「侵略に関する定義は未定でどの観点から見るかによって異なる。いかなる脅しにも屈しない」と述べていた安倍首相は26日になって、こんどは「歴史認識が外交や政治問題化するのは望まない。歴史の専門家に任せるのが適当だ」と述べ呆気にとられる展開を見せました。そこにあるのは言葉の軽さと無責任さです。
26日付の中央日報(韓国)は「韓国が日本を支配した後『侵略でない』と言えば…」と題する論説委員によるオピニヨン記事を載せました。含蓄のある挿話から始まり深く考えさせるものです。
また朝鮮日報は27日付の社説「安倍首相の妄言を見過ごす段階は過ぎた」で、安倍首相が問題の収束を図ろうとしているのは、米国が首相の発言に憂慮する意向を伝え国内からも批判の声が相次いでいるためで、前後のつじつまが合わない発言で問題をあいまいなまま終わらせようとするのは、日本帝国により被害を受けた数億人のアジア各国国民をばかにしたものだと批判しました。
以下に二つの記事を紹介します。
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【噴水台】 韓国が日本を支配した後「侵略でない」と言えば…
ノ・ジェヒョン論説委員
中央日報日本語版 2013年04月26日
ある会社員がいた。出勤の途中、地下鉄駅の階段に毎日もの乞いをするホームレスが座っていた。1週間に1回ずつこのホームレスに紙幣を積善した。3年が過ぎたある日、ホームレスが頭を上げて会社員に話した。「先生、一昨年は1万ウォンをくださったのに、昨年は5000ウォン、そして今年は1000ウォンとは、どういうことですか」。会社員が答えた。「私はその間に結婚をして子どもまでいるので…」。ホームレスは怒った表情でこう返した。「いや、では私のお金で家族を養うということですか」。
一瞬、正しい言葉のように聞こえる。周期的に受けてきたので自分のものと感じていたのだ。私のお金で自分の家族を養う? という反感が生じるものかもしれない。しかし本来は誰のものか考えればすぐに答えが出てくる。こういう問答がユーモアならまだしも、実際に再現されれば問題が深刻化する。意図的に便利なものだけ取捨選択する詭弁の弊害だ。
1990年代後半の東京特派員時代、自民党の国会議員2人と一緒に食事をしたことがある。ある議員が日帝時代の植民地の朝鮮であった強制徴兵について釈明したその言葉を今でも忘れない。「当時、私たちも家に赤紙(徴集令状)が送られてくれば否応なく戦場に引き出された」。植民地だけでなく内地(日本本土)の日本人も戦場に連れ出されたのだから差別したのではない、という意味だった。果たしてそうだろうか。韓国人と日本高齢者世代の間のこの上なく大きな認識の違いを実感した。
自分を中心に考えたいが、人に認めてもらえないから、心急いて詭弁を動員することになる。この数日間にあふれ出た日本発の発言がそうだ。麻生太郎日本副総理兼財務相は2月、朴槿恵(パク・クネ)大統領の就任式に特使として出席し、南北戦争に対する米国南・北部の見解の違いを例にあげながら韓国・日本もお互い歴史認識が異なるしなかいと話したという。23日には安部晋三首相が「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。(国によって)どちらから見るかによって違う」と主張した。相対主義論理を極大化した言葉遊びだ。
このように認識は国ごとに違い、侵略もなかったとすれば、例えばのケースとして対馬を韓国が35年間ほど支配するという想像はいかがなものか。もちろん形式的に併合条約を締結し、適法性の是非を最小化する。住民に国語常用という美名の下で韓国語だけを使用させ、男性は韓国軍として徴集し、魚族資源を韓国がすべて持っていき、反発する人は拷問して死刑にし、全住民を金氏・李氏など韓国名に変えれば? そして「侵略はしなかった。どちらから見るかによって違う」と言えば・・・・
【社説】 安倍首相の妄言を見過ごす段階は過ぎた
朝鮮日報日本語版 2013年04月27日
日本の安倍晋三首相は26日「歴史認識に関する問題が外交や政治問題化するのは望まない」「(歴史認識の問題は)歴史家や専門家に任せるのが適当だ」と発言した。安倍首相は「日本が過去に多くの国家、とりわけアジア諸国の人たちに多大な損害と苦痛を与えたという認識においては、歴代の内閣と同じ立場だ」「歴史には確定が難しい点があり、自分は神のように判断はできない。(侵略とは何かに関する)定義はさまざまな観点から今なお議論されている」などと述べた。
日本のメディア各社は安倍首相の発言について「最近の一連の発言により韓国、中国との深刻な外交摩擦が拡大するのを阻止するため」との見方を示し、一定の評価を与えた。安倍首相は23日、日本帝国主義による侵略戦争について「侵略に関する定義はどのような観点から見るかによって異なり得る」と述べた。また、韓国や中国が日本の閣僚や議員たちによる靖国神社参拝に抗議すると、安倍首相は「いかなる脅しにも屈しない」と語った。
安倍首相が自らの発言をあいまいにはぐらかしたのは、日本による侵略の被害を受けた国からの批判に配慮したためではなく、これまで状況を見守ってきた米国が安倍首相の発言に憂慮する意向を伝え、また日本国内からも批判の声が相次いでいるからで、安倍首相は自らの発言が間違っていたとは認めていない。その一方で「長期にわたり専門家によって新たなファクトが発見されており、この問題は専門家や歴史家に任せよう」との考えを述べた。このように前後のつじつまが合わない発言で問題をあいまいなまま終わらせようとするのは、韓国や中国など日本帝国により被害を受けた数億人のアジア各国国民をばかにするのと何ら変わりがない。
米国はこれまで、日本の歴史問題について一歩下がった立場から仲裁者の役割に徹してきた。しかし安倍首相が「日本帝国による侵略の定義」に根本的な疑問を提起したことで状況は変わった。米国は第2次大戦で日本から無条件降伏を勝ち取り、その後1951年のサンフランシスコ講話条約までの戦後処理を行ってきた。しかし日本の右翼によるロビーを受け、サンフランシスコ講話条約の当事国から韓国を除外した米国は「安倍首相の日本」が侵略戦争を事実上擁護していることに対し、自らの立場を明確にする歴史的、道徳的責任がある。
日本と同じく第2次大戦の戦犯国となったドイツは、終戦から68年が過ぎた今も93歳のナチス容疑者を捜し出し、また機会があるたびに被害を受けた国への謝罪を行っている。それでも各国はドイツに対して警戒の目を緩めていない。安倍首相がドイツと正反対の道に日本を引っ張り、現状をごまかしの言葉で終わらせようと考えるのなら、それは大きな誤算だ。歴史の健忘症から今や侵略の正当化に進む日本に対し、韓国政府は確固たる姿勢で対応すべき時を迎えている。