2015年2月12日木曜日

安倍政権のあり方は日本の1930年代を連想させる

 あのときも日本が破局に向かっていたことを誰も知りませんでした。ごく普通の生活が連続していたと思っていました。
 
 韓国は既に日本に「併合」されて久しく、戦勝を書き、好戦気分を煽るほど部数が増えたので、新聞は軍部とともに「暴支膺懲」(暴れる中国を懲らしめる)を謳い戦線を拡大させました。
 
 辺見 庸の言葉を引いた村野瀬玲奈氏の警世のブログを紹介します。
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一見平穏な生活と共存していた日本の1930年代の戦時体制
村野瀬玲奈の秘書課広報室 2015年2月11日
安倍自民党政府が戦争の準備を着々とすすめていることに対して生命と生活の危機をおぼえながら、1930年代の日中戦争、第二次大戦のことに思いをはせておきたいのです。第三次世界大戦、あるいは何かの恒久的な戦争状態に日本が向かっている可能性が高いことに危機感のない日本人の多さに危機感をおぼえながら、戦争の時代とはどのようなものか、その一端を知っておきたいのです。私も第二次大戦の時代なんて経験していませんが、伝聞や歴史書から十分に想像することができます。...次のようなツイートを見て、そう思いました。
 
のんきにテレビをぼ〜っと観てる今の日本人は、日本が戦争なんかするわけないじゃん、と思うけど、1937年の日本人もそうだった。「支那事変なんてすぐに片がつくよ」と思ってた。その楽観の裏には「情報操作」がある。当時のマスコミが戦局に縛られてたように、今のマスコミは安倍の言いなり。
 
とまれ、重大な歴史的危機にあって人びとが息を詰め、怯え、かつ緊張して事態を見守っていたであろうというのは、後代の人間たちの罪のない想像にすぎない。
               辺見 
 
 1931年のベース・ボール - Don't Let Me Down  
★ 1930年代の世情に私はずっと興味を抱いてきた。より正確には、1930年代という実時間における歴史認識について。つまり、その年代に生きた人びとは危機を危機として感じていたのかどうかということについて。なぜなら1931年こそが「15年戦争」のスタートだったからである。
 
★ 満州事変、日中戦争、太平洋戦争の総称である15年戦争とは、いうまでもなく、当時からそう呼ばれていたわけではない。戦後もだいぶ経てからの痛苦に満ちた名称である。もしも発端の柳条湖事件で日本の社会が15年戦争を予感し必死で回避しようとしたならば、15年戦争はなかったか短縮されるかしたはずであろう。仮構された日常が、しかし、そうさせなかったのだ。今日は昨日のつづき、明日は今日のつづきという「ごくありふれた普通の日」の連なりに生きているという幻想が、途方もない楽観を生むのであろう。
 
★ とまれ、重大な歴史的危機にあって人びとが息を詰め、怯え、かつ緊張して事態を見守っていたであろうというのは、後代の人間たちの罪のない想像にすぎない。大かたの人びとは今日同様、仮装された日常に埋没し、その日その日を「ごくありふれた普通の日」として暮らしていたのだ。
 
★ いまとなっては信じられないことではあるが、15年戦争の最初の年であるこの31年の10月、米大リーグのゲーリッグ、グローヴら選手団32人が読売新聞社の招きで来日し、初日にはさっそく皇居を「遥拝」し、銀座を自動車でパレードしている。11月7日からは東京、大阪などで日本チームと17試合やって楽々全勝。いやはや、哀しくも滑稽な風景ではないか。相手チームの国に対し、10年後には真珠湾攻撃という一大国家テロを敢行し、結局、惨憺たる敗戦を迎えることとなるのも知らずに、国中がこの日米野球対決に打ち興じていたのである。
 
★ お笑いとお色気を売り物にする浅草オペラ館と新宿ムーラン・ルージュが登場し、連日満員となったのもこの年であった。日本ダービーがはじまり、NHKがこれを実況してわきかえったのは、「満州国」が建国され、犬養首相が青年将校らのテロで殺された32年のことだ。日本の非日常は、今日同様、日常という安穏のジェリーで覆い隠され、人びとは事の軽重をひっくり返し、未来を思わず、ひたすらその時の俗情に生きたのであった。
 
<辺見  『いま、抗暴のときに』(講談社文庫2005)―原著:毎日新聞社2003>
(転載ここまで)
 
2015年の日本は、長年の自民党政治の末に、1930年代のように戦時体制にすでに放り込まれたと私は想像せざるをえません。歴史を知り、想像力をはたらかせれば、そうであるとしか思えません。2015年を生きる日本人一般がこの日本の現状についてどう思っているのか興味があります。日本は安倍自民党政権によって戦争に向かっていると感じているかいないのか。それを止めようと思っているのかいないのか。止めようとしているなら、どうしたいのか。止めなくていいと思っているのなら、それはなぜなのか。自分や身内が戦争の直接的間接的被害を受けたらどうするつもりなのか。それらのことについて世論調査をして後世と他国の教訓あるいは反面教師にしようとする報道人や新聞や報道機関や世論調査機関はないのでしょうか。安倍内閣の支持率なんてことよりもずっと大切なことだと思いますけど。