2024年3月13日水曜日

東日本大震災から13年 - 写真と対面し、風化と後退と忘却の流れを確認する

 世に倦む日々氏が掲題の記事を出しました。3・11東日本大震災から13年が経過した今日、「東日本大震災の犠牲者は浮かばれないだろうと思う。被災地で被害に遭った経験を抱えて生きている人々も、不本意で苛立ちを覚えているに違いない」と書き出しています
 そしてこれまでにこの件で世に訴えてきたご自身の主要なブログ記事を各年毎に2015年まで振り返り、その主張する処に間違いはなかったと改めて確信出来ると表明しました。
 更に「ピンチはチャンスだと言う。東日本大震災の悲劇は、本来なら日本経済全体を再生させ復興させる絶好のチャンスだった。だが、新自由主義者たちには   過疎の地方は切り捨てて資本は効率的な東京に集中するという思想があり、その政策をアクセラレート(⇒加速)するために東日本大震災の不幸を利用した。・・・ 日本中の人間が、大多数が、特に若い世代ほど、新自由主義者(資本主義者)になってしまったのは残念である」と述べ、能登半島大震災を見ていても、政府が被災地に自力再生を促すのみで一向に国費を投入した復興に動こうとしない姿勢が既に定着しているとして、いまや日本人被災地切り捨てのネオリベ(⇒新自由主義)政策を政権に遂行させ、過疎地を衰滅させ日本を滅ぼす狂気のサディズムに興じている。理解しがたい現実だと嘆きます。何もかもが狂いつつあるという指摘です。
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東日本大震災から13年 - 写真と対面し、風化と後退と忘却の流れを確認する
                       世に倦む日日 2024年3月12日
元日の能登半島地震の影響か、今年はマスコミが「東日本大震災から13年」の報道に注力しているのが目につく。と言っても、中身は薄く、特に心に残る特集や企画はない。雑駁で平板だ。ジャーナリズムと呼べる掘り下げは提供されていない。基本的に、日本人は13年前の大震災を忘却して行っている。意味を正しく掘り起こすことなく、真摯に整理と総括をせず、あの壮絶な体験を忘れて捨てて行っている原発についてはあっさり再稼働させ、遂には新増設が見える地点まで来た。地震災害については、政府救助しないから自己責任で何とかしろという政策が標準化、能登半島地震でもそれが強力に実践され、ひたすら自助と共助で災害対応という図式に固まっている。自衛隊は救命救助どころか風呂焚きも遺体捜索もやらなくなった。天皇も被災地に行こうとせず、マスコミは物見遊山じみたアリバイ取材に興じる始末だ。

東日本大震災の犠牲者は浮かばれないだろうと思う。被災地で被害に遭った経験を抱えて生きている人々も、不本意で苛立ちを覚えているに違いない。被災者の思いは全くこの国の政策に反映されなかった。被災者の希望とは逆の方向に日本は進んだ。犠牲者の無念を踏みにじる方向に転がった。そう思う。今、この機会に13年間を振り返り、それぞれの年の3.11に何を書いてきたかを確認したい。現在から過去に向かって順番にブログの記事と向き合うことにしよう。

2年前の2022年はウクライナ戦争一色だった。3年前の2021年は、震災から10年となる節目の年で、記事を2本上げている。■「検証と総括がなかった原発事故10年 – SDGs脱炭素を隠れ蓑にした原発復活」と ■「大失敗に終わった東日本大震災復興事業 – 被災地の復興を妨害した東京五輪」である。再読して、分析と結論に修正を要する部分はない。原発の記事では、SDGsやグレタなどの脱炭素の動きを日本の左翼リベラルが奉戴し、帰依し、脱原発の課題の優先順位を落としてしまった点を指弾している。誰も言わないが、急所のポイントだろう。これによって政治的抵抗が除去され、弱化され、右翼ネオリベ⇒新自由主義側は無人の野を行くように原発推進できるようになった。私は今でも、脱炭素はGTCCの科学技術で実現するべきという立場であり、ベースロード電源は気象条件に左右されない化石燃料にすべしという意見だ。

4年前の2020年3月はコロナ禍一色で騒然となっていて、他の問題には目が向かない状況だった。5年前の2019年3月は、世間も私も新元号「令和」の問題に集中していた時期だったが、2本の記事を書いている。■「復興政策は失敗だった - 五百籏頭真と御厨貴は責任をとれ」と ■「陸前高田と高台移転 - 復興構想会議、菅内閣、野田内閣、マスコミ」だ。読み返して、率直に良記事だという感想を持つ。五百旗頭真は責任をとることなく鬼籍に入った。最低な男だと思う(御厨貴も)。何の功績もなく貢献もなかった。2本の記事では、復興構想会議の報告書に何のビジョンもコンセプトも無かった点を衝いている。アイディアもデザインもプランもなかった。抽象的な美辞と空疎な麗句の羅列のみ。ゼネコンへの発注根拠の動機のみ。この批判を私は他の誰からも聞いた覚えがない。13年経つが、復興構想会議についての検証がない

これなら、安藤忠雄の「桜並木の瓦礫堤防の長城」を選んだ方がよっぽどマシだった。5年前の記事で気づくのは、この当時から、大災害で地方が壊滅しても政府は復興計画を立てず復興資金を入れないという方針の示唆があった事実である。発災8年後の2019年の特集報道で、初めてマスコミが被災地の首長を叱り飛ばす異常事態が出現した。1500億円投じた陸前高田の土地嵩上げ事業が槍玉に上げられ、税金の無駄遣いだと非難され、報ステの富川悠太が生放送で市長の戸羽太を面罵する事件が起きた。第2次安倍政権の7年目。災害対策で公助はしないというネオリベ路線宣告のマイルストーンである。そこから5年。能登半島地震から2か月半経つが、被災現場は手付かずで放置されたままの状態だ。壊屋の解体も瓦礫の撤去もされず、町の絵が変わらない。マスコミ(=御用マスコミ)は医療NGOやらの活動ばかりフォーカスし、災害時の共助の意義をやたら強調している。

能登半島地震という言葉はあるけれど、能登半島震災という言葉はない。政府とマスコミは「能登半島震災」という表現を使わず、行政と報道からその概念を排除している。世間からその認識を消している。「能登半島地震による被害」という語で済ませている。格を軽くして定義している。それゆえ「能登半島震災」の復興計画はないのだ。国家プロジェクトでの新生策は立案されない。政府は能登の復興に介入しない。任務としない。能登半島地震の復興計画は、石川県が6月までに策定する予定になっている。石川県の責任になり、県自治体の責任範囲で行う地域事業という位置づけになった。公助は絶対にしないぞという政府の姿勢が貫徹され、ネオリベ知事の馳浩がその方針を歓迎している。輪島や珠洲の荒廃放置もむべなるかなの論理的必然であり、何年経っても町の絵に変化はないかもしれない。国が復興構想の役割を担わないから、当然、能登の震災復興は貧相な内容になるだろう。

6年前の2018年3月は森友問題で一色だった。7年前の2017年3月も森友問題で喧々諤々の時期だったが、「『震災から6年』の与良正男の暴言 - 脱原発の気運はどこで挫けたのか」という記事を書いている。見逃せない重要な論点を出していた。日本人はいつから脱原発をやめたのか、左翼リベラルはいつから脱原発を後退させたのかという問題についての考察だ。2021年の記事では、SDGsとグレタの環境運動の思想的潮流が台頭し、左翼リベラルを包摂し、脱炭素の神様が偶像崇拝され、脱原発の本尊が廃仏毀釈された点に着目した。現在もその延長線上にあり、斎藤幸平がその路線のシンボルとなっている。7年前の記事では、さらに重要な問題として、その3年前の2014年2月の東京都知事選に焦点を当て、左翼リベラルの中で脱原発を担ぐ主勢力が入れ替わった事実を指摘している。発災から3年の間は、鎌田慧、広瀬隆、河合弘之、澤地久枝などの知識人が中心だった。

ところが、2014年2月の東京都知事選のクーデターを契機にして、しばき隊(反原連)が前面に躍り出るのである。鎌田慧、広瀬隆、河合弘之、澤地久枝、湯川れい子、瀬戸内寂聴らは、最初に立候補した細川護熙を推して戦った。これに対して日本共産党は宇都宮健児を立候補させ、野党勢力を二つに分断する挙に出て細川護熙の足を引っ張った。選挙戦は、左翼同士が骨肉の争いを演じる不毛な内ゲバとなったが、ここで大活躍したのが暴力のプロのしばき隊による汚い誹謗中傷作戦で、見事に効果を発揮して票数で宇都宮健児を2位に押し上げた。ここからしばき隊の天下が始まる。鎌田慧、広瀬隆、河合弘之、澤地久枝らの脱原発の声は小さくなり、彼らの左翼世界での地位は低下、影響力を失うトレンドとなった。日本共産党がしばき隊と癒着結合し、しばき隊が左翼の司令塔化する無残な構図となる。反原連解散後、しばき隊・日本共産党は脱原発に関心を向けず、脱炭素路線に舵を切っている。



9年前の2015年3月には4本の記事を上げた。■「福島原発事故の風化 - 国道6号と常磐道から見た帰還困難区域」、■震災を風化させているのは政府とマスコミだ - 風化と自己責任」、■復興したのは東京だった - 被災地を置き去りにした4年間の土建バブル」、■鎌田靖のNHKスペシャル『震災4年 被災者1万人の声』 - 意義と限界。率直に、読みごたえのある主張と提論だ。減価償却を感じない。風化とは何か、何が風化させているのか、その真実を捉えている。「復興したのは東京だった」の記事は、当時かなり大きな反響を得た。私の持論はずっと変わっておらず、被災地こそをゴールドラッシュの磁場にして、そこを新機軸に日本経済の再活性化を図るべきだったという発想だ。「地方創生」という言葉は今では空語と化しているが、その表象が持つ経済政策の投資を被災地をモデルに大胆に実行すればよかったと思うし、日本の国家予算の範囲で十分可能だったと思う。

田中角栄が首相であれば、加藤紘一や田中真紀子の自民党政権であれば、その政策を実行しただろうし、ヒト・モノ・カネを被災地に投入して、夢と熱のある経済空間を作っただろう。東京から若い世代 - 氷河期の打撃やいじめの心の傷で引き籠っている - を呼び込み、人生を賭けた挑戦をする営みの場を提供しただろう。ピンチはチャンスだと言う。東日本大震災の悲劇は、本来なら日本経済全体を再生させ復興させる絶好のチャンスだった。だが、新自由主義者たちには別の理念があり、過疎の地方は切り捨てて資本は効率的な東京に集中するという思想があり、その政策をアクセラレート(⇒加速)するために東日本大震災の不幸を利用した。資本家ならばそういう判断と選択をする。それがまさに資本主義の政治だ。日本中の人間が、大多数が、特に若い世代ほど、新自由主義者(資本主義者)になってしまったのは残念である。

大震災のとき、苦境を耐えて助け合う被災地の人々の規律正しさや我慢強さの姿は、世界中を感動させ、日本人への尊敬を新たにさせた。日本人として、それを見ながら誇りを感じて胸が熱くなった。その同じ日本人が、被災地切り捨てのネオリベ⇒新自由主義)政策を政権に遂行させ、過疎地を衰滅させ日本を滅ぼす狂気のサディズムに興じている。理解しがたい現実だ。2015年から9年間の時間の流れを追いかけ、年々の3.11の空気を正視すると、これから5年後10年後の3.11が容易に想像できる。それにしても、能登半島地震では何で写真が1枚もないのだろう。13年前の大震災のとき、APやロイターが被災地に入って多くの写真を撮った。感動的な1枚1枚が配信され、世界の人々の心を揺さぶった。私も釘付けになった。3.11を回想する日には、アルバムを捲るように1枚1枚と再会して当時の環境と対面する。これは日本人の財産なのだろうと思う。一人一人の現在を知りたい。が、能登が皆無なのはなぜだろう。