東京・江東区の東京大空襲・戦災資料センターで、太平洋戦争末期、米軍によって繰り返された東京空襲の被害を伝える写真展が、25日から開かれています。
戦争を知らない世代が増えてきましたが、センターの担当者は「戦後70年の節目に、多くの市民が犠牲になった空襲の実態を知ってほしい」と話しています。
初公開のものを含めて134点が、4月12日まで展示されます。
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写真語る 東京の空襲 「実態知って」江東で134点
東京新聞 2015年2月26日
太平洋戦争末期、米軍によって繰り返された東京への空襲被害を伝える写真展が二十五日、江東区北砂一の東京大空襲・戦災資料センターで始まった。炎上する建物や消火活動に励む人々、焼け跡風景など、初公開を含む百三十四点を展示。センターの担当者は「戦後七十年の節目に、多くの市民が犠牲になった空襲の実態を知ってほしい」と話す。四月十二日まで。 (奥野斐)
池袋方面の空襲の焼け野原、重傷を負った子どもを病院に運ぶ様子、バケツリレーによる消火活動、破壊された神社や学校…。会場には、センターが編集し、先月刊行した「決定版 東京空襲写真集」から、空襲下の街の様子、市民の暮らしがわかる写真を中心に並べた。A3判パネルに大きさを統一し、一九四二年四月の本土初空襲から時系列で紹介している。
東京大空襲で、旧麹町区九段のビル屋上から見た夜間空襲の写真は初公開だ。陸軍参謀本部の下で写真宣伝物を制作した「東方社」の菊池俊吉(しゅんきち)氏が撮影した。
会場を訪れた友田和助(ともだわすけ)さん(82)=府中市=は大空襲当時、旧深川区に住んでいた。父親が材木問屋を営んでいて、空襲の夜は自宅前の堀に浮かぶ船に一度は避難したものの、周囲を火に囲まれ、船を出た直後にその船に焼夷弾(しょういだん)が落ちたという。写真を見ながら「生きてる方が不思議。翌日は焼死体を踏まないと歩けないぐらいだった」と話した。
今回は、警視庁のカメラマンだった石川光陽(こうよう)氏と東方社のカメラマンが撮影した写真を展示。写真集には政府の写真広報雑誌の仕事をしていた「日本写真公社」の写真も収録している。
正午~午後四時。月・火曜は休館だが、三月九、十日は開館する。入館時に協力費として一般三百円、中高生二百円が必要。問い合わせは、センター=電03(5857)5631=へ。
東京への空襲被害を伝える写真が並ぶ会場