東京新聞がシリーズ記事:<砂上の安全網>①~④(24年2月16日~19日)で「群馬県桐生市の生活保護申請者への冷淡で人権無視の対応」を特集した記事を紹介します。
因みに「砂上の安全網」と呼ぶ所以は、生活保護こそが国民にとっての最後の「安全網」であるのに、政府や自治体の役所によってそれが有名無実化されつつあることへの警鐘です。
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<砂上の安全網 ①>
これが生活保護の水際作戦…電気も水道も止められているのに「家族で支え合って」と突っぱねた市職員
東京新聞 2024年2月16日
「お父さんが大変なことになっているので、すぐ見に行ってください」
2015年7月、群馬県桐生市に住む黒田正美さん=仮名=の携帯電話が鳴った。声の主は同市福祉課の職員だった。
◆木くずで起こした火で煮炊きしていた父
当時、黒田さんは30代後半。父の杉本賢三さん=仮名、当時(61)=と市営住宅で同居していたが、結婚で独立し、杉本さんは単身生活を送っていた。駆け付けると、ライフラインは全て止められ、石油ストーブの燃焼筒に外で拾い集めた木くずを入れてマッチで着火し、わずかに残ったコメを煮炊きしていた。窮状を見かけた近所の住民が市へ通報したのだという。
杉本さんは料理人として働いていたが、心臓疾患などによる体調悪化で就労困難な状態が続いていた。黒田さんは市福祉課に相談したが、「家族で支え合って」「実家に戻りなさい」と相手にしてもらえなかった。同年8月、杉本さんはやむを得ず市内の実家で暮らす妹、黒田さんにとっては叔母の家に身を寄せる。
しかし、以前から折り合いが悪かったため、杉本さんは母屋に入れず、隣接する廃工場に身を置いた。猛暑で知られる桐生市でエアコンも風呂もない住環境は、ただでさえ万全ではない体力を奪った。
◆「家計簿をつけて」「1日800円で生活」
叔母は無職、黒田さんは当時子育て中で働いておらず、夫の収入も父親を養うだけの余裕はなかった。窮状から脱するには生活保護以外に道はなく、黒田さんは父と叔母の生活保護を申請するため、市福祉課を訪れた。しかし、担当職員は「1カ月、家計簿をつけてください」と告げる。「生活保護を受けている人で1日800円で生活している人もいる。見習うように」と申請させなかった。いわゆる「水際作戦」だ。
さらに、同課職員が自宅に来て夫の通帳を見て収入を確認し、家賃や車のローン残額などを聞き出した。「なぜそんなことまでされないといけないのか」と憤ったが、ここで職員の機嫌を損ねたら、さらに不利な扱いを受けるかもしれない、という懸念から何も言えなかった。
見かねた友人から、黒田さんは困窮者支援に取り組む仲道宗弘司法書士(群馬県伊勢崎市)を紹介され、窓口に同行してもらったことで、同年9月にようやく保護が決まった。
◆暴言「社会性のなさから生活保護になった」
その際、担当職員は窓口で黒田さんに「お父さんの社会性のなさから生活保護になった」と、大声で暴言を吐いたという。窓口は個室ではなく、執務フロアで周囲に大勢の職員や他の来訪者もいた。黒田さんは「悔しくてたまらなかった」と振り返る。
黒田さんは仲道司法書士の助言で、一連の経過をメモで記録していた。
「町でぐうぜん父の姿を見かけ、びっくりする。ホームレス状態」「市へ電話をすると、『家族で支え合って』『実家にもどれ』の一点ばり」
生活保護が決まってからも、杉本さん、黒田さん父娘にはさらなる試練が降りかかった。
保護の辞退届撤回を求めた黒田さんに、担当職員が「桐生市をうったえるって事?」と詰め寄る様子がメモに記されていた
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<連載・砂上の安全網>
生活保護は「最後のセーフティーネット(安全網)」とも呼ばれる。国民の生存権を保障した憲法25条を根拠とする制度だからだ。しかし、桐生市では保護費を1日1000円に分割した上に満額支給しなかったり、受給者から預かった印鑑を無断押印したりするなど、違法性を強く疑われる運用が表面化した。黒田さんの体験から問題点を洗い出す。(この連載は、小松田健一と福岡範行が担当します)
<砂上の安全網 ②>
「市を訴えるってこと?」・・・福祉課職員に怒鳴られた娘、尊厳否定され死んだ父 生活保護めぐり心に傷
東京新聞 2024年2月17日
2015年9月、桐生市からの生活保護受給が決まった黒田正美さん=仮名=の父、杉本賢三さん=同、当時(61)=は、直後に心臓疾患の治療のため市内の病院で手術を受けた。
退院後に実家の廃工場に戻れば、再び体調を崩しかねない。主治医は施設入所を勧めた。ただ、桐生市が提示したのは前橋市北部の介護施設だった。桐生市内から車で1時間以上かかるため、子育てに追われる黒田さんは難色を示して近隣施設の紹介を求めたが、担当者に「桐生市内はどこもいっぱい」と断られた。
◆保護辞退届書かされ、居場所と収入失いそうに…
担当者はさらに、杉本さんの生活保護を廃止し、前橋市で改めて申請するよう求め、黒田さんに保護の辞退届を代筆させた。受給者が転居する場合は「移管」手続きで、保護が途切れないようにするのが通例だ。黒田さんは釈然としなかったが、制度に関する知識が乏しかったこともあって、父を施設へ入れることを優先し受け入れた。
ここで問題が生じた。入所に必要な桐生市の介護認定手続きが未了だったため、施設に入所を断られる。居場所を失うばかりか、前橋市から生活保護を受けるまで一時的に完全な無収入になってしまう。
辞退届は入所と引き換えだったため、黒田さんは電話で桐生市の担当者に辞退の撤回を懇請する。しかし、担当者は「施設のご案内をしただけで入れとは言ってない」などと話し、らちがあかなかった。
◆担当者との間に存在する上下関係
黒田さんが書き残したメモにはこうある。
「○○(担当者氏名、メモでは実名)黒田さんは何をしたいの? 桐生市をうったえるって事?」
「そうやって○○さんとかにせめられてつらくって市に行く事やtelがくると調子が悪くなっちゃうんですよ」
黒田さんは市福祉課の窓口でも、他の来訪者や職員に聞こえるような大声で怒鳴られたことが複数回あったという。「(担当者と自分に)上下関係が成立していて、逆らえなかった」
◆「まだそんなことをやっていたのか」
杉本さんは施設入所後に若年性認知症を発症し、17年5月、63歳で亡くなった。黒田さんは一時、市の担当者から電話がかかると体が震えるほど強い精神的ダメージを受け、これまで父のことでは家族にも口を開くことがなかった。
しかし、昨年11月、生活保護費を1日1000円しか渡さなかった事例が報じられると「まだそんなことをやっていたのか」と驚き、尊厳を否定された父の無念を晴らしたいと取材に応じた。
桐生市は昨年12月、制度運用に問題があったと認めて荒木恵司市長が謝罪し、内部調査チームと第三者委員会の立ち上げを表明した。黒田さんの事例について小山貴之福祉課長は「記録が廃棄されており、詳細な把握が困難な状況。引き続き調査し、第三者委員会や内部調査チームに報告したい」とコメントした。
黒田さんは「今ならば、あのころの自分に『もっと周りを頼りなよ』と言う。表面化した問題は氷山の一角と思うので、第三者委員会で徹底的に調べてほしい」。
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<連載・砂上の安全網>
生活保護は「最後のセーフティーネット(安全網)」とも呼ばれる。国民の生存権を保障した憲法25条を根拠とする制度だからだ。しかし、桐生市では保護費を1日1000円に分割した上に満額支給しなかったり、受給者から預かった印鑑を無断押印したりするなど、違法性を強く疑われる運用が表面化した。黒田さんの体験から問題点を洗い出す。(この連載は、小松田健一と福岡範行が担当します)
<砂上の安全網 ③>
生活保護、水際作戦が常態化? 桐生市の「異様さ」がデータで見えた 「最低水準」の背後に何があったのか
東京新聞 2024年2月18日
群馬県桐生市に住む黒田正美さん=仮名=が、父・杉本賢三さん=同、2017年5月に63歳で死去=の生活保護を申請しようとした際、司法書士が窓口に同行するまで、市がかたくなに申請を拒んだことは前回までに詳述した。いわゆる「水際作戦」に、黒田さんは「父が救いを求めたとき、親身に対応してくれればもっと長生きできたと思う」と、悔しさを語る。
◆「保護率」2011年から10年で半減
桐生市は10年ほど前から、生活保護を開始した世帯の割合が群馬県内の他市に比べて明らかに低い状態が続いてきた。生活保護の申請を受け付けた割合も、同時期から低水準が続いた。水際作戦は常態化していた可能性があり、研究者やケースワーカーでつくる「生活保護情報グループ」と本紙が連携し、県作成の資料から分析した。
桐生市は、人口に対する生活保護受給者の割合を示す「保護率」が11年度をピークに一貫して低下し、22年度までにほぼ半減した。11年連続の低下は県内の市で唯一で、受給者も11年度の1163人から、22年度は547人と半減した。
生活保護の申請や開始は世帯単位で行われる。分析では、申請や開始の件数を当時の世帯数で割って、各市の推移を比べた。
結果、桐生市は申請、開始ともリーマン・ショックの影響が現れた09年度ごろは県内トップクラスの水準だったが、11~14年度に大幅に低下し、最低水準に定着した。申請を受け付けても開始に至らないケースも相次いでいた。
生活保護情報グループのメンバー桜井啓太・立命館大准教授(社会福祉学)は「急速に申請、開始が減っている。窓口に相談に来た段階で申請する意思をくじくような説明をするなど、申請権の侵害がなかったかを総チェックする必要がある」と指摘する。生活保護の受給者らへの市の厳しい対応が知られていたことで、相談に行きづらい雰囲気があった恐れもあるという。
◆「数字をコントロールしたことはない」と桐生市
近隣地域は、主な産業や高齢化率などが似ているため、保護率や保護開始の割合などは似た推移をたどりやすい。桜井准教授は「保護率を見ているだけでも桐生市の異様さは分かる。県の監査が形骸化していなかったかも検証が必要だ」と、県の桐生市に対する指導姿勢も疑問視した。
市福祉課は保護率が低い理由について、昨年12月18日と今年1月15日の記者会見で、それぞれ「高齢者世帯の死亡などによる保護世帯の自然減によるもの。数字をコントロールしたことはない」とコメントしている。
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<連載・砂上の安全網>
生活保護は「最後のセーフティーネット(安全網)」とも呼ばれる。国民の生存権を保障した憲法25条を根拠とする制度だからだ。しかし、桐生市では保護費を1日1000円に分割した上に満額支給しなかったり、受給者から預かった印鑑を無断押印したりするなど、違法性を強く疑われる運用が表面化した。黒田さんの体験から問題点を洗い出す。(この連載は、小松田健一と福岡範行が担当します)
<砂上の安全網 ④>
生活保護の「水際作戦」の背景には偏見 国はマイナンバー並みの熱意で「正しい理解」の普及に努めるべき
東京新聞 2024年2月19日
桐生市による生活保護制度の不適切な運用をめぐっては、同制度が憲法に基づいた国民の権利であるという根幹部分への無理解が浮き彫りとなった。生活困窮者支援の活動に取り組むかたわら、フリーライターとして精力的に生活保護をめぐる問題の取材を続けている小林美穂子さん(55)=前橋市出身=に、一連の問題の背景などについて聞いた。
小林美穂子(こばやし・みほこ) 前橋市出身。幼少期をインドネシアやケニアで過ご
し、成人後はニュージーランド、マレーシアで働き、帰国後は自動車会社の通訳者と
なる。2014年から生活困窮者支援団体「つくろい東京ファンド」(東京都中野区)
のスタッフを務める。単著に「家なき人のとなりで見る社会」(岩波書店)、共著に
「コロナ禍の東京を駆ける」(同)がある。
◆「自分たちがルール」と言わんばかりの運用は憲法無視
-生活保護費を「1日1000円」に分割した上、決定額を満額支給しなかったり、持ち主が分からない印鑑を職員が書類に無断押印したりするなど、桐生市で明らかになったさまざまな問題点をどう考えますか。
「多くの自治体へ生活保護の申請に同行した経験を踏まえても、桐生市の対応は突出しておかしなことばかりです。憲法や生活保護法を無視して『自分たちがルールだ』と言わんばかりの運用がされていたことに驚きました」
◆人員不足で「申請を受け付けない」力学が働く
-桐生市の例は典型ですが、生活保護を求める人を窓口で拒んで申請させない「水際作戦」は、なお後を絶ちません。なぜでしょうか。
「まず、生活保護の実務を担当するケースワーカーが慢性的な人員不足で、過重労働に陥っていることが挙げられます。厚生労働省はケースワーカー1人当たりの受け持ち目安を80世帯としていますが、実際には100世帯を超えることも珍しくありません」
-生活保護制度が複雑なことも、職員の負担を重くしていますか。
「その通りで、処理しなければいけない書類が非常に多く、心理的、身体的な負担を軽くするため、申請を受け付けないようにするという力学が働きます。職員の増員が必要です。多忙ゆえに制度や人権に関する研修が不十分で、十分な知識を蓄積できない問題もあります。制度利用の要件を満たしている人のうち利用している方は現状で2割程度です。必要な人にすべて行き渡らなくては制度の意味がありません」
◆国会議員によるバッシングが偏見を助長した
-生活保護制度には「楽をしてお金をもらっている」といった誤解や偏見が根強くあります。なぜでしょうか。
「以前から『働かざる者食うべからず』といったスティグマ(他者が押し付ける負のイメージ)はありましたが、2012年ごろに一部の国会議員が制度利用者に対して激しいバッシングを行い、より助長されたように思います。群馬県のように保守的な地方ほど、その傾向は強いと感じています」
-制度の改善にはどのような施策が必要でしょうか。
「短期的には、国がマイナンバーカードの普及宣伝と同じぐらいのエネルギーを注ぎ、生活保護制度に人びとが正しい理解を得るよう努めてほしいと思います」
「中長期的には、現在は生活扶助や医療扶助などが全てパッケージになっていますが、個人の事情に応じ、例えば住宅が必要な人には住宅扶助だけを実施する『単給』を導入し、より利用しやすくすることが必要だと考えます。負のイメージが定着してしまった生活保護という名称も変えていく必要があるでしょう。市民のスティグマ解消や人権意識の底上げも必須です」
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<連載・砂上の安全網>全4回
生活保護は「最後のセーフティーネット(安全網)」とも呼ばれる。国民の生存権を保障した憲法25条を根拠とする制度だからだ。しかし、桐生市では保護費を1日1000円に分割した上に満額支給しなかったり、受給者から預かった印鑑を無断押印したりするなど、違法性を強く疑われる運用が表面化した。黒田さんの体験から問題点を洗い出す。(この連載は、小松田健一と福岡範行が担当しました)