2023年2月9日木曜日

「同性婚」も「選択的夫婦別姓」も、少しも恐れることはない(澤藤統一郎氏)

 荒井勝喜首相秘書官性的少数者をめぐる差別発言を、岸田首相「言語道断」として即日出先で更迭を口にました。確かに「言語道断」な発言なのですが、ではそれに勝るとも劣らない差別発言を長年連発してきた杉田水脈政務官を、有能だからなどと述べて交代させるまで1ヶ月も掛かったのは何だったのでしょうか。

 憲法学者木村草太都立大教授が4日、この更迭に関して「では現内閣が、同性婚法案を国会に提出しようとしない理由は、荒井氏の発言とどう違うのだろうか?」とツイートしました。荒井氏と岸田氏の発言のどこに違いがあるのかという指摘です。
 元はといえば荒井氏の発言は、「同性婚を認めると社会が変わってしまう」と岸田首相が答弁したことについてのオフレコの弁明だったので、今回の岸田氏の「綺麗ごと」風の対応には違和感が伴います。
 澤藤統一郎氏が、「『同性婚』も『選択的夫婦別姓』も、少しも恐れることはない」とする記事を出しました。「少しも恐れることはない」は、頑なに「同性婚」はおろか「選択的夫婦別姓」すらも認めようとしない「自民党右派」への呼びかけで、澤藤氏は、自民党右派がしがみついているそうした考えは、旧来の「家父長制度」を家庭の理想像としている統一協会の主張に感化されたものであるとしています。
 そもそも荒井氏の発言は岸田氏を代弁したものであるとも 
 (文中の太字強調部分は原文に拠っています)
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「同性婚」も「選択的夫婦別姓」も、少しも恐れることはない。
                   澤藤統一郎の憲法日記 2023年2月7日
 昨年末までの臨時国会は「統一教会国会」だった。年が明けの今通常国会は、思いがけなくも「LGBT国会」の趣を呈しつつある。明らかに、前国会の空気と通底してのこと。まことに結構なことではないか。
 統一教会の正式名称は「世界平和統一家庭連合」、略称を「家庭連合」としている。「家庭」は「反共」とともに、教団の教義を支えるキーワードの一つである。統一教会と自民党右派勢力は、いずれも「家庭」を旧社会の秩序を支える基礎単位と見た。その共通の理解によって、両者は緊密に癒着した。
 この両者にとっての「家庭」とは、「伝統的・家父長制的家族像」と結びつき、個人の人権や自由、平等を抑圧する場でしかない。このような前世紀の遺物である特殊な家庭観からは、「LGBTへの理解」も「選択的夫婦別姓制度」も、あるべき社会の秩序を破壊するものとして、容認しえない。
 統一教会とそのイデオロギーが強く糾弾された今、冷静に「『家庭』重視に藉口したLGBT差別や選択的同姓強制制度の不合理」を考える好機とすべきであろう。同性婚にも、選択的夫婦別姓制度にも、いまや反対しているのは、統一教会と癒着していた自民党右派だけなのだから。
 混乱を招いている自民党の中心に岸田文雄という人物がいる。この人、何の信念も持たない人の典型に見える。あっちにおもねり、こっちに忖度しているうちに、今や自分が何者であるかを、完全に見失っている。防衛問題しかり、経済政策しかり、そして「LGBT」や「同性婚」「選択的夫婦別姓制度」問題においてしかりである。
 彼は、2月1日衆院予算委で、同性婚の法制化を求める立場からの立憲民主党西村智奈議員質問に対して、こう答弁している。
 「極めて慎重に検討すべき課題だ」「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だからこそ、社会全体の雰囲気にしっかり思いをめぐらせたうえで判断することが大事だ」
 つまり、同性婚を認めれば、「社会が変わってしまう」と述べたのだ。これが、彼の信念から出た言葉なのか、党内安倍派へのおもねりによるものであるかは、おそらく彼自身にも分からない。そして、どちらでもよいことだ。
 その2日後、荒井勝喜首相秘書官が、オフレコの会見で性的少数者や同性婚をめぐり問題発言に及ぶ。
 「僕だって見るのも嫌だ。隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」「秘書官室もみんなが反対している」「同性婚を認めたら国を捨てる人がでてくる」
 首相だけではなく、僕だって(LGBTは)見るのも嫌だ」というのだ。「首相だけではなく、秘書官室もみんなが(同性婚に)反対している」だけでなく、「同性婚を認めたら、首相が『社会が変わってしまう』と言った通り、日本を捨てる国民が出てくる」とも言う。つまり、すべては秘書官として、首相の発言をフォローしたつもりだったのだろう。あるいは、徹底しておもねりの姿勢を見せたとも言うべきだろう。これが、岸田の言いたかった本音と読むこともできる。
 このオフレコでの発言が記事になって、世の空気が変わった。事態を重く見た首相は4日に荒井を更迭。その差別発言について「不快な思いをさせてしまった方々にお詫び申し上げる」と陳謝した。「まったく政府の方針と反しています。国民に誤解を生じたことは遺憾だ」「言語道断」とも言ったが、何とも白々しい
 この事態への対応策として、自民党は一昨年お蔵入りしていた「LGBT理解増進法案」を、埃を払って持ち出してきた。茂木幹事長は会見で、「一昨年の場合、国会の日程で(LGBT理解増進法案の)提出には至らなかった。(今国会で)法案提出に向けた準備を進めていきたい」と語ったという。さて、そんな程度で治まるものか。
 なお、一昨年5月自民党が法案提出を見送ったのは、国会の日程の都合ではない。「性的指向および性自認を理由とする差別は許されない」とする目的と基本理念に、右派の議員が声高に反対したからだ。安倍晋三亡き今、どうなるだろうか。
 なお、首相の念頭には、今年5月のG7サミットが消えない。同性婚を認めていないのは、G7の中で日本一国だけである。理念ではなく、信念からでもなく、ただただ面子のために何とかしたいところのごとくである。
 ところで右翼とは、個人の自立や自由、多様な生き方を否定する立場を言う。秩序が大好きで、常に権力的統制に親和性を示す。この人たちは、同性婚や選択的夫婦別姓の制度が出来ると、社会が崩壊すると心配するのだ。岸田も、荒井も、社会が壊れる、国民が国を見捨てると心配している。
 この心配性の人たちに、「明日も太陽は昇る」と訴えたニュージーランド議会の名演説が今また、日本のネット上で再び注目されて話題になっている。その人、モーリス・ウィリアムソン議員はこう言っている。
 「社会の構造や家族にどのような影響を与えるのか心配し、深刻な懸念を抱く人たちがいるのは理解できる」。しかし、「法案は愛し合う2人が結婚でその愛を認められるようにするという、ただそれだけのことだ」「(法案が成立しても)明日も太陽は昇る。あなたの十代の娘は何でも分かっているように口答えするだろう。あなたの住宅ローンは増えない。世界はそのまま続いていく。だから大ごとにしないで」
 ニュージーランドには、今日も太陽が昇っている。日本を除くG7の国々にも。