2024年3月25日月曜日

水俣病 救済に背 熊本地裁 国の主張に沿い全員棄却

 22日、熊本、東京、大阪の3地裁で計約1600人(1400人とも)が起こした集団訴訟のうち熊本地裁で判決が出されました。
 判決は、民間医師による共通診断書の信用性を疑問視し、県の患者認定審査で作成する公的検診録がなければ「因果関係の立証が不十分」と結論付け、さらに発症までの潜伏期間は10年程度にとどまるとの国の主張に沿って判断した上で、25人のメチル水銀被害(水俣病)は認めたものの、不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」が経過しているとして、結局原告144人全員の請求を棄却しました。

 昨年9月 大阪地裁で128人の原告全員の水銀被害を認めた判決とは正反対の判断でした。
 水俣病の原因物質は、チッソ水俣工場が海に排出した廃液中の「メチル水銀」であることを九州大学がいち早く突き止めました。しかし政府は、化学工業の発展に必須の物質であるアセトアルデヒドの製造を止めたくなかったので、別に原因究明の委員会を立ち上げて九州大学の結論を否定させ、それによって更に数年に渡ってチッソ工場の廃液の排出を継続させました。これによって膨大な水俣病患者が生み出されました。
 水俣病は完全な官製の公害であり、神経系統を冒された患者は筆舌に尽くしがたい苦痛を味わいました。
 国は最終的に「メチル水銀」が原因であると認めましたが、今度は水俣病患者数を少なく見せようとして、当初の患者認定基準を「複数の症状を伴わなければ認めない」などの策略を講じました。上記の「公的健診録が必要」、「10年程度の潜伏期間を超えて発症したものは除外」などの制約はその延長線上にあるものです。
 司法は、患者たちの「発症したときこれが水俣病だとは思わず、後年診断され初めて知った(潜伏期間が見掛け上10年を超えたという声に耳を傾けるとともに、「だれが作ったもわからない公的検診、長年の診察と研究でできた共通診断書の上に置く」のは、患者数を抑えようとする手段であることを知るべきです。
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水俣病 救済に背 熊本地裁 国主張沿い全員棄却 25人認定も「除斥」適用
                       しんぶん赤旗 2024年3月23日
 「全ての水俣病被害者の救済を」と、水俣病特別措置法でも救済されなかった被害者1400人が国、熊本県、加害企業のチッソに損害賠償を求めている「ノーモア・ミナマタ第2次熊本訴訟」で、先行して審理を終えた1、2陣原告144人の判決が22日、熊本地裁でありました。品川英基裁判長は、原告全員の請求を棄却する不当判決を出しました。

 判決では、原告144人のうち、25人は水俣病に罹患(りかん)していると認めたものの、民法の時効にあたる「除斥期間」(権利が20年で消滅)を理由に請求を退けました原告が主張した共通診断書での症状の証明は単体では信用できないとして、国などが証拠として提出した公的検診録を重視。また発症までの潜伏期間は10年程度にとどまるなど国の主張に沿って、残る原告の請求を棄却しました。
 同様の訴訟は全国で4訴訟がたたかわれていて、昨年9月の大阪地裁判決では、原告が全面勝訴しました。判決後の報告集会で園田昭人弁護団長は「大阪と真逆の非常にひどい判決だ」と述べ、被害を公正な目で見ず、さらに正義に反する除斥を適用したと批判しました。
 森正直原告団長は、「全然納得できない、怒りを通り越した判決だ」と述べ、国の主張を中心にして原告を全く見ていないと指摘。「壁は高くとも控訴審で全力を尽くし、全ての被害者を救済するまでたたかい抜く」と表明しました。

ひどい・・・ 私たちに時間ない
原告「控訴審 闘い抜く」
 ーモア・ミナマタ第2次熊本訴訟で原告すべての請求を棄却する判決が出された22日、熊本地裁椚前に「不当判決」の一報がもたらされると、原告や支援者から怒りと悲しみの声が上がりました。
 予想だにない判決に幾人もの原告が涙をらえきれませんでした。原告の一人、伊藤みどりさん(55)水俣市=は「ショクで体が固まり、そのあと力が抜けて自然と涙がこぼれた」と落胆。40代に入ってから症状が出姶め、診断書があるにもかかわらず認定されない伊藤さん。(司法は)大阪地裁のように全部の患者を水俣病だと認めてほしい」と声を震わせました。
 10年9ヵ月に及ぶ訴訟で原告は高齢化し246人が亡くなりました。判決前の門前集会で森正直原告団長は遺影姿の原告らを紹介「一日も早く完全解決を。私たちにはもう時間がない。生きているうちの救済が一番の願いだ」と強調しました
 判決後の報告集会では「『除斥期間』の意味が分からない。私たち発症したとき、これが水俣病だとは思わず、後年診断され初めて知った」「医師名が黒塗りでだれが作ったもわからない公的検診、長年の診察と研究でできた共通診断書の上に置のは明らかに間違いだ」と怒りの声が上がりました。

 原告25人が水俣病と認められたことから、多くの未認定患者がいることが明らかになったとして政治的解決を求める意見も。原告の上演修さん(74)は「悔しい気持ちでいっぱいだが、これをバネにこれからも頑張りたい」と壇上で力を込めました。


水俣病集団訴訟、原告全144人の請求棄却 熊本地裁判決 一部被害認定の25人も「除斥」適用
                        熊本日日新聞 2024年3月22日
 水俣病特別措置法に基づく未認定患者救済策から外れた水俣病不知火患者会の会員が国と熊本県、原因企業チッソに1人当たり450万円の損害賠償を求めた集団訴訟の判決で、熊本地裁(品川英基裁判長)は22日、原告144人全員の請求を棄却した。うち25人のメチル水銀被害は認めたものの、不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」が経過しているとして訴えを退けた。

 熊本、東京、大阪の3地裁で計約1600人が起こした集団訴訟。128人の原告全員の水銀被害を認めた昨年9月の大阪地裁に続く判決だったが、主要症状の一つである感覚障害の捉え方や疫学的因果関係の採用などで判断が分かれた。
 品川裁判長は、感覚障害をはじめとした症状とメチル水銀摂取の因果関係について「汚染地域に相当期間住んで八代海の魚介類を継続的に多食し、おおむね10年以内に発症が認められる場合は蓋然[がいぜん]性がある」と判示。摂取の有無は「居住歴や魚介類の入手先、喫食量を踏まえて個別に判断する必要がある」とした。
 民間医師による共通診断書の信用性については「他の検査との整合性を踏まえて慎重な検討を要する」と疑問視。県の患者認定審査で作成する公的検診録がなければ、「暴露(摂取)や症状の有無を個別に検討するまでもなく、因果関係の立証が不十分」と結論付けた
 公的検診録のある121人については特措法の救済策が定める対象地域を問わず、「他疾患によるものと説明できない限り、因果関係は否定されない」との判断枠組みを示し、25人の水銀被害を認めた。
 ただ、感覚障害の発症時期を「原則として手足のしびれの自覚症状が発現した時期」と説示。「暴露終了から、おおむね10年以内に症状が現れるであろうと考えられ、いずれの原告も発症時期から20年の除斥期間が経過している」として、既に賠償請求権は消滅していると判断した。
 判決後、原告弁護団は熊本市内で記者会見し、判決を不服として控訴する方針を示した。熊本の訴訟は2013年6月に提起され、原告総数は1400人。この日の判決は第1、2陣が対象だった。(植木泰士)

 ◆水俣病特別措置法 2009年に施行され、複数症状の組み合わせを原則とする国の患者認定基準に当てはまらない未認定患者の救済策として、手足や全身に感覚障害がある人を対象とした。一時金210万円の給付や医療費の自己負担分が無料となる被害者手帳の交付が柱。地域や出生年の線引きで、全申請者約6万5千人のうち約9600人が非該当となった。被害者側が反発する中、申請受け付けも12年7月までの2年3カ月で締め切った。