フランスの核燃料再処理工場ラ・アーグや1946年からの米国の水爆実験を前に、マーシャル諸島のビキニ島民が移り住んだキリ島、旧ソ連の核実験場だったカザフスタン・セメイなど、各国で核の被害に遭った人びとの暮らしや証言を記録した映画「わたしの、終わらない旅」が完成し、3.1ビキニデーを前にした28日、東京スポーツ文化館で開かれる「3・1ビキニ記念のつどい」で上映されます。
映画は群馬県みなかみ町の坂田雅子さんが製作しました。
坂田さんは、母の静子さんが原発の危険性を訴えて書き続けたミニコミ紙「聞いてください」に強い影響を受け、福島を繰り返し訪れてテープ百本分もの映像も撮りましたが、「現在進行形の福島を今、一つの映画にまとめるのは困難」と感じ、まずは家族が思いを寄せた地に「とにかく行ってみよう」と思い、その「旅」が作品として実りました。
広島、長崎の原爆やビキニの核実験による第五福竜丸の被ばく経験の後、平和利用の名の下に原発を推進してきたこの国のありようもあぶり出されています。
そして「福島の事故が起きてなお、原発を続けようという国とは何なのか」を問い掛けます。
3月7日からはポレポレ東中野で上映されます。
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核は全て奪う 傷痕たどる旅 ビキニデー前に上映
東京新聞 2015年2月25日
東京電力福島第一原発事故につながる核エネルギーの歴史をたどろうと、各国で核の被害に遭った人びとの暮らしや証言を記録した映画「わたしの、終わらない旅」を坂田雅子さん(67)=群馬県みなかみ町=が製作した。米国の核実験に翻弄(ほんろう)され続けるマーシャル諸島の住民ら、生活を奪われた人びとの姿から、核の本質を見つめる作品だ。「行間に福島の人たちの苦しみが表れていたらいい」と話す。 (小林由比)
坂田さんは写真通信社勤務などを経て五十代半ばから、ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤の被害をテーマにした映画製作に取り組んできた。今回訪れたのは、フランスの核燃料再処理工場ラ・アーグや、一九四六年からの米国の水爆実験を前に、マーシャル諸島のビキニ島民が移り住んだキリ島、旧ソ連の核実験場だったカザフスタン・セメイ(旧セミパラチンスク)などだ。
日本の使用済み核燃料も処理されるラ・アーグでは河川や海が放射能で汚され続け、ビキニ島民は今も島に戻れない。カザフスタンでは汚染が続く大地に暮らし続ける家族がいる。坂田さんは「核の影響はじわじわと多くの人に影響し続けている」と話す。
訪問先は、家族にまつわる土地でもある。ラ・アーグの対岸の英ガンジー島には姉の悠子さん(69)が暮らす。悠子さんは七七年、ラ・アーグに日本の使用済み核燃料が運び込まれることを知り、その不安を長野で暮らす母の故・静子さん宛てにつづった。静子さんはその手紙を機に反原発運動に関わり始めた。マーシャル諸島は亡き夫で米国出身の写真家グレッグ・デイビスさんが取材した地だ。
福島の事故後、強い不安の中にいた坂田さんは、静子さんが原発の危険性を訴え続けて書き続けたミニコミ紙「聞いてください」を読み返し、あらためて運動の意味に気付いたという。福島を繰り返し訪れ、テープ百本分もの映像も撮った。だが「現在進行形の福島を今、一つの映画にまとめるのは困難」と感じた。福島を俯瞰(ふかん)するため、家族が思いを寄せた地に「とにかく行ってみよう」と思った。その「旅」が作品として実った。
広島、長崎の原爆やビキニの核実験による第五福竜丸の被ばく経験の後、平和利用の名の下に原発を推進してきたこの国のありようも、証言からあぶり出す。坂田さんは「エネルギーとして使っていこうというまやかしがあった。福島の事故が起きてなお、原発を続けようという国とは何なのか」と問い掛ける。
映画は三月一日の「ビキニデー」を前に、二十八日午後二時から、東京都江東区の東京スポーツ文化館で開かれる「3・1ビキニ記念のつどい」で先行上映される。上映の後、坂田さんとフォトジャーナリスト豊崎博光さんの対談もある。資料代五百円。三月七日からは、ポレポレ東中野で上映される。
核の被害に翻弄される人びとについて語る
映画監督の坂田雅子さん=東京都内で