今年のはじめに「各国の報道の自由度ランキング」で第53位に位置づけられた日本の大手紙やTVなどマスメディアのほとんどが、安倍政権の改憲志向に対してもTPP参加に対しても沈黙を守っているなか、地方紙は反権力の健筆を揮っています。
まず安倍・自民党が、「日本国憲法は世界的に見ても、改正しにくい憲法」で、世界の国々は何度も憲法を改正しているのに日本は戦後一度も改正していないことを、改憲の理由に挙げていることについて、 ①日本の発議要件は各国と比べて格別に厳しいわけではなく、むしろ圧倒的多数の国では日本より厳格な手続きを定めている ②改憲の回数が多い国は憲法が通常の法律のように細かい点まで規定しているためで、逆に国の基本原理に抵触する改正は許していない などと的確に批判しています。
そして憲法学者が「改憲要件の緩和」に対しはとりわけ手厳しく批判していることを紹介しています。
曰く 「改正手続きそのものを緩くして、権力者が思いのまま目的を果たそうというのは国民への欺瞞」、「立憲主義を無視した邪道」、「憲法が法律と同じく、衆参両院の過半数で変えることができるようになれば、憲法は憲法でなくなる」、「96条改正は憲法の死刑宣告」 等々です。
以下に高知新聞の社説(全文)と東京新聞の記事(抜粋)を紹介します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【社説】 【憲法96条改正】3分の2の意味考えたい
高知新聞 2013年04月15日
衆参両院の憲法審査会が審議を再開して約1カ月になる。衆院は憲法の各章ごとに、参院は二院制の在り方について論議している段階だ。
そんな中で、当面の焦点になっているのが、国会が憲法改正を国民に提案する際の要件を緩和する96条改正だ。安倍首相が就任後、96条改正を先行させる考えを繰り返し表明していることが背景にある。
だが、96条改正は単なる手続きの問題ではなく、憲法のありようそのものに深く関わる。拙速を避け、慎重な論議を強く求めたい。
96条は、憲法改正は衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成が必要と定めている。発議に必要な議員の賛成を「過半数」に緩和するのは、改憲へのハードルを下げる狙いがある。
改憲を主張する人たちは米国やドイツなどの例を持ち出すことが少なくない。第2次大戦後、昨年4月までに米国では6回、ドイツでは58回の憲法改正が行われたが、日本は一度も改正されていないと言いたいのだろう。
だが、日本の発議要件が特に厳しいわけではない。米国では上下両院の3分の2の賛成で発議し、4分の3の州議会の賛成で承認となる。ドイツでは連邦議会と連邦参議院での3分の2以上の賛成を経て改正される。
両国ともに国民投票は設けていないが、議会の手続きは通常の法律などの単純多数決ではなく、より多くの賛成が必要な特別多数決を採用している。それでも改正が実現できたのは、党派を超えて改正の必要性が共有されていたからだろう。
厳しい改正手続きを持つ憲法は「硬性憲法」と呼ばれるが、日本をはじめ多くの国がなぜ採用しているのか。それを考えることを抜きにして、96条の改正は論議できない。
◇「立憲主義」は
憲法は、いうまでもなくその国の原理・原則を定める法だ。日本国憲法が「最高法規」の章を設け、98条で国の最高法規であることを明記するとともに、99条で天皇や国務大臣、国会議員らに憲法を尊重・擁護する義務を課しているのもそのためだ。
仮に、憲法が容易に改正できる仕組みだったとする。政治的な多数派が発議して改正が実現した場合でも、次に多数派が交代したときに元に戻す動きが出るかもしれない。むろん、硬性憲法でもそうした可能性はあるだろう。
だが、時の政治勢力の都合で憲法がくるくる変わるようでは、最高法規としての安定性は大きく損なわれる。混乱を避け、幅広い意見をまとめる土台として採用されたのが硬性憲法といってよい。
より根本的な問題として、近代憲法の本質である「立憲主義」との関係がある。憲法は人々の権利や自由を確保するために国家権力を縛る、というものだ。改憲論者である日本維新の会共同代表の橋下大阪市長も、その点は肯定しているようだ。
だが、発議要件の緩和によって権力側の改憲意思は通りやすくなり、権力を縛る意味は緩くなるだろう。安倍首相は先の衆院予算委員会で96条改正について「憲法を国民に取り戻すため」と述べたが、逆ではないか。
多くの国民は憲法改正が優先課題だとは思っていないだろう。政治が先走って96条改正を急ぐ必要はない。私たち国民も時間をかけて、その意味をしっかりと考えたい。
チェック改憲 改正手続き国際比較すると
東京新聞「こちら特報部」2013年4月13日
(要旨抜粋)
「日本だけ厳しい」はウソ (中略)
憲法改正の手続きを定めているのが九六条。衆参両院で総議員の三分の二以上の賛成で、国会が発議し、国民投票で過半数の賛成を得て初めて改正が実現する。(中略) 「世界的に見ても、改正しにくい憲法になっている」。自民党はホームページ上の「憲法改正草案Q&A」で、日本の憲法の特徴をこう解説。諸外国に比べ、改憲のための要件が特に厳しいと指摘している。
だが、日本と比べ、諸外国の改憲要件が緩いというのは、本当なのか。
明治大法科大学院の辻村みよ子教授(憲法学)は、「日本の改正手続きは国会だけでなく国民投票を経なければならない点で厳格とはいえるが、各国と比べて格別に厳しいわけでもない。むしろ圧倒的多数の国では、日本より厳格な手続きを定めている」と指摘する。
例えば、米国では上下両院の出席議員の三分の二以上の賛成で改憲を発議。全五十州のうち四分の三以上の州議会で承認される必要があり、ハードルは決して低くない。
ドイツでは連邦議会、連邦参議院のそれぞれ三分の二以上の賛成が必要。フランスは両院の過半数に加え、両院合同会議の五分の三以上の承認がいる。一院制の韓国では、国会の三分の二以上の賛成を経た上で、国民投票も実施される。
議会の議決要件こそ過半数で構わない国もあるが、二度の議決に加えて国民投票を経るデンマーク、州議会の承認も必要なカナダなど、いずれも改正は容易でない。
改正に厳しい条件を付けている国が大多数で、これを「硬性憲法」と呼ぶ。対して、通常の法改正と区別しないのが「軟性憲法」で、そういう国は、成文憲法を持たない英国やニュージーランドなどごくわずかだ。
自民党は、「世界の国々は、時代の要請に即した形で憲法を改正しているが、日本は戦後一度として改正していない」として、諸外国では、何度も改正された実績があることも強調している。
確かに、各国が憲法改正をした回数を見ると、戦後だけでも米国が六回、フランスが二十七回。ドイツは五十九回にも上っている。
これには、各国の事情がある。辻村氏は「改憲の回数が多い国では、憲法が通常の法律のように細かい点まで規定しているため」と説明する。
「ドイツでは欧州連合(EU)統合に伴う改正など、外的環境の変化による必然的なものだった。フランスも同様のケースのほか、大統領の選挙制度や任期短縮といった統治機構の改革に関する事例だった」。ただ、両国の憲法とも、国の基本原理に抵触する改正は許さないように歯止めをかける条文があるという。(中略)
改憲要件の緩和には、多くの学者から疑義の声が上がっている。
沖縄大学の小林武客員教授(憲法学)は、「そもそも日本国憲法は『全百三条のどの条文を変えるにしても、必ず九六条の手続きによらなければならない』というのが前提のはずだ。例えば『九条を変えたい』というなら、現行の九六条の手続きのままで国民に正々堂々と問うべきだ」と指摘。「憲法の命綱ともいえる改正手続きそのものを緩くして、権力者が思いのまま目的を果たそうというのは国民への欺瞞でしかない」と批判した。
改憲論者として鳴らす小林節・慶応大教授(憲法)も「立憲主義を無視した邪道だ」と断じる。
「憲法とは、主権者・国民大衆が権力者を縛る手段だ。だから安易に改正できないようになっている。改憲マニアの政治家たちが憲法から自由になろうとして改正要件を緩くしようとするのは愚かで危険なことだ」。小林氏は九条を改正すべきだと考えている。それでも「自民党が改憲をしたいのであれば、説得力のある案を提示し、国民に納得してもらうのが筋だ」と話す。
九条改正に反対の立場の水島朝穂・早稲田大教授(憲法学)は「九六条は単なる手続き規定ではない」と強調する。
「権力を拘束・制限・統制するという内容の重さゆえに、憲法の改正手続きは重くなっている。憲法が法律と同じく、衆参両院の過半数で変えることができるようになれば、憲法は憲法でなくなる」
水島氏は「自分たちの都合にいいように試合のルールを変更すればブーイングを浴びる。そういう恥ずかしい事とは知らずに、自民党の政治家たちは、九六条改正を大きな声で叫んでいる。憲法の本質を分かっていない」と批判した。
護憲派重鎮の奥平康弘・東京大名誉教授(憲法)は「九六条改正は憲法の死刑宣告だ」と悲愴感を漂わせる。
「自民党にとっては結党以来、憲法改正とは九条改正であり続けてきた。九六条改正先行論はいつか出てくると思っていた。九六条が改正されてしまえば、九条改正は時間の問題だ」 (後略)