのだ。
〈山本氏の発言は生存権を侵害する憲法25条違反〉
〈国会議員は、すぐにでも山本太郎議員に対する辞職勧告決議案を提出して下さい〉
〈麻生の暴言を問題視しながら、自分は万死に値すると平気で暴言を吐く〉
〈簡単に死という言葉を使ったり、葬式のように手を合わせたりするような奴は政治家どころか人としてダメだと思うよ〉
〈国会議員が、他人の生きる価値を勝手に見出だして発言するとか狂気の沙汰ですよ〉
〈『万死に値する』とか、政治家として進退かけて言ってるんだろうな? 死ねって言ってるんだぞ?言い過ぎましたじゃ済まねーぞ?〉
「死ねって言ってるんだぞ?」「生存権の侵害だ」って、まったく何を言っているんだか。「万死に値する」という表現は「何度も死ぬべきほどに罪が重い」という意味であり、論壇誌の記事タイトルなどにもよく使われ、とりわけ政治家に対する批判としてはごく当たり前のものだ。
だいたい、こうして鬼の首をとったように騒いでいるほとんどがネトウヨだと思われるが、ネトウヨはかたや生活保護バッシングを繰り広げて人びとの生存権を脅かしておきながら、与党の有力政治家に対する当然の批判を「生存権の侵害だ!」とがなり立てるのである。おまけに「憲法違反だ」って、臨時国会の招集拒否など自民党政権による明確な憲法違反行為には目を瞑っていながらよく言えたものだ。
そもそも、政治家が政治家に対して「万死に値する」と批判をおこなうことは日常茶飯事であり、国会でもしょっちゅう登場する。
じつは、山本太郎に「万死に値する」と名指しされた張本人である麻生太郎も、2012年に『報道2001』(フジテレビ)に出演した際、普天間基地の移設問題に絡んで「問題を混乱させたもとは、鳩山元首相だ。万死に値する」と発言している。
さらに言えば、昨年11月には自民党議員が麻生太郎に対し「万死に値する」と批判をしているのだ。
麻生が鳩山に、自民党の西田昌司が麻生に「万死に値する」と言っても批判は起こらなかったのに…
それは昨年11月24日におこなわれた参院財政金融委員会でのこと。質疑に立った自民党の西田昌司参院議員は、日銀の金融緩和とセットで財政出動をしなかったことや2度にわたる消費増税といった経済政策を批判し、こう述べた。
「私は、今日は麻生大臣来られていませんけれど、この間の麻生大臣、財務省のこの財政政策は、本当にこれは、申し訳ないですけど、万死に値すると思っています」
今回、山本太郎が麻生太郎を「万死に値する」と批判したのも、「国の通貨発行権を使いながら全国にお金を回してデフレを終わらせるということを、ずっと言い続けてきた人間が完全に財務省の手先になっている」という経済政策をめぐる話のなかで出た言葉だったが、同じように経済政策を批判するなかで与党・自民党の西田議員も麻生太郎を「万死に値する」と言い切っていたのである。
言っておくが、昨年、西田議員が麻生太郎を「万死に値する」と言ったことはネット上で炎上などしなかった。
麻生太郎が鳩山元首相に「万死に値する」と発言したときも同様で、今回のような批判は何も起こらなかった。ネット上ではむしろ「よく言った!」「内乱罪で死刑にして欲しい。私刑でもいい」「その通り」「ほんとそう思うわ」「同感」などといった賛同コメントが書き込まれていた。
ようするに、今回発言したのが山本太郎だったために「生存権の侵害だ」「辞職勧告決議案を出せ」などと騒いでいるだけなのだ。
にもかかわらず、ネット上では今回の山本太郎の発言によって、またも「政治家に何を言ってもいいわけではない」「誹謗中傷はやめろ」などという批判が起こっているのである。
たとえば、フィフィは〈芸能人への誹謗中傷には敏感になったけど、何を勘違いしてか、この前の選挙特番の件にしろ、政治家にはどんな発言してもいいって思ってる人がいるよね。てか、その程度の人間と思われるのにね〉と、まったく言論というものを理解していないツイートをしている。
これまでも、爆笑問題の太田光が安倍晋三・元首相について「バカ」と発言したり、同じくマツコ・デラックスが「無神経、馬鹿じゃないと総理大臣ってできないと思うのよ。安倍ちゃんなんて馬鹿の象徴じゃない?」と発言した際にも、ネトウヨが激高し、「名誉毀損だ!」と大騒ぎしてきた。そして、今回もまた同じ光景がまた繰り広げられているのだ。
だが、これは「名誉毀損」でもなんでもない。たとえば「バカ」と評することも、それは過去の判例から裁判所が法的に認めていることでもあり、実際に森喜朗・元首相の名誉毀損裁判で2000年に東京地裁は〈原告は政治家で、しかも内閣総理大臣である。その資質、能力、品格が政治的・社会的に厳しい批判に、時には揶揄にさらされることは避け難い立場にある〉としている。
はっきり言う、麻生太郎が政治家としてやってきたことは「万死に値する」
しかも、繰り返すが「万死に値する」という表現は「死ね」という意味ではまったくない上、麻生太郎の経済政策に対する正当な批評であり、これを名誉毀損だの誹謗中傷だのと批判するほうがどうかしているとしか言いようがない。いや、もっと言えば、麻生太郎を批判するのに「万死に値する」などという表現では全然足りないくらいだ。
実際、このコロナ禍で生活に困窮する人が増加しているというのに、自民・公明の与党は「18歳以下の子どもに現金5万円とクーポン券5万円相当を支給する」というトチ狂った案で合意。だが、このようにいますぐに支援が必要な人の存在をないものにした政策は、麻生太郎の存在が大きく影響を与えている。
事実、麻生氏は昨年の一律現金給付について「お金に困っている方の数は少ない」「個人の貯金に回っただけ」などと言い、厳しい生活を強いられている国民を無視。また、当初は一律現金給付を否定して、「商品券とかいうものは貯金には(お金が)あまりいかないんだよね」と発言していた。今回のクーポン券を配るという愚策も、こうした麻生氏の「なんとしてでも貯金させない」という強い意思が働いているのである。
そして、麻生太郎は、何度となく国民の「生存権」を真正面から否定してきた。老後を心配する高齢者について「いつまで生きているつもりだよ」と発言したり、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」などと国民皆保険制度を否定するようなことを繰り返し発言してきた。
さらに、1983年には「婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」などと発言したことも有名だが、福田淳一・元財務事務次官セクハラ問題では「はめられた可能性は否定できない」などと被害者女性があたかもハニートラップをしかけたような二次加害そのもののデマを口にしたり、「福田の人権はなしってわけですか」「セクハラ罪っていう罪はない」「殺人とか強制わいせつとは違う」と加害者である福田元次官を擁護。2018年11月には元民主党の北橋健・北九州市長にかんして「人の税金を使って東大へ行った」と述べ、教育への公的支出を否定した。また、2019年には「いかにも年寄りが悪いという変な野郎がいっぱいいるけど、間違っていますよ。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」と発言し、麻生氏が首相在任中だった2009年には、学生から“若者には結婚するお金がないから結婚が進まず少子化になっているのでは?”と問われると「金がねえなら、結婚しないほうがいい」「稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、よほどのなんか相手でないとなかなか難しいんじゃないか」などとも発言した。
国民の健康と安全を守るべき立場にありながらその生存権を否定し、女性を貶め、男性に“経済的強者であることが男の価値”などと押し付け、教育の公的支出にさえケチをつける──。選挙中の「温暖化のおかげで北海道の米がうまくなった」発言をはじめ、麻生太郎の暴言を振り返ればキリがないが、つまり麻生太郎の政治家としての歴史は、国民に暴言を吐いて踏みつけにし、傷つけ、その政策で国民の命を危険にさらしてきたのだ。
これを「万死に値する」と評して、一体なんの問題があるだろう。むしろ、この機会に、麻生太郎がそう言われて当然の愚策と暴言を繰り返してきたことのほうを問題にすべきだと言っておきたい。 (編集部)